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■宇宙巡光艦ノースポール 第7章.火星 第3節.赤い星のカクテル 『ジャンケン、ホイッ、ホイッ、ホイッ、』 『何であいこなんだよーーーっ!』 何やらノースポールのブリッジは賑やかです。三田さんと中原さんがジャンケンで何かの勝負をしています。 「よし、もう一回だ!」 「今度こそ勝つぞ!」 『ジャンケン、・・・』 もう何回戦目でしょうか。これは、奇跡だと思うのですが、三田さんと中原さん、もうずっと、あいこばかりで、全然勝負がつかないのです。 『ホイッ、ホイッ、・・・』 「何やってるの?」 ブリッジに入ってきたライラさんが、勝負の行方を見守っている小杉さんに尋ねました。 「うん、ほら、明日から火星の有人探査を始めるじゃない。」 「ええ、そうね。」 「その、最初の回にどちらが参加するかを決めてるんだ。」 なるほど、そういうことですね。それなら、水星の探査をした時に、私も鵜の木さんとジャンケンで勝負したことがあります。 「それにしても、どう治めるつもりだ、小杉?」 川崎さんも心配になってきたのでしょうか。席から出て来て小杉さんの横に立ちました。 「わかりました。じゃあ、こうしましょう。2人とも参加してもらうということにしましょう。」 「2人とも?」 「はい。シーライオンの指揮は三田に取ってもらって、中原は統括担当として参加する。火星での最初の船外活動には三田に加わってもらって、中原はシーライオンからサポート。」 なるほど。でもそうなると、小杉さんはどうするんでしょうか? 「えっと、僕はノースポールからサポートすることにします。」 「中原はそれでいいのか? 火星に最初に降り立つ人類にはなれないわけだが?」 確かに、地球外の天体に最初に足跡を残せば、間違いなく、歴史に名前が刻まれますから、とても名誉なことです。 「中原は、もう、最初に水星に降り立った地球人ですから。火星は三田に譲ってもいいだろ?」 小杉さん、中原さんに確認しました。 「そうですね。でも、そのあと、僕も火星に立つこと出来るんですよね?」 「計画では、シーライオンの全員が順番に船外活動をすることになってるから、中原ももちろん火星に立てるよ。」 「だったら、僕はそれでいいです。」 三田さんも中原さんも頷いています。 「よし。ということで良いでしょうか?」 「まあ、みんなが納得できるのなら構わないよ。小杉も、ノースポールからのサポートはしっかり頼むぞ。」 「はい。もちろんです。」 それにしても、これまでの宇宙飛行や月面の有人探査では、長い期間に渡って知識を習得して、厳しい訓練を積み重ねて、ようやく、月面を歩く宇宙飛行士に選ばれていたわけです。 ですが、私達は、火星に降り立つ担当をジャンケンで決めようとしていたりしたわけで、こんなことが、アームストロングさんとかに知れたら、発狂してしまうのではないかと思ったりもします。 ちなみに、アームストロングさん、みなさんご存じですよね? アポロ11号で月に着陸して、人類で初めて月面に立った方です。 「いや。それは違うな。宇宙飛行の技術が、想像も出来ない勢いで途方もない進化を遂げてしまっただけなのだ。だから、惑星表面に立つことも、途方もなく簡単になってしまったのだ。例えば、江戸時代には、江戸から大阪まで行こうとしたら、途方もない旅費と、長い時間が必要だったのだ。だが、鉄道ができて、その鉄道が進化した結果、東京から大阪までは1時間ほどで行くことが出来るようになったのだ。」 ちなみに、1時間というのは、リニア新幹線を利用した場合ですね。みなさんは、たぶん、2時間半くらいかかっているでしょうか。 そして、翌日。いよいよ、長きに渡って人類の夢だった火星の有人探査が開始されるのです。 ■図-1 火星 ■素材参照元: [Solar Textures] https://www.solarsystemscope.com/textures/ [photoAC] https://www.photo-ac.com/ ノースポールの艦底部係留ベイに格納されているシーライオン。発進準備は完了したのでしょうか。 「各担当、状況報告お願いします。」 中原さんがみんなに報告を促しました。 「操縦系、異常なし。」 真名さん、凜々しい声です。 「通信システム異常ありません。」 