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■宇宙巡光艦ノースポール

第2章.宇宙巡光艇シーライオン
第4節.光の向こう側

 西暦2054年5月6日。
 日高基地。第2会議室。

「光速の約2倍、秒速60万Kmで10分間航行したいと思ってます。」

 不動さんが明るい声で打合せの参加者全員に伝えました。

 あの、あくまで個人的な感想なんですが、不動さんていつも明るくて、話していても楽しいのですが、打合せや講義で説明する時も同じ感じで話すんですね。本当はとても難しいことだったりするんですが、不動さんが話すと、なんか簡単に出来てしまいそうな気がしてしまうんですね。で、実際にやってみると、本当に出来てしまったりするんです。魔法をかけられたような、なんか不思議な感覚です。

 光速の2倍のスピードで飛ぶ、というのも、実はとんでもないことだと思うのですが、不動さんに言われると何か出来てしまいそうな気もします。

 さて、今回の不動さんの意見に、他の人はどんな反応を示すのでしょうか。

「光速の・・・、」
「2倍・・・。」

 会議室正面のディスプレイの中で、布田教授とドミトリー博士が顔を見合わせました。

「まだまだ本来の目標にはほど遠いが、」
「しかし、それでも私達人類にとっては全く未知の領域ですよ。常識から完全に外れている。」

 この2人は打合せには東京からリモートで参加しているのです。普段は高田馬場にある東京総合科学大学の柴崎研究室に勤務していて、プロジェクトで必要になるいろいろな事務手続や関係方面との窓口としての仕事を一手に引き受けてくれているんです。古淵首相や稲田防衛大臣と同じように裏方役を担当してくれていて、日高基地でのプロジェクトの運営は基地司令の川崎さんに任せているのです。

 ただし、ノースポール・プロジェクトの正式な責任者は布田教授なので、重要な作業の前にはこうして説明をしているのです。もっとも、鵜の木さんや不動さんの説明に対して、布田教授とドミトリー博士が反対したことはないそうです。信頼されているし、そもそも、鵜の木さんと不動さんが優秀だからなのだそうです。すごいですよね、鵜の木さんも不動さんも。

 しばらくの沈黙の後、布田教授がゆっくりと一言ずつ言葉を選ぶかのように話し始めました。

「うん、準備も検討も十分過ぎるほどにしたんだ。あとは実際に試して、その結果を示すしかないだろう。やろう。うん、やるしかないよ。」

 ドミトリー博士も非常に慎重な面持ちで話し始めました。

「私も賛成だよ。余りにも重大で画期的すぎる理論だが、頭の中で何回検討し直しても、内容は完璧に正しいんだ。世界中にいる知り合いの研究者にも検討を依頼したが、皆、認めているのだ。君たちの示した理論は正しいと。誤りはないと。もうあとは実際に実験して、そして、その結果を胸を張って発表するだけだよ。」

 鵜の木さんと不動さんが研究して、取り纏めた論文『VMエネルギー理論』。正直なところ、僕はほとんど理解できていませんが、鵜の木さんと不動さんが3年間、毎日、朝から夜中まで研究室に詰めて完成させた論文なのだそうです。そして、その示している回答は、あの、アインシュタインの示した相対性理論を越える、いや、覆してしまう、世紀の大理論なのだそうです。僕らってすごい現場に立ち会ってるんですね。

 そして。

 西暦2054年8月21日。
 午前5時45分。
 月面。

 ピピピピッ、ピピピピッ、・・・

 目覚まし時計のアラームが鳴り始めました。ここは、シーライオンに4部屋設けられている乗組員室のひとつです。

「う、うーん・・・、」

 2段ベッドの上の段に寝ている僕が、寝言のような声をあげました。今朝は6時から朝食を用意する当番なので、アラームをセットしておいたのです。

 ピピピピッ、ピピピピッ、

 アラームが鳴り続けています。

 なかなか起きねえなー、俺。

 こらっっ、そろそろ起きろ!

