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■宇宙巡光艦ノースポール 第4章.金星 第3節.金星の森 2055年1月11日 午前9時 シーライオン艦内。 「おはよう。今日1日よろしく!」 「あ、カールさん、よろしくお願いします。」 大きな通る声で挨拶しながらシーライオンのブリッジに入ってきたのはカールさんです。一昨日、地球から金星までの航海中に、レオン君共々、ノースポールの姿勢制御を試したのは記憶に新しいところです。 「カールさん、調子はどうですか?」 「ああ、ばっちりだよ。俺はもともと戦闘機乗りだからね。小さい機体ならお手の物だ。」 「そうですね。じゃあ、準備、お願いします。」 「ああ。任せてくれ。」 そうなんですね。カールさんはもともとドイツ空軍で戦闘機のパイロットとして活躍していたのです。しかし、そろそろ現役のパイロットとして活躍するのは厳しくなってきたところに、ノースポール・プロジェクトからのオファーが入り、二つ返事でOKしてくれたのです。 「すいませーん、ちょっと遅れちゃいましたー。」 と、カールさんにも負けない大きな声で謝りながら、ヒールの音も軽やかに駆け込んできたのは池上さんです。池上さん、ブーツ大好きっ娘で、今日も膝下丈のロングブーツを履いてます。ヒールもちょっと高めです。 もちろん、ノースポールとシーライオンの艦内は暑くも寒くもない快適な気温に調整されていますので、ブーツを履かなくても寒くないはずなので、ファッションですね。似合ってると思うし、良いのではないでしょうか。ちなみに、池上さんは一昨日には金星の衛星の第一発見者になりました。たぶん、命名権もゲットすると思うのですが、どんな名前を付けてくれるのでしょうか。 「よし。じゃあ、各自状況報告頼みます。」 艦長席に座る小杉さんが、みんなに指示しました。 「えっと、VMリアクタ正常。バリアシステムも正常。その他船内システム異常なし。」 「通信システム異常ありません。」 「航海システム異常なし。いつでも出れるぞ。」 「索敵システム、火器管制システム異常なし。シーライオン、全艦異常ありません。」 鵜の木さん、池上さん、カールさん、中原さんがそれぞれ報告しました。 「よし、中原、係留バースを減圧してもらって。」 「了解です。不動さん、」 つないだままの通信回線を通じて、ノースポールのブリッジのスピーカーから中原さんが私を呼びました。 「はい、不動です。」 「係留バースの減圧をお願いします。」 「了解。減圧開始します。」 端末からコマンドを実行します。係留バース内の大気圧を示すプログレスバーの赤い部分が短くなっていき、最後に表示がなくなります。大気圧ゼロです。 「減圧完了しました。」 「続けて、係留バースの艦底部ドアを開放、シーライオンの係留アーム解除、」 「お願いします。」 再びコマンドを実行します。係留バースを覆う大きなドアが左右に開いていきます。開ききるのを待たずに次のコマンドも実行すると、シーライオンを支えていたアームがバース内の壁側に折り畳まれて、シーライオンの固定が解除されます。 シーライオンが一瞬僅かに揺れました。 「艦底部ドア開放完了。シーライオンの係留アーム解除の解除も完了しました。」 私の連絡を聞いた中原さんが小杉さんに報告します。 「小杉さん、シーライオン、降下準備完了。」 「了解。カールさん、シーライオン降下。外に出ましょう。」 「よしきた。」 カールさんの操作に応えるようにシーライオンがゆっくりと降下を始めました。係留バースの通路が上へと上がっていきます。 ノースポールの外に出ます。 シーライオンは宇宙に包まれました。 「降下完了。」 カールさんの報告を聞いた小杉さんが川崎さんに伝えます。 「艦長、シーライオン、準備完了しました。発進します。」 川崎さん、念押しです。 「人類初の有人惑星探査だ。無理はせず、気を付けて行ってきてくれ。」 「了解です。」 「舞ちゃん、いってらっしゃい。」 大森さんのお見送りのことばに舞さんが元気に返事しました。 「はーい、行ってきまーす。」 川崎さんももちろんですが、みんなきっと、心配してるんだと思います。ノースポールも順調に稼動しているし、シーライオンは川崎さんの指揮のもと月面探査の実績もあるわけですが、何しろここは地球ではなくて金星なのです。地球の人はまだ一度も来たことのない金星なんです。何があるのか、何が起こるのか、ぶっちゃけわからないんです。 気が付くと、私も胸の前で両手を握ってお祈りしていました。 シーライオンのみなさん、 『絶対、無事に帰ってきて下さい!!』 みんなが祈る中、小杉さんの力強い声が響きました。 「シーライオン、発進!」 シーライオンはゆっくりと発進。そして、徐々に速度を上げながら遠ざかっていきました。 「もうすぐ降下開始地点だ。バリアシステム頼む。」 ここまでは金星の雲の上を飛んでいましたが、降下を開始して金星を厚く覆う雲の中に突入するのです。 「了解。バリアシステム、展開しました。」 金星には強酸性の硫酸の雲があると言われています。でも、バリアシステムを展開すれば一安心です。 「よし、雲の中に入るぞ。」 「カールさん、頼みます。」 窓の外の視界が一気に悪くなりました。 「現在の高度68。水素イオン指数は2。うーん、地球での観測通り、周りは硫酸の雲ですね。強酸性です。」 「硫酸て、シーライオン、大丈夫なんですか?」 池上さん、心配そうです。 「もちろん。バリアシステムを展開してるからね。硫酸の雲でも塩酸の雲でも問題ないよ。」 「へー、すごいんですね。」 鵜の木さんがしっかり応えてくれました。 「高度60。」 高度計の表示する値が少しずつ下がっていきます。 「高度50。もう少しで硫酸の雲を抜けます。」 地球からの観測では、硫酸の雲は高度40から70Kmの間とされています。それが正しければあと少しで抜けることが出来ます。 「高度40。硫酸の雲を抜けました。水素イオン指数上がります。現在5.5。」 視界が開けました。 「水素イオン指数は6.8。ほぼ中性です。」 ブリッジ内が少し安堵した雰囲気になりました。池上さんがブリッジの窓の外の景色を見ています。 「金星って、なんか、暗いんですね。」 「うん。でも、地球から見ると金星ってとても明るく見えるよね?」 「そ、そうなんですか?」 おやっ、舞さん、地球から金星を見たことがないのでしょうか。 「えっと、『明けの明星』とか『宵の明星』って聞いたことないですか?」 「それ、なんか、聞いたことあります。」 そうそう、それです。 「えっと、『明けの明星』も『宵の明星』も金星のことなんです。」 「えっ? 金星って本当は2つあるんですか?」 「あっ、いやいやいや、そうじゃなくて、」 は、はははっ・・・、鵜の木さんが池上さんの質問に手こずってますので、みなさんには私から説明します。 金星と水星の2つの惑星は地球よりも太陽に近い軌道で太陽の周りを回っています。つまり、この2つの惑星は地球から見ると常に太陽のそばに見えるのです。 一方、地球の太陽に近い側は、太陽の光が当たっています。つまり、昼間なのです。晴れていれば明るい青空が広がっている状況なのです。昼間は空に星は見えないですよね? だから、太陽のそばにいる金星と水星は昼間は見ることが出来ないのです。その姿を見ることが出来るのは、太陽が昇る直前の、まだ空が暗い早朝か、あるいは、太陽が沈んだ直後の暗くなり始めた空だけなのです。 そんなわけで、薄明るい朝の空に見える金星のことを『明けの明星』、太陽が沈んで暗くなり始めた夕方の空に見える金星のことを『宵の明星』というのです。最初に説明したように、金星は太陽のそばに見えるので、『明けの明星』は、間もなく太陽が顔を出す、東の空に、まるで太陽の露払い役のように見えます。