池上さん、張り切ってます 「VMリアクタ、バリアシステム、正常です。」 私、もちろん、元気ですっ! 「兵装システム正常、艦内各システム正常、」 中原さんが、自身の担当の報告をしました。そして、 「シーライオン、発進準備完了しました。」 後ろを振り向いて、本日の艦長である、三田さんに報告しました。 「了解です。」 その三田さんは、メインディスプレイに映る小杉さんに報告しました。 「小杉さん、シーライオン、発進準備完了しました。」 小杉さんは腕時計で時間を確認しながら答えました。 「うん、了解。じゃあ、ちょっとだけ早いけど、火星の有人探査を始めよう。」 川崎さん、席に座ったまま、ひと言だけ伝えました。たった一言。でも、私達にとって一番大事なことなのです。 「くれぐれも、無理はしないように頼むぞ。」 そして、大森さんが池上さんに見送りの言葉を贈りました。 「舞ちゃん気を付けてね。いってらっしゃい。」 舞さん、元気に答えました。 「はい、行ってきまーす。」 そして、いよいよ三田さんが全員に指示しました。 「シーライオン、発進します。」 いよいよ、火星表面の有人探査を行うのです。要領的には金星と水星での探査と同じです。火星全体を10のブロックに分けて、1日に1ブロックずつ探査していきます。 月以外の星の有人探査という位置づけでは既にノースポールは水星の有人探査を行っています。また、直接惑星の表面に降り立ったわけではありませんが、金星の探査も行っています。なので、それに続く3回目の有人惑星探査となるわけですが、火星の探査となると事情が変わってきます。人類は月に降り立って以来、次は火星に足跡を残すことを目指して、精力的に探査を続けてきたのです。長年の夢がついに実現するのです。 「降下を開始します。」 真名さんが操縦桿を少し倒しました。 シーライオンは火星に向けて降下開始しました。ブリッジの窓の外に赤茶色の平らな平原が見えてきました。起伏は少ないようです。 「うわぁー、すごい。」 私、思わず叫んでしまいました。なぜかというと、空の色が赤に近いピンク色をしていたからです。シーライオンの送っている映像をノースポールで見ていた鵜の木さんも、何かホッとしたようなため息を漏らしていました。 「これでもう、火星の空の疑惑が話題になることもないね。」 「そうですね。シーライオンだけでも5人の人の目で直接確認してますからね。」 私と鵜の木さんの通信を聞いていた小杉さんが不思議そうな口調で尋ねました。 「今のって、何の話ですか?」 「小杉は知らないようだな。」 川崎さん、ちょっと嬉しそうです。でも、これを知っているのは、私や鵜の木さんのような天文オタクか、かなり高齢な方に限られていると思うのですが。 かなり以前、西暦1975年に『バイキング』という無人探査機が火星に向けて打ち上げられたのでした。8月に1号、9月に2号と、2機が火星に向かって、このうち、バイキング1号は翌年西暦1976年の7月に火星表面への着陸に成功しました。 問題になったのは、このバイキング1号が着陸後すぐに撮影して地球に送った、火星表面の写真なのです。 史上初のことだったため、新聞の一面トップ記事として大きく掲載されたのですが、世界中に向けて発表されたその写真では、なんと、火星の空は青かったのです。これで世界中が大騒ぎに。実は火星は地球に極めて似た惑星で、人間の生存も可能なのではないかとか、いや、それなら、地球人と同じくらいに発達した火星人がいるかもしれないとか。 しかも、ばつが悪いことには、その青い空の写真は、バイキング1号から送られた画像データの処理の間違いとして、翌日、ピンク色の空の火星表面の写真が発表されたのです。これで一応、赤い惑星火星の空はピンク色という結論にされたのですが、微妙に納得できないという意見も残ったのですね。 「だけど、今回、少なくとも、シーライオンに乗り組んでいる私達5人は、自分の目で火星の風景、ピンク色の空を火星の風景を見ているわけですね。」 「そういう意味では、歴史上初めて、火星の風景を人間自身の目で確認したわけだな。」 川崎さんもちょっと満足げです。 「へー、そんなことがあったんですね。でも僕も見てますから。間違いなく、火星の空はピンク色です。」 「はははっ、そうだな。」 さて、そんな楽しい話しもありますが、そろそろお仕事もしなければなりません。 