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■宇宙巡光艦ノースポール 第2章.宇宙巡光艇シーライオン 第2節.宇宙へ 西暦2054年8月20日。 午前9時。 空は雲ひとつない晴天です。季節は夏。8月も後半に入りましたが、北海道の人と自然は短い夏を精一杯満喫するかのように楽しんでいるのです。 シーライオンは専用ドックから浮上して、日高基地上空の夏空の中に静止して待機していました。 「宇宙に出れば天気なんて関係ないんだよね?」 小杉さんが素朴な質問をしました。 「そうね。でも、前に乗っていた観光シャトルは天気が悪い時は打ち上げを延期してたわ。」 ライラさんが教えてくれました。 確かに、ノースポール・プロジェクト以前のロケットの打ち上げでは、天気が悪い場合は打ち上げスケジュールは延期されていました。これまで使われてきたロケットは非常に巨大ですが、非常に繊細なシステムだったのです。 例えば風。 風が強いとロケットの進路が逸れてしまう可能性もあります。また、風に煽られて打上塔から外れて倒れてしまうという事故もあったようです。 そして雷。 ロケットには様々な電子機器も搭載されています。雷の影響でそれらが影響を受ければ誤動作の恐れもあります。 そのため、打ち上げ場周辺の天気が悪い場合は打ち上げは延期しなければならなかったのです。膨大な費用をかけて作り上げたロケットです。少しでも良いコンディションで打ち上げたかったわけですね。有人宇宙船の場合は安全性は特に重要です。 しかし、打ち上げ日程をずらすことが出来ない場合もあります。例えば火星探査機のように、惑星間を飛行する場合には、地球と、目的地の惑星の位置関係が重要になります。地球も、他の惑星も常に動いていますから、打ち上げのタイミングがずれると予定していた軌道では辿り着けなくなってしまうのです。 「シーライオンとノースポールは、超大型の台風の中でも問題なく飛行することが出来るはずですけどね。」 鵜の木さんはシートに深く腰掛けて両手を頭の後ろに回してリラックスしていました。 「でも、きっと、天気が良い方が飛んでいて気持ちいいですよね。」 鵜の木さんが付け加えるように、小杉さんとライラさんに言いました。やはり最後は私達人間の気持ちなのです。 さて、シーライオンはこれから月を目指します。もう間もなく日高基地から発進して、今日の正午前には月面に到着、着陸する予定なのです。 人類として初めての有人月面探査はアポロ計画です。1969年7月21日に、人類は歴史上初めて月面に降り立ちました。それから5回、宇宙飛行士が月面に降り立っています。ですから、アポロ計画では合計6回、人類が月面を歩いたことになります。 その次に有人月面探査が行われたのは、アルテミス計画。西暦2026年に、アポロ計画以来57年振りに人類は月面に足跡を残しています。その後も2027年、2028年、そして、2029年に宇宙飛行士が月面に降り立っています。ですから、アルテミス計画としては合計4回の有人月面探査を行っています。 実は、計画によればこのあとも月面探査を行って、平行して月軌道上にステーションを投入、その後の恒久的な月面基地建設の準備も行うというとても大きな計画でした。 しかし、実際には2029年の月面着陸が行われた後に計画は一時凍結されて、そのまま中止されてしまったのです。理由は経済環境の悪化による資金不足と、国際情勢の変化です。膨大な費用と国際間の協力が必要不可欠な宇宙開発は様々な環境の変化に対して非常に弱いのです。 私の席で着信音が鳴りました。基地からの連絡でした。私は川崎さんに伝えると通信をメイン・ディスプレイにつなぎました。 「ニコラです。地上側の準備完了です。」 今回は、シーライオンがいよいよ宇宙に出るため、その追跡作業も規模がだいぶ大がかりになるんです。その準備に手間取っていたようです。 「了解した。では、出発するよ。」 「航海の安全をお祈りしています。」 「ありがとう。」 通信が終わると川崎さんはシートから立ち上がって胸の前で腕を組みました。仁王立ちです。改まった声で指示しました。 「シーライオン、発進。」 小杉さんが復唱します。 「了解。シーライオン、発進します。」 ライラさん、右足を踏み込みました。シーライオンは音もなく静かに、しかし、力強く加速し始めました。日高基地と北海道の大地はあっという間に後方に見えなくなりました。速度はどんどん上がっていきます。 「上昇を開始します。」 ライラさんが両手で握る操縦桿を少しずつ手前に引き寄せました。シーライオンは艦首を上げて上昇を始めました。