『宵の明星』は、西の方角に沈んだ太陽を追いかけるかのように西の空に見えます。つまり、金星は、火星や木星のように南の空高く見えることはないのです。 「それで、なぜ金星の表面はこんなに暗いんですか?」 「それは、さっき通り抜けてきた金星の雲が、太陽から受けた光のほとんどを反射してしまう性質を持っているからですね。つまり、金星は、太陽から届いた光のほとんどを反射しているので、とても明るく見えるんです。その分、地上にまで届く光がとても少ないので、地上はこんなに暗いんです。」 「そうか、そんな理由があったんですね。」 池上さん、やっと納得してくれたみたいです。とてもすっきりした、明るい笑顔を浮かべています。その分、鵜の木さんはだいぶ疲労感を漂わせていますが、大丈夫ですかあ? シーライオンは引き続き、その、薄暗い地表近くを飛びました。 「なんだ? あれ・・・。」 小杉さん、シートから立ち上がると前方を見つめました。何か霧が出ているように前方が霞んでいます。 「確かに変だ。前方監視レーダーにも雲のような影が映ってるぞ。」 カールさんも少し緊張した表情です。 「鵜の木さん、わかりますか?」 小杉さんが鵜の木さんを質しました。 「確かに変です。でも、壁のような障害物があるわけではありません。」 「どうする、止まるか? 小杉君。」 カールさんが小杉さんに判断を求めました。 「いえ、進みましょう。でも、速度は今の半分で。」 「了解した。進路はそのまま、速度、150に減速。」 小杉さん、統括席に座る中原さんに指示しました。 「中原、前方監視レーダーから目を離すな。」 「はい。」 そうしている間にも、シーライオンの周囲が少しずつ霞んでいきます。 「レーダーが障害を受け始めました。」 鵜の木さんが報告しました。 「カールさん、さらに減速、速度100。」 「了解。」 その時、鵜の木さんの席でアラートが発報しました。 「ノースポールのシステムとのリンクが切断。通信障害です。」 「えっ、池上さん、ノースポールを呼んでみて。」 「はい。」 池上さんは端末を叩くとノースポールを呼び始めました。 「こちらシーライオン。ノースポール、応答願います。」 「たぶん、無理な気がするな・・・。」 鵜の木さんが呟きました。 「何なんですかね、この霧のようなもの。」 小杉さんが尋ねました。 「たぶん、金属の粉ですね。」 「金属の粉?」 小杉さんが尋ね返しました。 「はい。金星の表面は、気温が460℃、気圧が92気圧。なので、地表の物体が強烈に風化されているんです。」 「それで?」 「おそらく、この辺り一帯に露出している金属の岩が風化されて、その細かい破片、というか粉が風で舞い上がってるんです。」 「てことは、シーライオンは、チャフコリドーの中を飛んでるってことなのか?」 そう話す横では、池上さんがノースポールを呼び出しているのですが、 「ノースポール、大森さん、聞こえたら応答お願いします。」 小杉さんは席を立つと池上さんの横に立った。 「どう?」 池上さんが申し訳なさそうに答えました。 「応答ありません。」 同じ頃、ノースポールでも。 「舞ちゃん、聞こえたら応答して。」 大森さんがシーライオンとの通信を試みていました。 「どうだ?」 川崎さんが状況を尋ねました。 「シーライオンと交信できません。」 「そうか。オービット・アイには問題ないか?」 オービット・アイというのはノースポール・プロジェクトで開発した新型の無人探査機です。通信を中継する機能も持っていて、昨日の午後、金星の周囲に3機を配置したばかりなのです。 川崎さんは目を閉じました。 そこへ。 「シーライオンと連絡が途絶えたって本当なの?」 ライラさんです。かなり慌てています。ライラさん、操縦席に座るレオン君の横に行きました。 「ノースポールの航行システムは?」 「正常です。いつでも発進できます。」 それを聞いたライラさん、艦長に言いました。 「ノースポールで降下して捜索しましょう。」 艦長は一瞬ライラさんを見ましたが、すぐに目をそらして言いました。 「心配なのは分かるが、ライラ・・・」 ライラさん、はっきりしない川崎さんに詰め寄りました。 「緊急事態じゃないですか。いますぐシーライオンの捜索に向かうべきです。」 川崎さん、やはり、目をそらしたままです。 「艦長!」 ライラさんのその叫びに、やっと川崎さんが答えました。 「もちろん心配はしているよ。しかし、ライラ、その格好は、ちょっとな。」 川崎さん、目のやり場に困っているようなうつろな視線で、右手の人差し指で頬をかいてます。 「格好?」 大森さんが、冷静ながら優しい声で言いました。 「ちゃんと着替えてからでも遅くはないんじゃないかしら?」 そのことばに、ライラさんも気付きました。 「えっ? 私ってば、なんでこんな格好で・・・。」 ライラさん、いま、非番だったのでしょう。お風呂に入ってたのだと思います。髪の毛をアップに纏めてタオルで巻いて、体も大きなタオルで巻いただけの姿です。しかも、裸足で。 「うん、ひとまず着替えが最優先だな。シーライオンの捜索方法は、その間に考えるよ。」 「は、はい、すみません。」 ライラさん、そう答えると、そそくさとブリッジから出て行きました。 「湯冷めしなければ良いが。」 川崎さんが笑みを浮かべながら呟きました。 「あーあ、羨ましいな。私にも本気で心配できる人できないかしら。」 「不動君がその気なら、すぐ見つかるんではないかな?」 「そうよ。以外と身近で見つかるかもしれないし」 大森さん、私よりもいろいろなことを一杯経験してそうです。仕事はもちろん、恋だって。 よーし、私も頑張るぞー。 って、何を頑張るんだろ? その頃、シーライオンでは。 「それで、どうする? 小杉君。止まるか引き返すというのも手だと思うが。」 小杉さん、ちょっと考えて答えました。 「カールさん、シーライオンの航行情報はトレースしてますか?」 「ああ、取ってるよ。進路、スピード、高度、全部取ってる。」 「僕の方でも取ってます。」 はい。航行情報は鵜の木さんの席の端末からも参照したりトレースしたり出来るんです。 「バリアシステムは正常ですか?」 「今のところ問題ないです。」 小杉さん、ちょっとアグレッシブな表情になりました。 「じゃあ、このまま進みましょう。この状況がどのくらい広がっているのかも興味あるし。」 「そうだな。興味はある。」 「ノースポールにはどうします? 心配してるかもしれないですよ。」 中原さんが小杉さんの方を向いて質問しました。そうですね、実際、ちょっと恥ずかしい格好で駆け込んできた方もいますし。みんな心配しています。 「緊急用の通信ポッドがありましたよね?」 「ええ、3機あります。使いますか?」 シーライオンの装備のひとつです。どちらかというとシーライオンが遭難してしまったというような緊急時を想定した装備ですが、もちろん、今のような状況でも使用可能ですね。 「そうですね。ひとまず現在の位置と状況を書き込んで打ち上げましょう。」 「了解。すぐ準備して射出します。」 再び、ノースポールのブリッジです。 「艦長、」 「どうした?」 「シーライオンからの通信を受信しました。緊急用の通信ポッドからです。」 「私の方でも確認しました。」 ノースポールの外部からの通信は、通常は大森さんの席の通信コンソールで確認するのですが、私が座ってる技術コンソールでも確認可能なのです。 「内容は?」 「シーライオンと乗組員には異常なし。金属の粉が舞うエリアに入ったので通信が切れたそうです。現在地の座標データも記録されてますね。」 川崎さん、鋭い表情のまま尋ねました。 「シーライオンの現在地は分かるか?」 「はい。北半球の、ここですね。今日予定している探査エリア内です。」 メインディスプレイに金星のCG画像を表示してシーライオンの位置を示しました。 