「火星は北半球と南半球で地形がだいぶ違うみたいですね。」 三田さんが質問しました。 「そうですね。だから地球から見た明るさも北半球と南半球で違うんです。」 三田さんは資料を見ながら私の説明を聞いていました。 火星の北半球は平らな平原が多いのです。溶岩流によって形成されたと言われています。これに対して南半球には窪地やクレーターが多く見られます。このような地形の特徴により、北半球と南半球では光の反射率が異なり、見かけの明るさも異なるのです。 「それから、・・・」 私は説明を続けました。 「火星には太陽系最大の山があります。」 「オリンポス山、ですよね。」 「そうです。」 標高は27,000メートルとされています。地球において最高峰であるエベレストは8,800メートルなので桁違いに高い山です。単純計算で、約3.2倍の高さを誇ります。 ただし、地球以外の惑星の山の標高については注意が必要です。地球上では山の高さは海面からの高さとして表されます。日本語では『海抜』とも言われるとおり、山やその他の陸地の高さは、海面からの高さで表されます。 でも、火星などの地球以外の惑星には、海は存在しません。 そのため、標高を表すための『便宜的な海面』が定義されているのです。これに基づいて決められたオリンポス山の標高が27,000メートルなのです。 ちなみに、火星で最も低い場所を基準として測定した場合には、オリンポス山の標高は31,000メートルとなります。同じ方法で、エベレストの標高を求めると、20,000メートルとなるので、やはり、オリンポス山はエベレストと比べてかなり巨大な山だということがわかります。 「あっ、前方に白い物が見えるよ。」 真名さんが報告しました。前方に見える火星の地平線が明らかに白く見えています。シーライオンは火星の北極に近い地点に向かっているのです。火星の北半球は現在は晩秋に相当する時期です。ノースポールからの観測でも、高緯度の地域に、氷床や雪原と思われる地域が発達し始めているのが確認されていました。 「火星の水を見ることができるかどうか、楽しみですね。」 三田さんがうれしそうに、言葉を続けました。 「公害の影響がないから地球の氷よりもきれいなのかな。」 確かにその通りかもしれません。太陽系の中で地球は唯一生命が宿っている星ですが、唯一、その生命による汚染に曝されている星でもあるのです。それに比べると、火星の地表は、少なくとも化学物質による汚染はないはずです。 「わあ、すごいや。見てよ、外の景色。」 真名さんが叫びました。全員窓の外を見ました。 「雪・・・なのかな。」 それまでは赤茶けた大地が続いていましたが、いつの間にか、一面の銀世界に変わっていました。間違いなく雪、あるいは氷に覆われています。 「真名さん、目的地まではあとどのくらいなの?」 「もうすぐ、あと2分くらいだよ。」 今回はシーライオンに乗り組んでいる全員が交代で船外活動を行うことになっていました。つまり、全員が火星の大地に立つことができるのです。 「減速します。」 真名さん、左足をグイッと踏み込みました。 それに従って、シーライオンが速度を落としました。それと共に周囲の景色も細かいところまで観察できるようになりました。地面は完全に平らではなくて、なだらかな起伏があります。三田さんが、真名さんに確認しました。 「着陸に支障はあるの?」 「このくらいなら問題ないよ。」 そう言うと真名さんは、シーライオンを静止させました。高度は10メートルほどです。三田さんが報告しました。 「これから着陸します。」 「了解。慎重に頼むよ。」 「はい。」 ノースポールにいる小杉さんや川崎さんも固唾を呑んで見守っているようです。 三田さん、真名さんに指示しました。 「じゃあ、着陸しましょう。」 「了解。」 シーライオンはゆっくりと降下し始めました。 「ランディング・ギアを出します。」 船体に格納されていたランディング・ギアが展開されました。高度は少しずつ下がっています。そして、僅かに振動を感じました。 「シーライオン、着陸しました。」 「全システム正常です。」 「船体に損傷ありません。」 シーライオンは火星の北極に近い平原に着陸しました。 時に、西暦2055年3月14日、 午前9時47分のことです。 「日高基地の辺りに似てますね。」 まさにそのとおりでした。