青空の中を上昇していく真っ白い船体のシーライオン。高度をぐんぐん上げていきます。 「高度50を越えました。」 単位はKmです。つまり、高度50Kmです。富士山もエベレストも、もう遙かに下ですが、ここはまだ地上です。国際的な定義では高度100Kmより上が宇宙と決められているのです。 ちなみに、逆に、宇宙空間から地球に戻ってくる場合には、高度120Kmの辺りから大気との摩擦熱で機体が炎に包まれます。映画やアニメでもよく描かれる『大気圏突入』ですね。 地球上で直線距離で例えると120Kmは、東京駅から、静岡県の冨士川辺りの距離になります。以外と近いような気もしますが、この短い距離を駆け上って宇宙に飛び出したり、逆に、宇宙空間からこの短い距離を通り抜けて地上に戻ってくることに、人類は並々ならぬ苦労をしてきたのです。 「まもなく、高度100を越えます。」 小杉さん、そう報告すると一瞬視線を上げました。 「あっ、空の色が変わっていく。」 ほんとです。私も初めて見ます。鵜の木さんも興味深そうに窓の外を見つめています。空が段々と暗くなっているんです。 「そうね、100Kmを越えると、周りはもう真っ暗ね。地上が青く輝いて見えるの。」 ライラさんが説明してくれました。小杉さんも鵜の木さんも、そして、私も、 「へー。」 です。 そう言っている間にも周囲はどんどん暗くなっています。青空はどんどん下の方へと遠ざかっています。 「すごいや。これが宇宙なのか。」 端末を確認したライラさんが報告しました。 「高度100を越えたわ。」 そして、小杉さんに向かって笑顔で言いました。 「ようこそ、宇宙へ。」 小杉さん、一瞬の沈黙の後、少々興奮気味に言いました。 「すごい、すごいよ。宇宙に来たんだ!」 シーライオンと私達は、ついに宇宙に足を踏み入れたのです。いえ、踏み出したのです。 シーライオンはさらに上昇を続けました。 「高度200。」 「あっ、左見て下さい。」 私は左舷方向を指さしました。 「あれって、もしかして。」 「オーロラですね。」 だいぶ遠くですが、赤や青に輝く光の雲かカーテンのようなものが見えます。 「あんなにきれいなんだ。初めて見たよ。」 「私も、そんなに何度も見たことないわ。これで3回目くらいかしら。」 「うん、私も初めてだ。確かに美しいな。」 遠くだったので大空に広がる雄大なカーテン、といった趣はなかったのですが、その輝きは本などで紹介されているとおり、とても神秘的なものでした。 「現在、高度300。間もなく400に達します。」 ライラさんが報告しました。外はもう真っ暗です。そして、眼下には青い地球が輝いています。 「高度400。周回軌道に入ります。」 ライラさん、操縦桿のサブコンソールを何度か叩きました。 「ドライブパネルの推力カット。艦の姿勢、正常、予定の軌道に載りました。」 高度400。かつて、人類唯一の宇宙ステーション、ISSが地球の周りを巡っていた高度でもあります。そのISSは、人類の宇宙技術の進歩に大きな功績を残しながらも、老朽化のため退役したのです。 時に、西暦2031年のことでした。 その、大気圏突入の光跡は世界中の人が見守り、そして、別れを惜しんだのでした。 川崎さんが席から立ち上がりました。 「よし、みんな良くやった。ひとまず休憩、と言いたいところだが、不動君。」 「はい。」 そうです。シーライオンが周回軌道に入ったら、まず私の仕事があるのです。 「『バリア・システム』だな。準備は出来ているか?」 バリア・システム。 文字通り『バリア』です。しかも、VMエネルギーを応用して開発した現在世界のオリジナル装備なのです。『未来の宇宙船』にも搭載されていませんでした。比較的簡単に開発出来たので、なぜ300年後の世界で実現出来なかったのか疑問ですが、ひとまず、現在の私達の作り出したオリジナルシステムなのです。シーライオンとノースポールはもちろん、これから建造される宇宙船には標準装備される予定になっています。 「準備完了しています。」 私はバリア・システムの監視用コンソール画面を見ながら答えました。シーライオンには合計8機のバリア・フィールド・ジェネレータが装備されています。上甲板前寄りの左右両舷、後ろ寄りの左右両舷、そしてこれと対象に艦底部にも4機設置されています。これらのジェネレータからシーライオン全体を包むようにバリア・フィールドを発生させるのです。ちなみに、8機のジェネレータのうち4機が正常に稼動していれば、シーライオン全体を包むことが可能です。 「よし、バリア・システム起動。」 「了解です。」 私は画面上の起動ボタンを押しました。 