「そうか。ノースポールのレーダーではシーライオンを探知できないのか?」 「ノースポールのレーダーには山岳地帯のような大きな影として映ってますね。シーライオンからの位置情報を重ねると、地中を飛んでいるように見えます。」 通信ポッドに書かれていたチャフコリドーの影響ですね。かなりの規模です。地球では戦争中でもこれだけの規模でチャフが散布されたことはないでしょう。 「どうしますか? ノースポール、発進準備できてます。」 操縦席のレオン君と、その、右隣の予備席に座るライラさんがこちらを見ています。 「うん、しばらく様子を見よう。一応、シーライオンから連絡はあったのだ。」 「分かりました。私の方で監視を続けます。」 「うん、頼むよ。」 私は冷めてしまったコーヒーを一口飲むと、再び端末に向かいました。 ここはノースポール艦内某所にある統括部のオフィスの前です。その、統括部を取り仕切っているのが皆さんもご存じ、小杉浩之さんです。三田さんや中原さんも同じ統括部のメンバーです。 ノースポールには統括部の他にも、鵜の木さんが率いる技術部や、ライラさんが部長を務める航海部など、いくつかの部署があるんです。そして、それぞれの部署ごとにオフィスが割り当てられていて、各メンバーの席もそれぞれ所属する部署のオフィスにあるのです。 例えば、小杉さんの場合も、ブリッジのシフト当番になっている時は、ブリッジの統括席で業務をこなしますが、当番でない勤務日はオフィスで仕事しているのです。 あれっ、誰か女性の方が統括部のオフィスをのぞいています。あ、カウンセラーの蓮沼さん、蓮沼安紀子さんです。 「あのー、すみません。」 蓮沼さんが中に向かって声を掛けました。 「はーい。」 あ、返事がありました。あっ、入ってすぐのカウンターの向こう側から誰かがひょこっと顔を出しました。艦内コンシェルジュの鵠沼さんです。 「えっと、蓮沼さん、ですよね、カウンセラーの。」 鵠沼さん、席から立ち上がってカウンターの向こう側に立つと、蓮沼さんに尋ねました。一応、ノースポールの発進前から、乗組員同士で顔合わせのミーティングも行ったのですが、なかなか覚えられないですよね。 「はい、蓮沼です。よろしくお願いします。あなたは鵠沼さんですよね?」 「あ、はい、鵠沼です。よろしくお願いします。」 2人とも妙に緊張してるのか、少し話しづらそうです。 「ていうか、確か、鵠沼さんて私と学年が同じなんですね?」 「そう。私は早生まれで。変ですよね、あんま畏まって話しちゃって。」 そうそう。2人とも出身地は違いますが、同い年。タメなんです。もっと、気軽に話して大丈夫なんですよ。 「それで、何かご用ですか・・・、って、ダメだ。どうしても敬語になっちゃう。」 鵠沼さんが笑いながら言いました。 「いきなり直すのは、なかなか難しいですよ。ほとんど初対面だし・・・、って私も敬語かな?」 2人とも笑いました。まあ、話し方はそのうち慣れてきたら自然に直るでしょう。 「えっと、それで、」 蓮沼さんが気分を改めて用件を話し始めました。 「面談室の備品のいくつかが、まだ届かないんだけどどうなったのかなと思って。」 「備品の発注か。それなら私見れるよ。」 鵠沼さん、席に戻ると端末を叩きました。 「うんと、これかなあ。蓮沼さんの名前で3つ発注が出てる。」 「あ、たぶんそれだと思う。その3つがまだ届いてないのよ。」 「えっと、」 鵠沼さんが再び端末を叩きました。 「ああ、小杉さんの承認待ちで止まってるね。昨日も他の部の発注品で同じことがあって。小杉さんには言ったんだけど、すごい忙しそうで手が回ってないみたい。」 「いま、小杉さんは?」 「えっとねえ、シーライオンで金星表面の探査中。」 鵠沼さん、ちょっと申し訳なさそうな表情です。 「そっかあ、今日は無理かなあ。」 「うーん、じゃあ、一応三田さんに聞いてみようか。小杉さんに連絡取れるかもしれないし。」 鵠沼さんケータイを手に取って、三田さんを呼ぼうとしたのですが、 「やっぱり、私、ブリッジに行ってくるね。他にも三田さんに聞きたいことあるし。」 鵠沼さん、席から立ち上がりました。 「あ、私も行っていい? ブリッジってなかなか行く機会なくて。」 「じゃあ、一緒に行こうか。実は私も初めてなんだ。」 鵠沼さん、小杉さんや三田さんと同じ統括部所属ですが、ブリッジのシフト勤務に入っていないのです。なので、なかなかブリッジに行く機会がなかったようですね。 2人はブリッジに入りました。 「わあ、すごい・・・。」 「まるで、宇宙の中にいるみたい。」 既にお話ししていますが、ノースポールのブリッジは前方、左舷側、右舷側の3方向が、床から天井までのはめごろしの窓になっているのです。天井は高く2フロア分くらいの高さがあります。照明がやや暗めに設定されているので、まるで自分が本当に宇宙空間にいるかのような感覚があります。 「噂には聞いてたけど、」 「すごいね。」 鵠沼さんも蓮沼さんも、用事を忘れたかのように立ち尽くしていました。 「えっと、あれ?」 統括席に座っていた三田さんが立ち上がろうとして、お客様に気付きました。 「鵠沼さん、何か用事ですか?」 「あっ、ちょっと、初めて来たんだけど、眺めが良いなと思って。」 「そうですよね。僕も最初来た時はほんと、びっくりしました。まるで、スカイツリーの展望台ですもんね。それで、用事は何ですか?」 「あっ、えっとね、」 鵠沼さんが慌てて説明を始めました。 「蓮沼さんの起案した面談室の備品の発注が、小杉さんで止まってるの。それで、ブリッジに来れば、もしかしたら小杉さんに連絡取れるのかなと思ったんだけど。」 「ああ、小杉さん、シーライオンで出ちゃってるんですよね。」 三田さんは統括席に戻ると端末を叩きました。表示された画面をじっと見ています。 「えっと、あ、これかな。蓮沼さんの起案した発注。」 「あ、それです。」 蓮沼さんも同じ画面を覗き込みました。三田さん、画面を見つめたまま話し始めました。 「えっと、確かに、ブリッジからならシーライオンに通信も出来るんですけど、いま、シーライオンとの連絡が途絶えていて。」 「えっ? 小杉さんたちに何かあったってことですか?」 ええ、突然そんな話をされたらびっくりしますよね。 「いえ、一応無事らしいんですが、こちらからは連絡が取れないんです。まあ、大丈夫だと思いますけどね。」 「そうなんですか・・・。」 鵠沼さん、心配そうです。 「あっ、蓮沼さんのリクエストは僕が承認しておきました。実はこのあたりの手続は僕でも承認できるようにしてもらったんです。」 「あ、そうなの?」 鵠沼さん、驚いたように尋ねました。 「あの、今みたいに小杉さんが留守の時に何も承認できないのはまずいと言うことで、サブの承認者として僕にも権限付けてもらったんですよ。」 「へー、そうなんだ。だったら安心だね。」 「ええ。ちなみに、中原も同じように権限もらってるので。」 その中原さんも、今はシーライオンに乗り込んで金星表面の探査中なのでした。 「えっと、3件、承認したんで、鵠沼さんの方で出庫手続きできるはずです。」 「わー、ありがとう。じゃ、下に戻って続きやるね。」 ブリッジから出てエレベータの前で、鵠沼さん、何か考え込む顔になりました。蓮沼さんが心配そうに尋ねました。 「どうしたの?」 「うん、ノースポールに乗り込む前に、危険な状況に合う可能性もあるんだって理解して参加したんだけど、実際に、その場になるとやっぱり辛い物だなって思って。まあ、まだダメと決まったわけではないみたかったけれど。」 「そうだね。きっとそうして苦しむ人も出るんだろうな。」 と、今度は蓮沼さんが考え込みました。 「でも、そういう時のために蓮沼さんがいるんだよね?」 「そう。その通りね。鵠沼さん、カウンセリング受ける?」 「私は、まだ大丈夫だと思う。うん、きっと大丈夫だよ。