これで針葉樹林が生えていれば、地球の高緯度地方にそっくりです。赤茶けた大地は地球では珍しいですが、雪が降る地域であれば、銀世界は地球上でもごく普通の光景です。シーライオンに乗り組んでいる5人はしばらくの間、その火星の景色を見つめていました。 「よし、外に出てみよう。不動さん、舞さん、準備をよろしく。」 「はい、準備始めます。」 「了解です。」 舞さんと私は席を立ちました。予定では、残りの中原さんと真名さんも順番に船外活動を行う予定です。 三田さん、舞さんと私の3人は宇宙服を着用するとエアロックに入りました。火星表面には大気はあるのですが、地球の大気とは成分が異なるので人間は呼吸できないのです。なので、船外活動を行う場合は月や水星の時と同じように完全装備の宇宙服を着用しなければなりません。 「一旦、完全に減圧します。その後で火星の大気と同期させます。」 「了解。お願いします。」 私はエアロック内の端末から、まずは減圧を実行しました。 成分も異なるし、地球と比べるとかなり薄いのですが、火星表面には大気が存在します。ですから、エアロック内をその火星表面の大気と同期させる必要があるのです。 「減圧完了。同期開始します。」 エアロック内に火星と同じ組成の空気が注入されます。 「同期完了しました。重力装置を切ります。」 「了解。」 エアロック内は重力発生装置が切られました。これで、重力も火星表面と同じになります。火星の重力は地球の4割弱です。 「ドアのロックを解除しました。」 「よし、開けます。」 三田さん、そう言うとドアのレバーを掴みました。少し握ると手前に引きました。 シーライオンの左舷側のドアが開けられました。ドアの外は人類が訪問を夢見ていた火星の世界です。三田さんはドアから外に出ました。タラップの最上段に立ち止まって辺りを見回します。ブリッジの窓から見たのと同じ銀世界が目の前に広がっていました。気温はマイナス80度。天気はくもり。空は灰色の雲に覆われています。 「絶好の船外活動日和、とはいかないですね。」 「大丈夫です。いきましょう。」 三田さんはタラップを一段一段ゆっくりと降り始めました。舞さんと私も三田さんに続いてタラップを降ります。一番下の段まで来るとそこで一旦止まりました。足下を観察する。見た感じでは降り積もって固まった雪です。 三田さんはタラップの手摺りを掴んだまま、左足を火星の大地に降ろしました。やっぱり、雪に似た感触です。何度か踏みしめて足下を確認します。そして、右足も降ろすと、手摺りを掴んでいた手を離しました。 西暦2055年3月14日、 時刻は午前10時28分。 人類は長年の夢だった火星についに足跡を残したのです。 「どんな感じだ、三田?」 宇宙服のモニタースピーカーから、ノースポールから見守っている小杉さんの声が聞こえました。 「雪、まるで雪ですね。ここがもう少し斜面だったらスノボで滑りたい感じです。」 三田さんはゆっくりと数歩歩いて前へ進んだ。慎重に向きを変えてシーライオンの方を見た。その白い船体は火星の白銀の世界に溶け込むかのように同化していた。 「舞さん、ここまで来てみて下さい。」 「はい。」 タラップの一番下の段で待っていた舞さんも三田さんと同じように慎重に足下を確認しながら火星の表面に降り立ちました。そしてゆっくりと歩いて三田さんの横まで行った。最後は三田さんの伸ばした手を掴むようにして、横に並びました。 「じゃあ、トリということで不動さんもお願いします。」 そんな、トリだなんて。私もそこまでプロじゃありません。などと思いつつも、私は足場を確認すると、ゆっくりと手を離して歩き始めました。そう、ここは、地球ではないのです。渋谷のスクランブル交差点でもなければ、銀座四丁目の時計台のある交差点でもないのです。 ここは火星。 私達の地球のひとつ外側の軌道で太陽を巡る、太陽系第4惑星。 人類はついに、火星に足跡を残したのです。 「大丈夫ですか?」 「はい。でも、注意しないと滑りそうで。」 「そうですね。慎重に行きましょう。」 私達3人は、足下に注意しながらシーライオンのブリッジの下まで歩きました。左舷側の窓からは船内にいる中原さんと真名さんが見えました。中原さんが手を振っています。私はそれに手を振って答えました。 「それじゃ、始めましょうか。」 火星の景色を見つめていた三田さんが思い出したように、舞さんと私に言いました。 