「バリア・フィールド展開開始・・・、」 画面上に描かれたシーライオンの側面図上でバリア・フィールドが広がっていく様子が表示されます。展開はあっという間です。1秒か2秒ですね。 「展開完了しました。バリア・フィールド・ジェネレータ全機正常に稼働中。VMリアクタの出力に変動ありません。」 「よし。」 川崎さん、ホッとしたように小さく頷きました。そして、あらためて私達に指示しました。 「シーライオンはこれから30分間、現在の軌道に留まる。まずは各自担当のシステムチェックを頼む。問題なければ作業の終わった者から休憩を取ってくれ。」 「了解しました。」 みんな、自席のコンソールでチェックを始めました。 なお、今後シーライオンは宇宙空間を航行する際は、ほぼ必ずバリア・システムを展開する予定です。宇宙空間に漂う細かな岩石などとの衝突に備えるためです。何しろシーライオンはこれまでの宇宙船とは比較にならない高速で航行するのです。相対速度も高くなりますから、ごく小さな物体と衝突しただけでも大きく損傷する可能性があるのです。 「どちらかというと、地球の周りが一番危険だと思うんだよね。」 鵜の木さんがスチール缶の飲み物を一口飲むと呟きました。 そうなんです。 実は地球の周りの宇宙空間には、ものすごい数の浮遊物が漂っているんです。『デブリ』と呼ばれている、ぶっちゃけ、『ゴミ』です。 「人工衛星や探査機を打ち上げた時に出るゴミだよね。」 燃焼を終えて切り離されたエンジンや燃料タンクなどの区画や、打ち上げ時に衛星などの搭載物を覆っていたカバーなどが、放置されたまま漂っているのです。 「もちろん、打ち上げの時にはできるだけデブリを出さないように、大気圏に突入して燃え尽きさせるようにするんだけどね。」 「失敗する場合もあるし、中にはそんなことにお構いなく破片をばらまきながらロケットを打ち上げる国もあるし。」 宇宙空間で遭遇する可能性のある物体は他にもあります。 「軍事衛星ですね。」 何しろ、具体的な内容が公開されないまま、打ち上げられるのです。軌道も秘密なのです。正直なところ、いつ出くわすか分からないのです。 その時、私の席の端末でアラームが発報しました。 「どうした、バリア・システムの異常か?」 川崎さんが鋭く質問しました。 「いえ、違います。接近警報です。」 何らかの物体がシーライオンに接近していることを伝えるアラートです。 「・・・、人工衛星です。ライブラリに・・・、該当データなし。軍事衛星ですね、きっと。衝突の危険はありません。」 私はアラートを解除しました。 「言ってるそばからだな。」 まったくです。地球の周辺であっても、予想外に危険なのです。 幸い、それ以降は接近警報はありませんでした。シーライオンは静かに周回軌道を巡りました。 「それにしても、」 川崎さんが低い声で呟きました。 「どうかしましたか?」 鵜の木さんが尋ねました。 「いや、余りにも呆気なかったのでな。」 「呆気ない、ですか?」 鵜の木さんも私も、川崎さんの言おうとしている意味がわかりませんでした。 「私もそう思いました。」 ライラさんには、呆気ない、という川崎さんの言葉の意味が分かったようです。 「うん、ライラには分かるはずだ。」 「はい。」 鵜の木さんと私は顔を見合わせました。小杉さんも不思議そうな顔でこちらを見ています。 川崎さん、真面目で、かつ、感慨深そうな表情で話し始めました。 「地上から飛び立って、大気圏を抜けて、衛星軌道まで来るというのは、これまでは、とてつもなく困難な一大事業だったのだ。」 なるほど、なんとなく分かってきました。 「巨大なロケットを作って、大量の燃料を燃焼させて噴射して、尋常でない音と振動とGに耐えて、やっとの思いで衛星軌道に辿り着くのだ。もちろん、天文学的な費用と何年もの準備期間が必要だ。しかも、ロケットは使い捨てだ。まあ、再利用する試みもあるにはあったが。」 その通りです。宇宙開発はとにかく金食い虫だったのです。ロケットを一度作ればそれで済むというものではなかったのです。なので、実質的には大きな経済力を持つアメリカとロシア、当時のソビエトの独壇場だったのです。良い意味か悪い意味かは分かりませんが、この2国の競争があったからこそアポロ計画も実行されたと言って良いのではないでしょうか。 「私のいた会社でも打ち上げ用のロケットは使い捨てでしたね。」 ライラさんが、記憶を辿るように話し始めました。ライラさんは、ノースポール・プロジェクトに参加する前は、地上と宇宙ホテルの間で宿泊客を運ぶシャトルのパイロットだったんですね。 