私も、小杉さんたちも。」 「うん、私もそう思う。」 そんな光景が展開されていることはシーライオンのみんなは知らないのでした。 「あれ、前方に障害物。距離30。」 「こちらでも捉えた。」 シーライオンのブリッジに緊張が走ります。 「山ですか? それなら高度を上げれば。」 「いえ、もっと大きな、人工の建物かもしれません。」 『人工の建物』って、ここは金星。地球ではないのです。 「えっ、人工? 中原、映像出せるか?」 「やってます。」 小杉さん、待ちきれずに緊急用の双眼鏡を取り出すと前方を見つめました。 「これ、大きいよ。カールさん、速度落として。微速で。」 「了解。」 「鵜の木さん、大きさ分かりますか?」 小杉さん、矢継ぎ早に質問です。 「えっと、大凡なら分かります。たぶん、円筒形です。直径5キロ、高さも、5キロくらいです。」 「小杉さん、映像出ます。」 シーライオンのメインディスプレイにその物体が映し出されました。 「なんだ、これ。」 「まさか、異星人の基地?」 本当に基地なら危険です。いきなり攻撃されるかもしれません。 「小杉君、進路はどうする? 5分でぶつかるぞ。」 「右へ、右に回り込むように物体に沿って飛べますか?」 「もちろんだ。」 力強い回答です。小杉さん、負けじと指示を出しました。 「距離1,000メートルを保って物体に沿って飛んで下さい。速度は微速。」 「了解した。」 シーライオンが進路を変え始めました。 「確かに、間違いなく人工的な建物だ。まさか、地球のどこかの国が作ったわけではないですよね?」 「そうですね。地球人には作れませんね。」 もちろんです。金星に来た地球人は私たちが始めてなのです。でも、ということは、この建物は・・・。 「中は、そとよりもだいぶ明るくて、何か、植物、ですか? これ。」 「はい。たぶん。」 「金星の植物なんですか?」 「いえ、わかりません。」 確かに、誰も金星の植物なんて見たことないのです。でも、確かに、この建物の中には、かなり多くの植物が茂っているようです。 「うーん、あの物体の中は、気温や気圧が外とは違いますね。」 「違う?」 「はい。中は地球の地表とほぼ同じ環境のようです。」 となると、やっぱり地球のどこかの国が・・・、いえ。いくらなんでも、そんなこと絶対にありません。 「あっ、小杉さん、あそこ!」 「えっ、」 中原さんの指さす先に、建物から出っ張るようにドッキングポートのような設備が見えます。 「あそこ、入口なのかな。」 「カールさん、あの前で止まって下さい。」 「了解。あの出っ張りの前で停止する。」 シーライオンは停止しました。確かにドッキングポートのようです。ただし、地球で使用されているタイプとは異なります。 「なんか、あからさまに、入ってくれって言ってる感じしません?」 中原さん、入ってみたいんですね。でも、それはやっぱり危険です。どうしたらよいでしょうか。 「鵜の木さん、中の様子、もっと詳しく分かりませんか?」 「やってみます。」 鵜の木さん、端末に向かうと盛んにキーボードを叩き始めました。一方、小杉さん、席に座ったり、立ち上がったり、窓の外を眺めたり、落ちつかない感じです。 「小杉さん、」 「はい。どうです?」 小杉さん、待ちかねたような様子で鵜の木さんの席の横に立ちました。 「中の様子が少し分かりました。」 さすが、鵜の木さんです。 「中は、気温、摂氏25度、気圧、約1気圧。大気成分は窒素、酸素、二酸化炭素など。植物はたくさん確認できますが、今のところ、動物は確認できていません。」 小杉さん、再び考える表情です。 「なんか、地球と似てませんか?」 「そうですね。かなり似た環境です。」 「てことは、植物は、地球の物なんですか?」 いや、それはないように思います。繰り返しになりますが、ここ、金星に来た地球人は私たちが初めてなんです。 「少なくとも私たちの知らない植物です。」 「金星の植物なんですかね?」 「うーん、それはちょっと。わからないですね。」 もう、ここから先はそう簡単には分からなそうですね。 「あのお、」 突然、中原さんが手を上げました。うーん、学校ではないのですが、話に割り込むには良い方法かもしれませんね。 「どうしたの、中原?」 「えっと、どこかの異星人が金星の環境を改造しようとしてる・・・、っていうのは、だめですかね?」 「それって、テラフォーミングってやつ?」 小杉さん、そんなマニアックなことば、どこで覚えたんですか? いえ、でも個人的にはいい線かもしれないと思います。もちろん、証拠はありませんが。 「えっと、金星の環境を地球の環境に改造するならテラフォーミングですね。まあ、今の僕らにはそんなこととても出来ませんが。」 そうですよね。今の地球の技術では無理でしょう。でも、異星人の技術なら、もしかしたら。 「中原さんの言うとおり、どこかの異星人が、その異星人の住む星の環境に、金星の環境を改造しようとしているとしたら、」 「しているとしたら?」 小杉さんも興味津々です。というか、この巨大な建物の正体を知りたいのだと思います。誰が何の目的で作ったのか。 「この物体の中の環境が、その異星人の住む惑星の環境、ということになります。植物も、その、異星人の惑星の植物ということになりますね。」 「でも、そんなことって。」 まあ、私たちは、この宇宙、地球の外の宇宙がどんな世界なのかまだ全く知らないのです。太陽系に属する惑星だって、私達はまだ一度も行ったことがないのです。正直な話、もしも、どこかの異星人が地球の衛星である月の裏側に大規模な基地を作っていたとしても気付くことは出来ないでしょう。何しろ、月の裏側は地球からは見えないのです。 「確かに、突拍子もない説ですけど、でも、外の金星自体の環境とは別の環境に植物を置いていることを考えると、植物自体は金星のものではなくて、他の星から持ってきた、と考えることもできますね。」 「どうします、小杉さん?」 中原さん、困ったような、それでいて好奇心でうずうずしているような複雑な表情です。小杉さんも思い悩むような表情です。 「・・・、危険は・・・、どのくらいありますかね?」 「うーん・・・、ない、とは言い切れないですよね。」 「そうですよね。・・・でも、」 そこまで言いかけてことばを止めた小杉さんにカールさんが尋ねました。 「中に入るのかい?」 小杉さん、だいぶ長く考えましたが、結局、最後は自分で決めるしかないのです。どう考えて、どう納得して、どう行動するのか。 「・・・、興味があるというのはもちろんなんですが、でも、金星は太陽系の星じゃないですか。」 「うん、そうだな。」 「ていうことは、僕らの星のひとつって言って良いと思うんです。」 「そうですね。一応、地球の隣の星ですから。」 鵜の木さんも小杉さんの考える方向性に同意しました。 「そこに、異星人が勝手に何かを作っているというのはどうなんだろうと思って。」 「うん、地球上なら大騒ぎだろうな。」 そうです。自分の国のそばに、他国が基地を作ったがために、国際問題になるという状況はもう何度繰り返されたのでしょうか。 「確かに、今までは僕らは直接、例えば、金星まで来ることは出来なかったわけですが、でも、今はこうして来ているわけですよ。それで、異星人の基地みたいのを見つけて、そのまま通り過ぎていいのかなって思うんです。」 小杉さん、少しずつ気持ちが固まってきたようです。 「うん、その気持ちは俺も分かるが、正直、危険だぞ。少なくとも、ノースポールに知らせて川崎さんに指示をもらった方がいいんじゃないのか?」 とは言え、カールさんの指摘も至極もっともです。 「・・・、いえ、やっぱり、行きます。ノースポールには知らせますが、でも、今、すぐに行くべきですよ。」 小杉さん、ついに決心しました。見てしまった以上、すぐに行くのだと。 「小杉さん、僕も行きますよ。」 