「はい。」 「それと、中原と真名さんも船外活動の準備をしてもらえますか?」 「了解。」 このあと、中原さんと真名さんも外に出てもらって、5人で記念撮影をするんです。 三田さんは肩に掛けて持ってきた鞄を地面に降ろしました。そして、その場に慎重に屈んで鞄を開けました。中には試料を保存するための小瓶が数本と簡単な分析を行うための装置、そして小さなシャベルが入っています。三田さんはまずシャベルを取ると私に渡してくれました。 「じゃあ、雪を削りますね。」 私はシャベルで火星の地表に降り積もっている雪を削り取りました。 「瓶です。」 三田さんがカバンの中に入っていた小瓶を手渡してくれました。フタは外してありました。 「うまく入るかな・・・。」 私は、シャベルの上に乗っている火星の雪を、慎重に瓶に移しました。 「フタです。」 三田さんが手に持っていたフタを差し出しました。私はシャベルを足下に置くと、三田さんからフタを受け取って、火星の雪を入れた瓶にしっかりとフタをしました。私はその小瓶を受け取ると三田さんのカバンの分析装置に入れてボタンを押しました。分析が開始されました。 「どうですか?」 三田さんが装置の画面を覗き込むようにして尋ねました。 「水と二酸化炭素、両方混じっています。」 「純粋な水ではないんですか?」 舞さんも興味深そうに見ています。 「ええ、量的には半分以上が二酸化炭素、残りが水です。でも、どちらも、火星の水で、火星の二酸化炭素です。」 『おお。』 三田さんも舞さんも何か満足そうな顔をしていました。通信機のスピーカからも、ノースポールにいる小杉さん達の歓声が聞こえました。 「三田さん。」 遅れて船外活動を開始した中原さんと真名さんが、私達のしゃがみ込んでいる場所にやって来ました。 「すごいですね、やっぱり火星にも水はあるんですね。」 「水の氷と二酸化炭素の氷が混ざっているけどね。」 「水、たくさん見つかるといいね。」 純粋な水でないのは少し残念であった。 もう既に何度も行われてきた無人探査機での調査や地球からの観測によって、火星には水が存在することが確実視されていました。そして、いよいよ、今回私達の手で、火星の水の実物を回収できたのです。これは宇宙探査史上でも画期的な出来事なのです。 中原さんと真名さんは地面に置かれている鞄から小瓶を取り出すと氷の採取作業を開始しました。中原さんはシーライオンの右舷側に、真名さんは船尾の近くまで移動して作業を行いました。できれば、少しでも離れた場所で採集した方が資料としては価値が高いかなと思います。 三田さんはシーライオンのカーゴロッカーから国連旗を取り出すと、私が作業している近くに戻ってきました。 「この辺りに立てますね。」 「あ、お願いします。」 私は地面の雪に埋まっている小石を採取していました。 「あれ、この石変わってる。」 私は左手の手の平にその石を乗せて観察しました。円盤状の薄い石です。直径は15センチほどでしょうか。厚さは縁の部分は数ミリで、中心付近は2〜3センチほどはありそうです。 「自然の石にしては整った形をしていますね。」 「水の流れの中で綺麗な形になったのかな。」 かつては火星にも地球のような川が存在していたと言われています。それが事実なら、元々は歪な形をしていた石が水に流されていくうちに形を整えられても不思議ではありません。 「その形の石なら、向こうにもいっぱいあったよ。ほら。」 雪の採取から戻ってきた真名さんが言いました。真名さんは宇宙服の腰のポケットにしまってあった石を取り出して私に見せました。確かに、よく似た形をしています。大きい物は15センチほどで、小さい物は数センチほどです。 「とりあえず回収しましょう。」 真名さんの回収した石も、私の見つけた石も、それぞれ発見場所を記録して鞄の中に保存しました。作業は続けられた。 三田さんと中原さんはシーライオンのカーゴルームに積んできた観測機器の設置作業を行いました。早速、私がその起動と動作確認を行いました。 「オービットアイの放出は終わったのかな。」 私は呟きました。今設置している観測機器で収集されたデータは周回軌道上に投入されるオービットアイを経由して地球に送信されるのです。 私のことばを聞いた三田さんが教えてくれました。 「さっき連絡がありました。投入完了したそうですよ。」 「あ、ほんとですか? ありがとうございます。」 