「最初は使い終わったロケットをパラシュートで海に落下させて回収していたんですが、再整備するのも費用がかかるし、耐久性も問題になるし、だったら使い捨ての方が信頼性を高くできるって結論になったらしいですね。一般のお客さんを乗せてましたから。安全な飛行が最優先、というか絶対でした。」 そうですね。商用で一般のお客さんを乗せての宇宙飛行となれば、やはり、安全が最優先となるでしょう。 かつて、再利用可能な宇宙船として大活躍したスペースシャトルが、以外と早く退役した理由の1つも、安全性を維持するためのコストや手間がかかりすぎるからだったと聞いています。 再び、川崎さんが話し始めました。 「もちろん、ノースポール・プロジェクトもこれまでの宇宙開発と同じように長い時間と多額の費用をかけているわけだが、その成果となる、シーライオンもノースポールも、もはや、再利用どころか、地上と宇宙の間を何度でも自由に往復できるという前提で設計されて建造されているのだ。そして今日、そうして作られたシーライオンが、初めて地上を離れて宇宙空間に達したわけだが、シーライオンにダメージはない。しかも、初めてとは思えないほど易々と大気圏を突破して周回軌道まで達したのだ。我々人類は、何度でも使用可能で何の苦労もなく地上と宇宙を行き来できる宇宙船を、ついに完成させたのだ。」 川崎さん、普段は寡黙なのに珍しく熱弁を振るってます。よほど感動しているのでしょうか。 でも、それこそが私や鵜の木さんや、他の大勢のエンジニアの人達が夢見ていた宇宙船なんです。自由に宇宙を旅することが出来る宇宙船が、ついに産声を上げたのです。 そんな画期的な出来事なのだということも意識させないほど、当たり前とでもいうように、シーライオンは何の問題もなく、ただ静かに周回軌道を回っていました。 当たり前、と言えば、もう一つ画期的なことがあります。 「そうだな。重力があることだな。」 川崎さんも、うっかり忘れていたかのように言いました。 シーライオンには人工重力システムが装備されているのです。もちろん、ノースポールにも搭載されます。なので、宇宙に来たというのに、シーライオンの艦内は重力があるのです。 「そうだよね。地上にいるときと同じように歩くことが出来るし。」 小杉さん、席から立ち上がって歩いて見せてくれました。 「飲物も普通に飲めます。」 隣の席の鵜の木さんがコンソールの横に置いてあるペットボトルを取るとフタを開けて飲んで見せました。中身はお茶のようです。 これからは、宇宙でも重力があることが普通になるのです。 すごいですね。 システムの点検を終えて一旦席を外していた小杉さんがブリッジに戻ってきました。席に戻ってシートに座ろうとしましたが、窓の外を見ているライラさんに気付きました。 「何見てるの?」 ライラさん、窓から眼下の地球を見つめているようです。 「うん、ちょうど西海岸の上を飛んでいるのよ。うちはどの辺かなと思って。」 小杉さんも窓のそばに行くと窓の外の地球を眺めました。 「ほんとだ。アメリカ大陸だ。」 窓の外、眼下の地球上には北米大陸が見えていました。まさに、地図で見るとおりの形の大陸が横たわっています。 「ライラの家、サンディエゴだっけ?」 「ええ、そうよ。」 サンディエゴは西海岸のロサンゼルスより少し南にある都市です。アメリカのお隣のメキシコと接している国境の町です。 「海軍の基地があるんだよね?」 「そう。太平洋艦隊がいるの。お父様の艦もね。」 ライラさんの家は軍人の家系なのです。 「私以外の家族はみんな軍人なの。」 「へー、そうなんだ。」 西海岸は今日は良い天気のようです。大きな雲も見当たりません。なんか、天気予報でよく使われる気象衛星から撮影した写真の本物をまさに自分の目で直接見ているようです。 「よし、そろそろ、時間だな。」 川崎さんが腕時計を見ながら言いました。 「全員、準備はいいか?」 「はい。」 みんな、声を揃えて答えました。 「うん。ライラ、周回軌道を離脱しよう。月へ向かうぞ。」 「了解です。」 シーライオンは地球の周囲を巡る軌道を離れました。目的地は月です。地球を左に見ながら、そして、地球からは遠ざかりながら、大きく弧を描くように地球の反対側へ回り込むように進みます。 「あれっ、」 みんな声を上げました。急に暗くなったんです。シーライオンが地球の影に入ったんです。丸い地球を太陽が照らしているので光の届かない反対側は夜になるのです。 「今見えている暗くなっている部分にいる人達にとっては、今は夜ってことなんだね。」 もちろん、夜に仕事している人もいらっしゃるかとは思います。それを示すように暗い地表のあちこちに明るい光点が見えます。 小杉さんは、あの夜を思い出しました。偶然、深夜勤務をしたあの夜。