その小杉さんに、鵜の木さんも追随しました。 「鵜の木さん、いいんですか?」 「僕が行かないと、メカのこととかわからないでしょ。まあ、異星人のメカですから、僕も絶対の自信はないですが。」 「いえ、鵜の木さんが来てくれると助かります。」 小杉さん、自信が出て来たようです。 「あっ、じゃあ、僕も行きたいです。」 そう言って中原さんが手を上げましたが、小杉さんの返事は違いました。 「うーんと、中原にはシーライオンに残ってほしいんだ。」 「えっ、なぜです?」 「もしもの時に統括担当としてシーライオンを指揮してほしいんだ。」 小杉さん、シーライオンを守るために中原さんを残したいようです。 「えっと、どういうことですか?」 「シーライオンが危険になったら、迷わず待避してほしいんだ。少なくとも、周回軌道まで戻るんだ。」 「でも、小杉さんと鵜の木さんは、」 「シーライオンは絶対に守らないと。俺と鵜の木さんのことは考えるな。」 「えっ、でも・・・。」 中原さんは納得がいかないようです。でも、カールさんが小杉さんの意思に理解を示してくれました。 「わかったよ、小杉君。だが、君等も最後まで諦めるな。危険に身を晒す役が必要になることもあるが、そんな時でも、最後まで、自分の仲間のもとへ帰ることを忘れてはいけない。いいかい?」 「わかりました、カールさん。」 そうです。小杉さん、決して一人で危険を背負おうなんて思わないで下さい。異星人の施設に乗り込むとしても、絶対に帰って来て下さい。 「よし、中原君、俺たちはぎりぎりまでこの場所を守ろう。その先は決断が必要だがな。俺たちには、ノースポールに戻って状況を報告する役目もあるんだ。ただ逃げるだけじゃないんだ。いいかい?」 さすが、カールさん。経験を積んできただけに適確なアドバイスです。 「わかりました。シーライオンはぎりぎりまでここを死守して、でも、その後は宇宙に待避してノースポールと合流します。」 中原さんも納得してくれました。 「ありがとう。頼むよ。」 「そしたら中原さん、通信ポッドの2号機を使って、状況をノースポールに送ってもらえないですか?」 鵜の木さんが中原さんにお願いしました。そうです。この状況は何としてもノースポールに知らせなければなりません。 「わかりました。すぐにやります。」 「お2人とも、絶対に帰ってきて下さいね。」 舞さん、立ち上がって両手を胸の前で握って、しかも、目が潤んでます。わかります。突然、こんな場面に出くわしたら誰だって。これは映画やドラマの一場面ではないんです。まさに、いま、私たちの目の前で起きている事実なんです。 「もちろんだよ、舞さん。じゃ、鵜の木さん、準備しましょう。」 「ええ。」 小杉さんと鵜の木さんはブリッジを出るとシーライオンの1階のロッカールームに向かいました。 ひとまず、通信ポッドは射出しました。そして、異星人の物と思われるポートにドッキングする準備をしたのですが。 「やっぱり、なんか変ですよね。」 「まあ、そうだけどね。」 「だって、外の地面が垂直になってるんですよね。」 確かに、窓の外の金星の大地が垂直に立っています。左舷の窓からは地面しか見えません。逆に右舷の窓からは金星の空を覆う薄暗い灰色の雲しか見えません。 「重力システムのお陰でシーライオンの中は正常ですけどね。」 「不思議ですよね。確かに、普通に立って歩けるのに。」 池上さん、席から立って、数歩歩いて見せてくれています。ブリッジにヒールのコツコツという硬い音が響きます。普段、ノースポール艦内では颯爽としている足取りも今はなんとなく不安げです。 実はシーライオンは船体を左に90度傾斜させているのです。問題の異星人の基地の入口と思われる箇所に、汎用エアロックモジュールで接続しているのです。このモジュール、接続する相手側の、外部に開くドアを覆うように被せて接続することで、サイズや形の異なる相手との間でエアロックの機能を実現する装備なのです。ただ、基本、宇宙空間で使うことを想定しているので、上方向にしか接続できないのです。なので、今回はシーライオンを左90度に傾斜させることになったのです。うーむ、設計が良ろしくなかったですねえ。仕様は私もチェックしたはずなのですが。ちなみに、なぜエアロックを使うかというと、シーライオンから船外に出て、そのまま相手側のドアに取りつこうとすると、金星表面の過酷な環境に晒されることになるのです。何しろ、気温460度、気圧が92気圧。猛烈な風化作用の働く生物にとっては劣悪な環境なのです。もちろん、宇宙服は着て行くのですが、それでも、金星の環境は余りにも危険です。 小杉さんと鵜の木さんは宇宙服を着用すると汎用エアロックモジュールの中に入りました。 「一旦、エアロック内を減圧します。」 「お願いします。」 鵜の木さんがエアロックの壁の端末を操作しました。端末の画面の大気圧の表示がどんどん下がっていきます。 「減圧完了です。続いて異星人の施設内の大気環境に同期させます。」 「はい、了解です。」 逆に今度は大気圧が上がっていきます。 「大気の同期完了しました。」 「じゃあ、入りましょうか。」 待って下さい、小杉さん。まだすぐには入れないんです。 「これを解析しないといけないですね。」 そう言うと、鵜の木さんは、異星人の施設に入るドアの右の壁にある端末を調べ始めました。 「このドアの向こうは異星人の施設なんだ。」 小杉さん、特に意識することもなく、ドアについている大きめのハンドルを握りました。 『ガチャッ』 小杉さん、その音に気付きました。 「あれっ?」 自然に、ごく自然に、そのドアのハンドルを握っていた右腕が、ハンドルを手前に引いていました。 「あれっっ!」 小杉さん、先程よりも大きな声で叫びました。その声に、鵜の木さんが小杉さんの方を見ると、 「えっっっ! どうしちゃったんですか?」 なんと、ドアが開いていたのです。本当は、何らかの電子的なロックが掛けられていると想像して、ドアの横の端末らしき装置を鵜の木さんが解析し始めていたのですが、そんなことをしなくても、ドアのハンドルを握って引くだけで、ドアは開いてしまったのです。 「えっと、普通に開いちゃいました。」 一瞬の沈黙の後、鵜の木さん、 「ロックされてなかったんですね。」 「そうらしいです。」 「なんか、僕らの常識で考えると、すごい、不用心ですよね。」 「まあ、そうですね。でも、もしかしたら、罠なのかもしれないですけれど。」 そうですね。外から中に入る時は、ロックも無しに簡単に入ることが出来るけれど、中に入ってドアを閉めたら最後、閉じ込められてしまうというような罠でしょうか。 「じゃあ、僕がまず中に入ってドアを閉めます。それで、中から開けることが出来るかどうか確かめます。」 「あ、わかりました。もしもの時は僕が外からドアを開けますね。」 「よし、それじゃあ。」 小杉さん、異星人の施設の中に入りました。そして、ドアを閉めました。一瞬の沈黙の後、 『ガチャッ』 見事ドアが再び開いて、中から小杉さんが現れました。 「開きましたねー。」 「んー、不用心ですねえ。宇宙には空き巣とかいないんですかねえ。」 だとしたら、むしろ、宇宙は地球よりも平和で安全、ということになるかもですね。いずれにしても、この異星人の施設には簡単に出入りできることがわかったのです。 「中原、聞こえる?」 「はい、聞こえます、小杉さん。」 「ドア、開いたから、これから鵜の木さんと2人で入るよ。」 「了解です。お2人の位置はトレースしてるので安心して下さい。」 「うん、頼むよ。それじゃ、入るね。」 小杉さんと鵜の木さんは、施設の中に入りました。ドアを閉めます。 「よし、行きましょう。」 小杉さん、ゆっくりと歩き始めました。周りを警戒しながら歩きます。鵜の木さんが後に続きます。入口から10mほどは、広場のように開けた場所でした。