私は観測機器の通信機能を起動しました。少し待つとオービットアイとの接続完了を示すインジケータが点灯しました。 「セットアップ完了と・・・。」 「あっ。」 突然、真名さんが叫びました。みんなびっくりして真名さんの方を向きました。理由はすぐにわかりました。 「雪・・・雪だ。」 雪なんです。地球で降る雪と全く同じです。三田さんは両方の手の平を広げました。宇宙服の手の平の上に落ちた雪は、すぐに溶けてしまいました。火星の雪も地球の雪と同じように音もなく静かに降っています。上を見上げると空を覆っている灰色の雲から雪が絶え間なく舞い落ちてきているのがわかります。 「本当に地球の雪みたいだ。」 重力が弱いこと、そして宇宙服を着なければならないことを除けば、今、自分は地球にいるのか火星にいるのかわからなくなるような美しい光景です。 「そういえば。」 私が沈黙を破りました。 「音も聞こえますよね。」 「音、何の?」 みんな、私の言っている意味がわからなかったようです。私はうれしくなって笑うとその場で足踏みをして見せました。 「ほら、この音ですよ。」 確かに、雪を踏みしめる音が聞こえました。宇宙服のモニタースピーカーから聞こえている音ではありません。直接耳に聞こえている音です。いえ、今までずっと聞こえていたのですが、あまりにも普通すぎて私達はみんな気づかなかったのです。 「そうか、火星には空気があるから音が伝わるんだ。」 全員、その場で足踏みをした。ギュッギュッという地球の雪と同じ音がしました。地球では当たり前の現象が火星でも体験できるんです。とても奇妙な感覚でした。 「そろそろ、あれやっときますか?」 三田さんが全員に向かって言いました。 「あ、そうですね。」 「わー、やろやろ。」 あれなどと言うとすごいことを想像されるかも知れませんが、実は、ただの記念撮影です。 「どうやって撮ります? 2人と3人で前後に別れて並んで撮りますか?」 「それ、いいですねー。それにしませんか?」 舞さんの賛成に従って、前に女性3人が並んで腰を落とします。その後ろに、三田さんと中原さんが立ちました。カメラは中原さんのケータイです。何しろ、中原さん、水星の低重力下で素早く移動する術をマスターしたのです。 「じゃ、撮りまーす。はい、ポチッとな!」 中原さん、素早くみんなの所に戻って三田さんの右隣に収まりました。そこでフラッシュが点灯。見事な記念写真の完成です。 しかし、念のためもう一枚撮ろうとしたところ、 「あのー、私が撮ってみてもいいですか?」 なんと、舞さんがシャッターを押す担当に立候補したのです。大丈夫でしょうか。 「えっ、構わないですけど、結構コツが要りますよ。」 この分野では先輩である中原さんから貴重なアドバイスです。しかし、舞さん。 「いえ、やらせて!」 そこまで言うならと、中原さんも舞さんに任せました。 「じゃあ、撮りますよーー。はい、せーの!」 シャッターを押した舞さん、すぐにみんなの方に向かい始めたのですが・・・、 「きゃーっ、何?」 途中で左に傾いて倒れ込むように転んでしまいました。もちろん、その、ちょうど傾いたタイミングでシャッターが作動。全く容赦ありませんが、写真としてはベストショットなのでした。 「えー、どうしてーー?」 吠える舞さん。 「だから、コツが要るんですよ。」 ドヤ顔の中原さん。 ちなみに、水星と火星の重力は3.7でほぼ同じです。地球の重力は9.8ですから、水星と火星は地球の38%ほどの重力ということになります。 「えっとね、だから、こうやって、ちょっと大股で歩くんです。」 中原さんがお手本を見せました。 「えっと、大股で・・・、キャー、止めてー!」 あちゃー、舞さん、体が浮き気味になってしまって、地面の僅かに上を、手足をバタバタさせながら、飛んで行きます。これを見た三田さんと中原さんが、笑いながら止めました。きゃー、大変です。 結局、今度、ノースポールの艦内で低重力の環境を作って、練習することになりました。舞さんだけでなくて他の希望者も募ることになりました。 こうして、史上初めての火星表面の有人探査は終了、シーライオンは、火星の周回軌道上で待っているノースポールに、無事に帰還しました。 「ふー、」 三田さん、深くため息をつきました。いえ、何か悩んでいるようなため息ではなくて、一仕事終えた感じのため息です。 