その勤務中に夜空を横切る大きな火球を目撃した、あの夜。 「あれが『未来の宇宙船』だったんだよな。」 あの夜から運命づけられていたかどうかは分かりませんが、事実、今の小杉さんは、その『未来の宇宙船』で見つかった未来の技術で作られたシーライオンに乗っているのです。 そんなことを考えると、メインディスプレイに何か図が表示されました。 「自分で自転している地球を太陽が照らしているんです。だから、影の部分から日の当たる部分に出てくると朝になって、それで、今度は日の当たる部分から影の部分に入ると夜になるんです。」 とてもシンプルな図です。以外と、こういう図ってないんですよね。画面に表示されている 図も鵜の木さんがアドリブで書いたものなんです。 「そうだ。地球はこの宇宙に誕生して以来、もう45億年もその繰り返しを続けてきたのだ。当然、我々人類もそのリズムの中で進化して、様々な文化を発達させてきたのだ。」 その川崎さんの言葉を聞いて、私の中に大きな疑問の雲がムクムクと湧いてきました。 「て言うことは、地球人は、自転周期が15時間とか、40時間の星に住むことはできるのでしょうか?」 仮に自転周期が40時間の星について考えてみると、昼と夜は20時間ずつになります。ということは、その星に住むとしたら、毎日20時間以上は起きていて仕事や学校、家事などの作業をやらないといけないのです。 地球は、昼と夜が12時間ずつです。ということは、自転周期が40時間の星では、私達は一日あたり8時間以上も長い時間起きていて活動しなければなりません。逆に夜は地球で生活するよりも8時間も長く眠らなければならないのです。 「そんなこと、出来るんですか?」 小杉さんが早くも音を上げたような声で言いました。確かに、私もきついと思います。 「僕達の体の中のリズムとその星のリズムが合わなくて、体調を崩してしまう気がしますね。」 鵜の木さんも同じ意見のようです。 「となると、単に地球に似た大気や気候を持つだけでは、第2の地球にはなれないと言うことになるな。」 川崎さん、右手で顎を触りながら考え込んでいます。これまで、第2の地球を語る時にはあまり話題になることのなかった新しいテーマなのかもしれません。 「小杉って、いつも何時頃寝るの?」 ライラさんが質問しました。 「うーん、だいたい11時前かなあ。」 「以外と早いのね。朝は何時に起きるの?」 「6時・・・くらいだと思うよ。」 睡眠時間7時間。とっても健康的な生活してるんですね、小杉さん。 「寝るまでの間の時間て何してるの?」 ライラさん、小杉さんのだいぶ深いところを質問してきました。 「いろいろだよ。テレビ見てることもあるし。ネット見てることもあるし。」 「トレーニングしたりとかも?」 「もちろん。でも、どちらかというと静かにしていることが多いかな。」 へー、意外です。小杉さん、仕事が終わった後はストイックにトレーニングしてるのかと思いました。 「あ、月だ。」 小杉さんが指さしました。地球の向こう側から月が姿を現し始めたのです。シーライオンは日高基地を発進した後、太平洋上を東に進みながら上昇したのです。地球を北極側から見ると、シーライオンは地球を反時計方向に回るようにして宇宙に出たことになります。その後もほぼ同じ進路を維持して、地球から遠ざかりながら左回りに進みました。 「シーライオンが発進した時には月は日本から見ると地球の裏側にいたんですね。その月を左回りで追いかけて、やっと見えてきた感じですかね。」 鵜の木さんがメインディスプレイにシーライオンの予定航路図を表示して説明してくれました。鵜の木さん、ついさっきも即席の図で説明してくれたのですが、今度の図もとても分かりやすいんです。しかも、あっという間に作ってしまうんです。さすがです。私も見習わないと。 それにしても速いです。日高基地を発進してからまだ1時間ほどなんです。 「初めて月に着陸したアポロ11号は打ち上げてから月に着くまでに3日かかったそうです。」 それを聞いた小杉さんが端末を確認すると私の方を向いて言いました。 「僕らは、あと1時間くらいで月に着くんですよね?」 「はい、そうです。」 それを聞いた川崎さんも呟きました。 「トータルでも2時間か。しかも、今回は周回軌道上で30分間待機したからな。」 私も今回のプランを元にして計算してみました。 「地上を発進して月まで直行すれば1時間ちょっとで着けそうですね。スピードを上げれば1時間を切るかも。」 「そうなると、東京から大阪に行くのと変わらんことになるのか。」 ちなみに、リニア新幹線での話です。今から3年前の2047年に東京から大阪まで開通したんです。