でも、いよいよ、森の中に入ります。その森の中へとまるで遊歩道のように石を敷いて作った通路が延びています。 「いかにも『ここを通れ』っていう感じだけど、ここを通るしかないですよね。」 というのも、それ以外の場所は草木が覆い尽くしていて、そう簡単に通り抜けることが出来なさそうなのです。一応、鵜の木さんがケータイのセンサーで調べてみたのですが、 「ええ、石と土の反応しか出てないし大丈夫でしょ。」 それを聞いた小杉さん、周りの様子を伺いながら、地球の木々によく似た、しかし、未知の木々の生い茂る森の中を、慎重に進んでいきました。 「見た感じ、地球と同じ森のようですね。」 「そうですね。でもやっぱり、生えている木はみんな僕達の知らない、地球にはない種類の木ですね。」 「そうですか。」 鬱蒼と生い茂る森。地球で言うとアマゾンとかアフリカの奥地のようです。しかし、ちょっと違うのは、鳥のさえずりや動物の鳴き声が全く聞こえないのです。本当に、植物しかないようです。 「ただの温室だったりして。」 「その可能性もなくはないですね。何しろ入口に鍵が掛かってなかったですから。」 小杉さんと鵜の木さんは、そんな静かな森の中を慎重に進みました。時々、鵜の木さんが立ち止まって、落ちている葉っぱや、枝、そして、木の実を拾うと、密閉することの出来る袋に入れて、肩から掛けている試料保管用のバッグにしまいます。 20分ほど進んだでしょうか。 「あっ、鵜の木さん、見て下さい。」 小杉さんは右手に握っている銃で前方を指し示しました。 「えっ、建物。」 2人は素早くそばに生えている大木の陰に隠れました。 「間違いなく異星人の建物ですよね。誰かいるのかな。」 「わからないですけど、大勢出て来たらまずいですよ。」 小杉さんはそう言うと、隠れている木からそっと顔を出してその建物を見ました。遠目に見た限り、石のような壁に囲まれていて屋根は平らですが手前側がやや高くて、奥の方が少し低くなっているようです。手前側の壁の中央にドアがあって、そのドアの両側の壁に窓がひとつずつあります。窓から光は見えません。中は暗いのでしょうか。人の気配は感じられません。 「僕が近づいてみます。鵜の木さんはここにいて下さい。」 そう言うと小杉さんは身を低くして、かがんだまま銃を構えてその建物に近づいていきました。 緊張感に包まれます。 もし、いま、建物から誰かが、おそらく、異星人が現れたら、何が起きるのか。侵入者として攻撃されて戦闘になるのか。それとも、友好的に歓迎されるのか。いえ、そのいずれにしても、互いの話す言葉は通じないはずなのです。戦闘にはならなくても、果たして、お互いに意思の疎通がどれだけ出来るのかどうか。不安な材料ばかりです。 小杉さん、建物の手前側の1段高くなったデッキの手前まで来ました。慎重にデッキに登ります。登ると建物の壁にピタリと背を付けて立ちました。 「小杉さん、」 「はい、どうしました?」 小杉さんのヘルメットの中のスピーカから鵜の木さんの声が聞こえました。 「ここから探知する限り、僕らの周りには生命体らしき物はいません。建物の中も無人のようです。」 「了解です。」 「でも、気を付けて下さい。」 「もちろんです。」 小杉さん、ゆっくりと、すぐ横にある窓を覗きました。中は暗くて、よく見えません。でも、動く物はいないようです。 小杉さん、壁に背を付けた体勢に戻ると、今度は反対側を向くと、右手には銃を持ったまま、左手でドアをノックしました。 『コンコン、』 乾いた硬い音が響きました。ドアは木で出来ているようです。 しかし、何も反応はありません。誰かが出てくる気配もありません。もちろん、『ドアをノックする』という行為が地球人特有の文化で、異星人には理解されていない可能性もありますが。それでも、物音に気付けば何か反応があってもおかしくありません。 小杉さん、再びドアをノックしました。今度は先ほどよりも少し強めに。 『コンコンッ、』 再び、乾いた硬い音が響きました。 しかし、今度も反応ありません。 鵜の木さんのヘルメットのスピーカから、小杉さんが深く呼吸する息づかいが聞こえました。 小杉さんは、左手で、ドアノブと思われるパーツを握ると思い切って回してみました。そして、ドアをゆっくりと引きました。 果たして、ドアは開きました。 小杉さんは自分の側に開ききったドアをさらに開けて壁に付けるようにすると、開いたドアの空間から建物の中を覗き込みました。 しかし、誰もいませんでした。 「鵜の木さん、」 「はい。」 「中には誰もいません。僕のところまで来てもらえますか?」 「はい。すぐ行きます。」 「あっ、でも、慎重に。」 「了解です。」 鵜の木さん、隠れていた木の陰から出ると、周囲に注意しながら、小杉さんのいる場所まで来ました。 「中に入りましょう。まず、僕が入ります。」 「はい。気を付けて。」 「はい。」 小杉さんはゆっくりと建物の中に入りました。それほど大きくない小屋なので中は一部屋だけです。その部屋の中央に置いてあるテーブルのような物体の横に立つと、周囲をグルリと確認しました。そして、上を見上げて天井も確認しました。 「大丈夫そうですね。鵜の木さんも入りませんか?」 「もちろんです。」 小杉さんは右手に持っていた銃をゆっくりと腰のホルダーに戻しました。 「なんか、地球でも見かける小屋と同じですね。」 鵜の木さん、物珍しそうに部屋の中を見回しています。 「ええ、もっと歳をとったら、森の中のこういう静かな小屋で暮らすのもいいかもしれないですね。」 「えっと、小屋の裏手に温泉でもあれば最高なんですけどね。」 「ああ、そうですねー。」 小杉さんと鵜の木さん、少し緊張感が収まってきたようです。鵜の木さんはケータイのセンサーで部屋の中をくまなく調べて回ります。小杉さんは、部屋の中に僅かに置かれている家具や雑貨を調べたり写真に収めたりしています。 「んー、異常なさそうですねえ。」 鵜の木さんが言いました。この小屋はもう使われてないのでしょうか。 「そしたら、この森のもう少し奥に行ってみましょう。他にも小屋か何かあるかもしれない。」 小杉さんはそう言うと、小屋から外に出ようとしました。 「待って下さい!」 鵜の木さんの鋭い声が、小杉さんのヘルメットの中に響きました。 「どうしました?」 小杉さんはケータイの画面を睨む鵜の木さんの横に立ちました。 「外に何かいます。」 「えっ?」 小杉さんは銃を手に握るとドアを静かに閉めると窓の横の壁に隠れました。鵜の木さんも壁の影に隠れます。小杉さん、そっと外を見ました。 「何も、見えないですね。」 小屋の前は少しだけ開けているのですが、そこには何もいません。 「いえ、その向こう側の茂みの中です。金属反応が3つ。正面の茂みと、左右の茂みに一つずつ。合計3つ反応があります。」 「散開して僕らが出て来るのを待ってるのかな。」 「敵、なのか、そうでないのかは、わかりません。」 難しい場面です。戦闘意欲満々で出て行って良いものなのか。それとも、危険なことを承知で友好的な態度をとるべきか。 「でも、隠れているってことは、僕らのことを警戒してるんですよね。」 小杉さん、目を閉じて一瞬考えました。小杉さんの心の中に川崎さんの声が響きました。 『地球人は決して野蛮人ではないのだ。』 小杉さん、決心しました。 「外に出ましょう。正々堂々と。」 「えっ?!」 言うが早いか、小杉さん、銃をホルダーに戻すとドアを開けてゆっくりとした足取りで、胸を張って外に出ました。鵜の木さんも覚悟を決めて小杉さんに続きました。 小杉さん、小屋の前の開けた場所の中央に出ると、立ち止まりました。そして、声を張り上げました。 「僕の名は小杉。隣の惑星、地球から来ました。誰かいるのなら返事をして下さい。僕達は戦うために来たわけではありません。」 小杉さん、両手を広げるようにしてアピールしました。 