ここは、ノースポールのバーラウンジ。一面ガラス張りの照明を落とした室内からは、左舷側に佇む火星がよく見えます。 三田さんはノースポールの艦尾に面した窓側の立ち席にいました。背の高いテーブルには赤い色のお酒の注がれたグラスが置かれています。 「ここ、一緒にいいかしら?」 見ると大森さんです。 「あ、どうぞ。」 大森さん、グラスを持っていた右手をそのままテーブルの上に置きました。 「火星の探査、ごくろうさま。」 大森さんが、今日の火星有人探査の労を労いました。 会話している三田さん、ちょっと、ドキッとしてしまいました。というのも、大森さん、思い切りドレスアップしてきてるんです。肩を出した濃いめの紫色のドレスがとっても似合ってます。体にフィットするタイプのスリムなドレスなので、体のラインがはっきり分かります。今日は高めのヒールを履いているようですね。いつもより背も高く感じます。仕事中はまとめてお団子にして留めているいるロングヘアーも降ろしているので、とっても色っぽいんです。 「仕事終わるといつもそんな感じなんですか?」 大森さん、じっと窓の外の火星を見つめています。いや、もう、本当に大人の女性という感じで、同性の私でさえドキドキしてしまうくらいの『イイ女』てす。背が低い上に、恥ずかしいくらいの幼児体型な私では、まず、あんなドレスは着れないです。うーむ。同性ながら不公平を感じます。 それで、その大人の女性な大森さん、三田さんの方を向いて笑顔を浮かべると答えました。 「その日の気分かしら。特に決めてないわよ。」 「とっても、お似合いです。」 「ふふふ、ありがとう。」 三田さんは自分のグラスを持つと、一口、飲みました。 「そのお酒、」 大森さんが少し首を傾げるようにして興味深そうに尋ねました。 「ここのメニューにないわよね?」 三田さん、ちょっと控えめに、でも、嬉しそうに答えました。 「これ、僕が作ったんです。」 「えっ、三田君が?」 「はい。」 実は三田さん、学生時代にバーでバイトしていたのだそうです。それで、格好良くシェイカーを振るマスターに憧れていたのですが、ある日のこと、思い切って頼んでみたそうなのです。 「僕にもやらせて下さい」 マスターは少し驚きましたが、普段のクールな口調で逆に質問しました。 「どんなカクテルを作りたいですか?」 三田さんはとっさに答えました。 「赤いカクテルがいいです。」 理由はありませんでした。ほんと、思いつきだけなんですね。すると、マスターは冷蔵庫や棚から材料をいくつか取り出して三田さんの前に並べたのです。 「この中から使いたい材料を選んで下さい。」 三田さん、どれが何なのか全く分かりませんでしたが、適当に選びました。 「では、選んだ材料と氷をシェイカーに入れて下さい。」 三田さん、言われるままに、慣れない手つきで、選んだ材料をシェイカーに入れました。 「では、シェイクしましょう。」 来ました。三田さんが一番やりたかったところです。 「まず、シェイカーの持ち方はこうですね。」 マスターが空のシェイカーを持ってお手本を見せてくれています。三田さんも真似して持ちます。 「そう。そんな感じですね。ちゃんと持たないと振っている最中にシェイカーが分解してしまうこともありますから、まず、持ち方をしっかり覚えて下さい。」 むむ、やはり、最初はいろいろ大変ですね。実は三田さん、既に指がつりそうだったりします。 「そしたらですね、シェイカーを持ち上げて、こうやって、同じ方向に振る。」 三田さん、がんばってシェイカーを振ります。 「そう、そんな感じですね。腕の力を抜いて、リラックスして下さい。」 お、三田さん、ちょっと、それっぽい感じです。 「手首で振って下さい。スナップを効かせて。そうそう。」 これはやはり大変そうです。 「じゃあ、そのくらいにしましょう。」 マスターがグラスを1つ、三田さんの前に置きました。 「そしたら、一番上のフタを開けて、グラスに注いで下さい。最後の一滴まで。」 おお、一滴も残さないんですね。三田さん、ゆっくりとグラスに注ぎます。最後の方はシェイカーがほとんど逆立ちしています。 「それで、最後に軽く上下に振りましょう。そうそう。それで出来上がりですね。」 グラスには赤いお酒が入っています。薄らと向こう側が見えて良い感じです。 「ちょっと飲んでみましょうか。」 「いいんですか?」 