いろいろ紆余曲折があって、計画からは10年遅れだとか。でも、東京から大阪まで最高速度約500Kmで走って、所要時間は約1時間。そのため、羽田空港と大阪の伊丹空港を結んでいた航空路線は大幅に減便。リニア新幹線の今後の本数増加によっては完全撤退もあるとか。日本の交通体系にも大きく影響を与えているようですね。 閑話休題。 気が付くと、月の姿はどんどん大きくなっていました。 「あと5分で月の周回軌道に入ります。」 ライラさんが報告しました。すごいです。もう月に着いてしまうんです。ほんと、あっという間です。 「周回軌道に・・・、入りました。」 小杉さんも端末で確認しています。 「確認しました。月面から高度300Kmの円形軌道にのっています。全艦、異常ありません。」 「よし。」 川崎さん、席から立ち上がると左舷側の窓の前に立ちました。まるで壁のように月面が広がっています。 「さすがにこの距離からだと迫力があるな。」 それまで端末に向かっていた鵜の木さんもシートを左舷側に向けると間近に見える月面を見つめました。 「すごいや。こんなに近くから月を見れるなんて。」 月。 地球の周りを巡る唯一の衛星です。直径は3,474Kmで地球の約3分の1。地球から約38万Km離れた軌道を約28日で公転しています。自転周期も同じく約28日。なので、月は常に同じ面を見せて地球の周りを巡っています。 「だから、地上から月を見ると、いつでも同じ模様が見えるんですね。」 「日本ではうさぎに見えるんでしょ?」 ライラさんが小杉さんに聞きました。 「うん、そうだね。でも、ぼくはそこまで熱心に見たことないんだけどね。」 小杉さん、少し恐縮気味に答えました。まあ、確かにそのとおりですね。月といえども、肉眼では細かな模様まではなかなか見えないし、かと言って誰でも望遠鏡を持ってるわけではないですしね。 「でも、すごいや。何か不思議な力みたいなものを感じる気がする。」 小杉さんが呟きました。いえいえ、そんな力はないと思います。もちろん、月にも重力はありますが、小杉さん、それを感じてるのでしょうか? あと、これもみなさんご存じと思いますが、月には空気はありません。水については最新の研究では氷の形で存在しているとも言われていますが、まだ実際には見つかっていません。なので、月面は基本的には、生物の存在を許さない死の世界なのです。 「白と黒のグラデーション。青も緑も赤も、何もないのね。」 宇宙飛行の経験を持つライラさんにとっても月は未知の場所なのです。 シーライオンのブリッジは静寂に包まれていました。全員、取り付かれたかのように月を見つめ続けました。 川崎さんが大きくため息をつくと、私達の方を向きました。 「仕事に、取りかかろうか。」 そうです。私達、実は結構忙しかったりするのです。 「オペレーション室に行きます。」 そう言いながら鵜の木さんが立ち上がると、ブリッジを出て行きました。月での最初の仕事は、オービット・アイの放出です。 『オービット・アイ』とは、ノースポール・プロジェクトで新しく開発した無人探査機です。観測対象の星の周回軌道に投入して、軌道上から観測を行うのです。今回は月の周回軌道に投入して、月の観測も兼ねて機能の確認を行います。 これまで使われてきた無人探査機は例えば搭載している軌道修正用の燃料の制限などにより寿命がありました。しかし、オービット・アイはその心配はありません。エネルギー源として『VMジェネレータ』を搭載しているのです。VMジェネレータとは超小型化したVMリアクタです。出力はかなり小さいのですがVMリアクタと同じように半永久的にエネルギーを発生し続けることが出来るのです。このVMエネルギーでドライブパネルを駆動することで軌道修正や近距離の移動も可能なのです。 鵜の木さんは、ブリッジ後方の左舷側にあるオペレーション室に入ると端末の前に座りました。 オービット・アイはシーライオンのカーゴルームに積んであります。シーライオンは船体の後ろ半分ほどがカーゴルームになっていて、惑星探査用の無人探査機や他にも様々な荷物を搭載できるのです。また、ロボット・アームも搭載していて荷物の積み下ろしなどの作業に使うことができます。 「まずは、オービット・アイ起動、と。」 鵜の木さんはキーボードを叩きました。画面をメッセージが流れます。 「・・・、よし。装備のステータスは、と。」 再びコマンドを実行します。画面にウインドウが開いて、オービット・アイのイメージ図と供に搭載している観測機器やVMジェネレータの状態が表示されます。 「よし、オール・グリーンと。」 ことば通り、すべてのステータスが緑地に白い文字でOKと表示されています。 