すると。 「わっ!?」 茂みの中から何かが飛び出してきたのです。そして、小杉さんの前に立ち塞がりました。 『カウカウカウカウカウカウ・・・』 『カウカウカウッ、ムーーー、カウカウカウカウカウカウ・・・』 『カウカウカウカウカウカウカウカウカウカウ・・・』 茂みの中から飛び出した影は、それぞれ、小杉さんの前に立つと、盛んに叫びだした、いえ、吠え始めたのです。全体は金属のようです。みな、4本の足で踏ん張るように立っています。全長は2mほど、高さは1mほどでしょうか。こちらを向いている側は、まさに、私たちの知っている犬の頭のような形状になっていて、口と思われるパーツをパクパクさせながら吠えているのです。 間違いなく、何かのロボットです。 しかし、それを見た鵜の木さん、 「えっ! きゃ、きゃあ、い、犬ーーー!!」 そう叫ぶと一目散に小屋の中に走り込んで、ドアを閉めてしまったのです。 緊張感あるシーンだというのにすみません。 実は、鵜の木さん、犬がとっても苦手なのです。なんでも、小さい頃に近所の犬に近づいたら思いっきり吠えられたうえ、足を噛まれたのだそうです。ふふ、鵜の木さんも可愛いところがあるんですね。 閑話休題。 「こ、こいつら、犬、なのか?」 目の前の三体は、相変わらず、小杉さんに向かって、大きな鳴き声で吠えたり、唸ったりしています。しかし、飛びかかってきたり、何かの武器で攻撃したりはしてきません。でも、確かに、自然の動物ではありません。金属で出来たロボットのようです。ロボット犬、と言えば良いのでしょうか。 「よ、よし、それなら・・・。」 小杉さん、反射的に構えていた銃を再びホルダーに戻すと、ゆっくりと腰を落としました。そして。 「ほら、怖くないぞ。」 小杉さん、ヘルメット越しではありますが、彼等に向かって、思いっきり笑顔を見せました。両手を低く左右に広げると、「ヒュウヒュウ」と口笛を鳴らしました。 すると。 そのロボット犬達は少しずつ吠え方が弱くなっていったのです。3匹は鳴き止むと互いに何度か顔を見合わせると、頭を低く下げて、小杉さんに近づいてきたのです。 「おっ、わかってくれたのか。」 小杉さん、さらに笑顔を見せて両手を広げて彼等を迎えます。なんと、ロボット犬達、さかんに尻尾を振ってます。わー、可愛いじゃないですか! 本当に地球の犬のようです。 「マウマウ、」 「マウマウマウ、」 先程とはうってかわって優しい声で鳴きながら頭を小杉さんの腕や足にすり寄せてます。小杉さんも彼等の頭や体を優しく撫でています。 「よしよし。可愛いじゃないか、お前たち。まるで本物の犬みたいだ。」 見ると、小屋の中に逃げ込んだ鵜の木さんがドアを半分ほど開けて様子を伺ってます。 「小杉さーん、」 「あっ、鵜の木さん、大丈夫ですよ。ほら、こいつら、いい奴らですよ。」 鵜の木さん、小屋から出ると、恐る恐る小杉さんの横に来ました。すると、1匹が、鵜の木さんの足に頭をすり寄せたのです。 「きゃーーー。」 はははっ、て、笑っては悪いのですが、鵜の木さん、絶叫です。しかし、鵜の木さんの足下の犬君、尻尾を左右に振りながら、鵜の木さんの足に体をすり寄せてます。 「はははっ、鵜の木さん、怖がらなくても大丈夫ですよ。」 「そ、そうなんですか?」 鵜の木さん、目を固く閉じて立ち尽くしています。よほど怖いんですね。トラウマ、なのでしょうか。 さて、しばらくすると、犬君たちは小杉さんと鵜の木さんに甘えるのを止めて、少し離れました。でも、まだ、尻尾は振ってます。すると、一匹の犬君が、あの、小屋に向かってタタタッと数歩歩くと、立ち止まって小杉さんの方を振り返って見つめているのです。 「マウマウ。マウマウ。」 小杉さんと鵜の木さんに向かって優しい声で吠えたのです。 「どうしたんだ? 僕らを誘ってるのかな?」 「マウマウ。」 「マウマウ、マウマウ。」 他の2匹も穏やかな声で、小杉さんと鵜の木さんを呼ぶように鳴いてます。 「わかったわかった。一緒に行こう。」 そう言うと、小杉さん、立ち上がって3匹のところまで行きました。 「鵜の木さんも、行きましょう。」 「は、はい・・・。」 鵜の木さん、かなりビクビクした感じですが、3匹のところまで来ました。 「マウマウ。」 先頭の犬君は小杉さんに向かって軽く鳴くと、再び歩き始めました。 小屋のドアの前まで来ました。3匹はドアの前で小杉さんたちを見つめています。 「どうしたんだ、中に入りたいのか?」 「マウマウ!」 小杉さんドアノブを掴むとドアを開けました。3匹は小走りに中へと入っていきます。 「マウマウ。」 「大丈夫。今行くよ。」 小杉さんと鵜の木さんも中に入るとドアを閉めました。それを確認したのかどうかは分かりませんが、一匹の犬君が軽く鳴きました。 「マウマウマウ。」 すると。 「えっ?!」 鵜の木さんが目を丸くしました。小屋の一番奥の床の一部が少しだけ持ち上がると横にスライドするように開いたのです。 「さっきは何も反応しなかったのに。」 確かに、先程、鵜の木さんがこの小屋の中をくまなく調べた時には何も見つけることが出来なかったのです。床にこんな仕掛けがあることも。 私も、だいぶ後になって気が付いたのですが、この直前、一匹の犬君が鳴く時に、壁際の四角いブロックに右の前足を載せていたのです。その時に犬君と、この小屋のシステムが通信して、秘密の扉を開けたのではないかと。まあ、単なる予想なのですが。 「中に、階段がありますね。」 小杉さんがそう言っている間にも、2匹の犬君が階段を降りてこの小屋の地下へと降りていきました。残った一匹の犬君は階段の横に立って小杉さんと鵜の木さんを見つめています。 「マウマウ!」 その犬君が尻尾を振りながら鳴きました。そして、じっと、小杉さんたちを見つめています。 「わかった、わかった。僕らも入るよ。この際です。行きましょう、鵜の木さん。」 「そうですね。」 小杉さんと鵜の木さんは、その、ちょっと狭い階段を降りていきました。それを見た犬君も階段を降りていきます。 階段を降りきると、ちょっと暗めの、短い廊下になっています。そして、その途中の左側には何かの部屋があるらしく、明るい光が漏れています。 小杉さん、その部屋の入口まで進むと、部屋の中を覗き込みました。 「あ、何これ。」 小杉さん、そのまま中へと入りました。鵜の木さんも続きます。 「わ、すごいや。」 そこは何かの制御室のようです。それほど広くはないのですが、壁際にはコンピュータの端末や周辺機器のような様々な装置が置かれています。画面には地上の森の映像や、何かのシステムの監視画面が表示されています。 「あっ、シーライオンが映ってる。」 小杉さんが画面を指さしました。 「ほんとだ。しかも、ノースポールも来ちゃってるし。」 「こりゃ、帰ったら怒られるのかなあ。」 「はははっ、そうかもですね。」 などと話していると、 「マウマウ!」 1匹の犬君が小杉さんと鵜の木さんを呼ぶかのように鳴きました。小杉さん、振り返るとその犬君を笑顔で見つめました。 「どうしたんだい?」 小杉さんが声を掛けると、 「マウマーウ!」 突然、その犬君のいる側の壁が明るく光って、何かの映像を表示し始めたのです。 「壁全体が、」 「ディスプレイになってるんだ。」 画面には数多の星が輝く宇宙空間が映されていました。そして、その画面が左方向のやや下に移動すると、そこに1つの星があったのです。全体、いえ、表面の7割ほどが黄土色の雲に包まれていますが、残りの部分や、隙間からは青い海も、緑の森も見えています。 「どこの星なんだろう。」 少しすると、画面が切り替わって2人の人物が現れました。私たちの常識で判断するなら、男性と女性です。男性の方が背が少し高いのですが、髪にはだいぶ白い物が目立っています。女性は地球人で言うと30歳代くらいでしょうか。