三田さん、ちょっと戸惑いながら聞きました。 「はい、あなたの作ったカクテルですから。」 三田さん、グラスを持つと1口、2口と飲んでグラスを置きました。 「どうでしたか?」 三田さん、迷いながらも答えました。 「えっと、お酒です。」 「はははは。アルコールが入ってますからね。もちろん、お酒です。私も1口頂いて良いですか?」 「あ、はい。」 マスターは置かれているグラスを持つと1口飲みました。そして。 「うん。一応、カクテルになってますね。もう少し調整すれば、お客様にも飲んで頂けるかもしれないですね。」 おーー、すごいじゃないですか、三田さん。どんなお酒なんでしょう。私も飲んでみたいです。 「なので、どうですか、あなたが初めて作ったカクテルに名前を付けませんか?」 「えっ、名前、ですか?」 三田さん、完全に恐縮モードです。本当は、ちょっとシェイカーを振ってみたかっただけなのですが。 「そうです。ほら、ジントニックとか、モスコミュールとか、赤いカクテルだとレッドアイとか。」 おお、三田さんのカクテルもそんな有名なカクテルの仲間入りなのでしょうか。 「えっと、赤いですから・・・、」 と言いながらも、頭がいっぱいの三田さん。何か名前をひねり出せるでしょうか。 「どうでしょうか。」 マスターが笑顔で促しました。 「じゃ、じゃあ・・・、マーズ・・・、マーズレッド。」 「ほーー。」 おお、確かに、火星は赤いですよね。すごいじゃないですか。 「いいんじゃないでしょうか。マーズレッド。」 もう、6年ほど前のことなのでした。 ノースポールのバーラウンジ。ノースポールは相変わらず、赤い火星を左に見ながら周回軌道を回っていました。 「へー、すごいじゃないの。初めて作ったカクテルに名前を付けることが出来たなんて。」 「はい。しかも、その名前がマーズレッドですから、」 「火星ね。」 「なので、今日は記念にと思って。」 大森さん、三田さんに言いました。 「私も、1口、もらっていいかしら?」 「え、ええ、いいですけど。」 「じゃ、1口。」 大森さん、三田さんのグラスを取ると1口飲みました。 「あ、おいしい。いい感じね、マーズレッド。」 「そうですか。ありがとうございます。」 三田さん、もう一つ夢を話しました。 「本当は、火星の水でカクテルを作れたら良かったんですけどね。」 「ふふふっ、そしたらまさに、マーズレッドね。」 そうですね。でも、今はまだ難しいですかねーー。確かに成分的には水ですが、不純物の検査とか、私達が飲む前には、いろいろとチェックが必要になると思います。 大森さん、思いついたように三田さんを見つめると、オーダーしました。 「そしたら、私にもひとつ作ってもらえないかしら、マーズレッド。」 三田さん、嬉しそうに答えました。 「はい。まだ、材料あったと思うんで。」 三田さんと大森さん、バーラウンジのカウンターの方に行きました。 「すみません、また、場所、借ります。」 三田さん、バーラウンジのスタッフに断るとカウンターの中に入りました。材料を出して並べます。あと、グラスもひとつ借りました。 大森さんがその様子を見つめています。 三田さん、材料と氷をシェイカーに入れました。トップの蓋を閉めると、シェイカーを持って振り始めました。これは、先ほどの話の、もう少し後に覚えた2段振りというシェイカーの振り方なのだそうです。 シャカシャカというリズミカルな音が響きます。振り方もなかなか絵になっていて、格好いいバーテンダーの雰囲気が出ています。大森さん、嬉しそうな表情で、シェイカーを振る三田さんを見つめています。 三田さん、シェイクを止めると、シェイカーのフタを開けて、中のお酒をグラスに注ぎました。そして、ひと言。 「どうぞ、マーズレッドです。」 そっと大森さんの前に置きました。 「ふふふ。さすが、お店でバイトしてたから、きまってるわね。」 「ありがとうございます。」 「じゃあ、頂くわね。」 大森さん、ゆっくりとグラスを持ち上げると、ひとくち、飲みました。 「ありがとう。おいしいわ。」 マーズレッド。 このあと、バーラウンジの隠れた人気メニューになったのは言うまでもありません。 (つづく) 2023/11/25 はとばみなと
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■更新履歴 2023/11/25 登録