「不動さん、いる?」 「はい、います。」 ブリッジのスピーカーから鵜の木さんの声が流れました。 「オービット・アイの起動完了。ステータスもOK。そっちでも見えてるかな?」 私も自分の端末にオービット・アイのモニタ画面を開いていました。鵜の木さんの言う通り、ステータスは全部グリーンです。 「はい、私の画面でも全部OKです。」 「了解。小杉さんいますか?」 今度は小杉さんが呼ばれました。もちろん、統括席で待ち構えています。 「はい。います。ハッチ開きますか?」 「はい、お願いします。」 「了解。カーゴルームの上部ハッチを開きます。」 小杉さん、既に開いておいた画面の『OPEN』と書かれたボタンを押しました。 その操作に従って、シーライオンのカーゴルームの天井部分が縦に割れて、左右に開き始めました。 鵜の木さんは小杉さんに伝えました。 「ハッチが開き始めました。」 「了解です。こちらでも外部カメラで見てます。」 ブリッジのメイン・ディスプレイにハッチの開く様子が映っていました。5秒ほどでハッチが開ききりました。 「ハッチオープン完了。」 小杉さんが報告しました。 「了解。オービット・アイを出します。」 鵜の木さんがキーボードからコマンドを入力しました。 「えっと・・・、よし、OK。」 入力内容を確認すると実行キーを叩きました。 間もなく、カーゴルームの一番後ろの区画から8角形の機体が浮かび上がりました。 オービット・アイです。 8角形の機体のうち4面の側面にドライブパネルが埋め込まれていてこれで観測ポイントまでの移動や姿勢制御を行います。他の4面には観測用のセンサーやカメラが搭載されています。また、機体の上下には円形のカバーが取り付けられていて、その中には通信用のアンテナが格納されています。 「オービット・アイ、準備完了しました。発進させます。」 「うん、頼むよ。」 川崎さんが答えました。 「了解。」 鵜の木さんがそう答えると、シーライオンのカーゴルームの上に浮かんでいたオービット・アイが左舷方向に移動を始めました。最初はゆっくりと、そして、だんだんと速度を上げてシーライオンから離れていきます。 「オービット・アイ、所定の軌道に向けて移動中。」 すぐに、オービット・アイは見えなくなりました。ひとまず、投入完了です。この後は日高基地からコントロールする予定になっていました。ですので、シーライオンの仕事としては終了です。 鵜の木さんがブリッジに戻りました。 「ごくろうさん。」 川崎さんは鵜の木さんに声を掛けると全員に向けて指示を出しました。 「よし。では、月面に降りよう。」 「了解。降下します。」 ライラさんは右足を踏み込みました。シーライオンは水平の姿勢を保って前進しながら高度を下げ始めました。 月面に向かうんです。 かつて、アポロ11号は静かの海の南の端に着陸しました。そして、17号は同じ静かの海の北の端に着陸しています。 「我々が目指すのは晴れの海の北の端だな。」 川崎さんが呟きました。 「はい。この辺りです。アポロ計画でもアルテミス計画でも着陸していない、有人探査が行われた中では最も北よりの場所になります。」 鵜の木さんがメイン・ディスプレイに月面の地図を表示して説明しました。私達が目指す晴れの海は、アポロ11号と17号が着陸した静かの海の北の隣なんです。月面の地図で見ると静かの海の上側に隣接しています。直径は約700Km、面積は約31万平方Kmです。 「現在、高度200。」 月には大気圏はないので、降下する時に船体が炎に包まれることはありません。風に煽られることもありません。シーライオンは音もなく、振動もなく、まるでエレベータが下がっていくように 静かに高度を下げていきます。 「高度100を切ります。」 ほんと、静かです。外の空の色が変わるわけでもありません。高度が下がっても暗くてたくさんの星が輝く夜空のままです。かといって、シーライオンの降下している場所が夜の領域というわけではありません。昼間の領域です。太陽も見えます。たくさんの星も見えるし、太陽も見える。それが宇宙空間の普通の景色なのです。 「高度50。」 シーライオンは順調に降下を続けました。 「VMリアクタ、出力正常。」 「シーライオン、異常ありません。」 鵜の木さんと小杉さんが報告しました。 「バリアシステムはどうだ?」 川崎さんが私に尋ねました。 「はい、問題ありません。」 「そうか、良かった。」 「そろそろ、バリアシステムを解除しますか?」 月の周辺は、地球の衛星軌道上に比べるとデブリのような障害物は極めて少ないはずです。