それほど長くはありませんが髪を後ろで纏めて留めています。 「●□×▼■、☆●△■×〇」 女性の方が話し始めました。良く通る張りのある声です。しかし、 「ことばが、分からないですね。」 「どこの人なんでしょう。」 「□★〇×、」 その時、画面の左下にウインドウが開いて、別の画像が表示されました。やはり、星です。最初に表示された星は半分以上が黄土色の雲に覆われていましたが、今度の星は違います。青い海が遥かに多く、緑に覆われた大地も多く見られます。そして、その海や大地の上には白い雲が浮かんでいます。 「この星・・・」 「地球に似てるけど・・・、」 説明は続きました。 「●□△★××△、〇★△×。」 そして、次に表示されたのは、 「この映像、」 「いま僕達のいる、この設備、ですね。」 「しかも、まだ作ってる最中みたいですね。」 しばらくすると、再び、男性と女性の立つ映像に変わりました。そして、その足下には。 「あ、こいつらだ。」 小杉さんのそばにいた犬君が、頭をすり寄せてきました。 「あれが、お前たちのご主人様なのか?」 「マウマウ。」 小杉さんの質問に犬君が何と答えたのかは、もちろん、わかりません。 映像も最後に近づいたようです。 画面の中の女性が右手の手の平をこちらに見せました。そして、その手の平を自分の胸に当てました。男性も同じように手の平を胸に当てました。 「■★☆〇□▲。」 「☆□▲▽●。」 画面の中の2人が、おそらく、締めのことばを言うと、画面はゆっくりとフェードアウトしていき、映像は終了しました。 「マウマウ、マウマウ。ムーー。」 画面の前にいる犬君が小杉さんと鵜の木さんに向かって鳴くと、画面の横にある四角い箱を見つめました。 「ん、どうしたんだ?」 「ムーー、」 犬君、その箱に顔を近づけては、また、再び小杉さんと鵜の木さんの方を見つめました。 「あっ、もしかして。」 鵜の木さんが何かを見つけました。その四角い箱にそっと近づきます。いやいや、大丈夫ですよ、鵜の木さん。そんなにビクビクしなくても。よほど怖いんですね、犬君が。 その鵜の木さんの動きを、画面の前の犬君が追っているようです。 「えっと、」 鵜の木さんは、その箱から飛び出ている、小さな突起のような物をそっと摘まみました。 「こ、これのことかな?」 ふるえる声で犬君に尋ねました。 「マウマウ!」 なんか、鳴き声が弾んでいます。 鵜の木さんは摘まんでいる突起をそっと引きました。出て来たのは、細長い板状の物体です。 「マウマウ!マウマウ!」 犬君、間違いなく喜んでます。鳴き声が弾んでるし、これまでになく尻尾を激しく振っています。 「なんですか、それ?」 小杉さんも鵜の木さんの前に行くと覗き込むように、その、取りだした物を観察しました。 よく見ると、一方の端に、金色に輝く薄い小さな板状の部品が3本付いてます。 「これ、たぶん、」 「何なんですか?」 「コンピュータの外部メモリですよ。」 「へー、これが。」 小杉さん、画面の前の犬君を見つめました。 「これを、くれるのかい?」 「マウマウ!」 「大丈夫みたいですね。」 鵜の木さん、その外部メモリを一旦、犬君の方に差し出すと、ゆっくりと自分の方に寄せて、宇宙服の腰に付けた小さな物入れに、ゆっくりと仕舞いました。 「マウマウマウッ!」 「はははっ、大丈夫そうですね。もらってくよ。」 さて、外では。 「艦長、やっぱり私たちも行くべきです。もう2時間近く経つじゃないですか。きっと、なんかあったんですよ。」 ライラさんがものすごい剣幕で艦長に詰め寄っています。 「しかし、そんなに深刻な事態が起きているようには思えないぞ。」 「私もそう思います。センサーでも爆発や人間が激しく動き回っている反応もないし。」 「ですが・・・。」 ライラさん、心配なんですね。小杉さんのことが。 あーあ、いいなあ。私にも、心から心配できる人が出来ればいいのに。 「あ、艦長!」 「艦長!」 回線をつないだままの、シーライオンの舞さんと、ノースポールのブリッジにいる大森さんが、同時に叫びました。 「通信です。えっと、」 「鵜の木君からね。メインディスプレイに出します。」 そう言いながら、大森さんが端末を叩きました。みんな、メインディスプレイを見つめました。 そして。 「ははははっ、ははははっ、」 「マウマウマウッ!」 「よし、今度はこっちだ!」 「マウマウッ!」 「ははははっ! よしよし。」 みんな、絶句です。画面に映ったのは、笑い声を上げながら飛び回っている小杉さんと、その周りを跳ね回っている、犬君たちです。いやいや、シーライオンとノースポールのみんなは、犬君たちのことはまだ知らないのです。どうやら、鵜の木さんが撮影しているようです。 「お、おい、小杉!」 川崎さんが、やっと、小杉さんに呼びかけました。 「えっ、あっ、」 小杉さん、突然の川崎さんの声に驚いているようです。 「あ、す、すみません、連絡が遅れてしまって。」 「うん、そうなんだが、一体そこで何をしてるんだ?」 「えーとですねえ、こいつらとすっかり仲良しになってしまって。」 「えー、何なんですか、その、周りにいる子たち?」 舞さんが興味津々に尋ねました。目を輝かせて、もう、興味津々のようです。 「えっと、ロボット犬ですね。ここの設備を守っている警備システムの一部みたいです。」 その時、1匹の犬君がカメラに駆け寄ってきました。もちろん、どアップです。 「マウマウッ! マウマウマウッ!」 「か、かわいーーい。ほんとに、犬なんですか?」 舞さん、とっても嬉しそうです。シートから立ち上がって両手を胸の前で握りしめて画面を見つめてます。 「うん、もちろん、こいつらは地球で作られた物ではないと思うんだけど、でも、地球の犬にそっくりなんだよね。」 「そうか。『地球で作られた物ではない』か。確かにそう思うが、それはそれで大変なことになったな。」 川崎さん、突き付けられた難問に思案する顔です。 「それで、」 我慢しきれなくなったのでしょうか。ライラさんが口を開きました。 「人を散々心配させておいて、いつ帰って来るつもりなのかしら?」 「あ、ごめん、ライラ。でも、すぐ戻るよ。」 小杉さん、3匹の犬君たちに向かって話し始めました。 「じゃあ、みんな。僕と鵜の木さんは帰らないといけないんだ。でも、お前たちも僕らについてくるわけにはいかないんだろ?」 「マウ、マウ。」 お、鳴き声がちょっと寂しげです。実は犬君たち、小杉さんのことばを理解していたりして・・・。 「うん、じゃあ、お別れかな。」 小杉さんすっくと立ち上がりました。そして、この施設に入って来た時と同じドアを開けると、鵜の木さんと一緒にドアの反対側、シーライオン側に移りました。 「じゃあ、みんな、元気でいるんだぞ。ここをちゃんと守るんだぞ。」 そう言うと、笑顔で手を振りました。 「マウマウマウマウッ!」 「マウマウマウ!」 「マウマウマウッ!」 犬君たち、尻尾を振りつつ優しい声で鳴いてます。でも、小杉さんたちについて行こうとはしません。きっと、自分達の任務を、やるべきことを知ってるんです。 ロボットだから。 いえ、ロボットなのに。 小杉さん、ちょっと俯き加減になりましたが、すぐに姿勢を正すと、この、異星人の施設のドアを閉めました。 ゆっくりと、ゆっくりと。 少しずつ、少しずつ、 中の景色が見えなくなっていきました。 そして、ドアが閉まると 犬君たちの鳴き声も聞こえなくなりました。 いえ、中では、しばらくの間、 犬君たちは、 その場を離れることもなく 鳴いていたのですが。 こうして、小杉さんと鵜の木さんはシーライオンに戻りました。 (つづく)
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■更新履歴 2023/03/26 登録 2023/10/29 誤字修正 「右手の人差指で」