シーライオンの速度もそれほど速くないし、バリアシステムは解除しても良いように思うのですが。 「そうだな。よし、バリアシステムを解除。」 「了解しました。」 私はバリアシステムのモニタ画面を開くと解除ボタンにタッチしました。・・・、と言っても音とか振動を感じるわけではありませんが。 「高度、1万を切りました。現在、9,000m・・・、8,000m・・・、」 ちなみに、月面にも山があります。最も高い山は、月の赤道付近のアペニン山脈にあるホイヘンス山です。標高は約5,500mです。地球では標高8,848mのエベレストが最高峰ですのでそれよりは、やや、低いんですね。でも、富士山と比べるとだいぶ高いです。 さて、シーライオンはいよいよ地表間近まで降下しました。間もなく高度100mです。その先は、高度を維持して水平飛行に移る予定です。 「現在の高度・・・、100m。降下停止。水平飛行に移ります。」 「うん、了解した。今、どの辺だ?」 私はメインディスプレイに月面図を表示しました。 「ここです。雨の海の南東側、アペニン山脈の麓に沿って飛んでいます。あの、左舷に見えてます。」 私は窓の外を指さしました。 「左舷に見えるあの山脈がアペニン山脈です。あの向こう側に雨の海が広がっています。」 「なるほど。だいぶ険しい山のようだな。」 「あっあれ、たぶんあそこの高いのがホイヘンス山です。月面の最高峰ですね。」 「へー。」 なんか、観光旅行しているような感じです。いえ、きっと近いうちに月旅行も当たり前の時代になるのです。 シーライオンは滑るように飛行しました。眼下を大小様々なクレーターや、岩石の散らばる荒涼とした地形が流れてゆきます。 「前方に晴れの海を確認。距離5千。」 少しするとなだらかな地形に変わりました。晴れの海に入ったようです。 「速度を落とします。」 ライラさんが足下左のペダルを軽く踏みました。シーライオンが減速してゆきます。 「そろそろ目的地です。・・・停止して下さい。」 私はライラさんにお願いしました。シーライオンは速度を落として、そして月面上空に静止しました。 平原と言えば良いのでしょうか。岩石などの障害物のほとんど見当たらない平らな地形が広がっています。北に当たる方角のやや遠くには起伏のある地形が広がっているようです。平原のような地形なので着陸するのは安全なのですが、少々変化に乏しいかもしれません。 「もう少し北へ行ってみませんか? 平原のど真ん中というのもなんかつまらない気がします。」 鵜の木さんがそう提案しました。私もメインディスプレイに投影している地図上で着陸場所を提案しました。 「ここから、もう5キロくらい北のこの辺りはどうでしょうか。ここなら、晴れの海の北側の険しい地形にも近いと思います。」 川崎さん、頷いてます。 「よし。その地点に決めよう。ライラ、移動を頼む。」 「了解です。」 低速で移動します。車で走るくらいの速度です。前方少し先に見える険しい地形がゆっくりと近づいてきます。 間もなく、目的地に到着しました。ライラさんが私の方を向いて言いました。 「場所だけど大丈夫かしら?」 「はい。大丈夫です。」 その会話を聞いて川崎さんが指示しました。 「ライラ、着陸しよう。」 「了解。着陸します。」 「慎重に頼む。」 川崎さんが念を押すようにライラさんに頼みました。 「はい。」 ライラさん、操縦桿のサブコンソールから着陸用の設定を呼び出します。そして、 「降下開始・・・」 ライラさんは慎重に高度を下げます。 「50・・・40・・・、」 シーライオンはゆっくりと高度を下げていきます。 「地表に障害物なし。」 小杉さんが艦底部カメラで着陸地点の映像を見て報告しました。もう、表面は間近です。 「ランディングギアを出します。」 シーライオンの艦底部から6機のギアが伸ばされました。 「20・・・10・・・、制動、」 降下速度がさらに遅くなりました。動いているかどうかも分からないほどです。 次の瞬間、シーライオンが僅かに振動しました。ライラさんが端末を叩きます。 そして。 「速度ゼロ。着陸しました。」 続けて小杉さんも報告します。 「着陸を確認しました。全艦異常ありません。」 ブリッジ内にためいきがもれました。川崎さんが立ち上がりました。 「みんな、よくやった。人類は26年振りに月に戻ったのだ。ありがとう。」 みんな、拍手しました。私達は人類として11回目の月面着陸に成功したのです。 時に、西暦2054年8月20日、 午前11時45分のことです。 (つづく)
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■更新履歴 2022/12/25 登録