「うーん、」

 あ、やっと、目が開きました。

 気が付いたようです。

 体を捻りながら手を伸ばすと、枕元に置いた目覚まし時計のボタンを押しました。

 アラーム音が止んで、静かになりました。

 ・・・って、こらーーっ、また寝るなっ!

 昨日、月面に着陸して、月面を歩いて、初めて月面で一晩を過ごしたのです。そして、月面での新しい朝が来たのです。

 でも、それはシーライオンの艦内時刻での話しです。実は月の自転周期は約28日。ということは、僕達の時間で28日経つと、ようやく、月面での一日が終わって次の日が来るのです。

 月の一日なげーよ。

 それで、シーライオンの乗組員室は二人部屋です。二段ベッドが置かれています。僕は昔から高い場所が好きなので上の段を取らせてもらいました。下段では鵜の木さんが寝ています。僕はベッドの上でもう一度仰向けになると、あくびをしながら思い切り体を伸ばしました。

 なーんか、すげーうるさい奴に怒られた夢を見たけど、まあ、いいか。

 ちなみに、もうすぐ完成するノースポールでは乗組員全員にそれぞれ個室が用意されることになっています。一人だけの専用の部屋です。ノースポール・プロジェクトは、乗組員やメンバーそれぞれの生活や仕事の環境に、とても気を遣ってくれているので、生活も仕事も、とても快適です。

「よし、起きるぞ。」

 僕は静かに体を起こすとベッドを囲むように引いてあったカーテンを開けました。シーライオンの船内では個人のスペースはこのベッドの上だけです。そのせいもあってか、ベッドは大きめで、足下にバッグを置いてありますが、それでもだいぶ余裕があります。あ、あと、洋服をしまうためのロッカーが、一人1つあります。

 はしごでベッドから下りました。ベッドの下の段はまだカーテンが引かれています。鵜の木さんはまだ寝ているようです。

 着替えを済ませると、そっと部屋から廊下に出ました。あれっ、良い香りがします。ご飯が炊けている香りです。パンが焼けている甘い香りもします。きっと、不動さんが、ひとあし早く起きて朝食の支度をしてるんです。まずい、出遅れました。僕も朝食当番をいっしょにやることになってるんです。早く行って手伝わないと。僕は階段を早足で降りました。シーライオンの食堂は1階にあるんです。

「おはよう。」

 僕は挨拶をしながら小走りに食堂に入りました。でも、あれっ?

「あ、おはよう、小杉。」

 キッチンに立ってサラダの盛り付けをしてるのはライラです。エプロン姿です。ん、なんか萌えるぞ。

「あ、あれ、当番てライラだったっけ?」
「うん、本当は不動ちゃんなんだけど。」

 不動さん、体調でも崩したのでしょうか。

「なんか、夕べ、寝室に来なかったみたいなのよ。それで、今朝探したらブリッジで寝てたの。」
「ブリッジで?」

 なんか、予想外の展開です。何か問題でも見つかったのでしょうか。

「一応、毛布は掛けて来たんだけど、小杉も、ちょっと様子を見てきてもらえる?」
「うん、じゃあ見てくるね。」

 僕は食堂をライラに任せてブリッジに向かいました。フロアを2階分上がるとブリッジです。

 ほんとです。不動さん、自分の席に伏せて両腕を枕にして寝てます。本当に熟睡してるようです。いや、爆睡かも。軽い寝息が聞こえてます。ライラから聞いたとおり毛布が掛けられています。うーん、どうしたものでしょうか。

「うー・・・」

 あ、なんか、不動さん、唸ってます。目が覚めそうなのか、それとも寝言なのか。

「あー・・・、」

 あれっ、なんか黙っちゃいました。寝言だったのかな。あっ、不動さん、うっすらと目を開けました。目が覚めたのかな。まだ何もしゃべりませんが。あっ、目を大きく見開きました。

「あ、あれー?」

 不動さん、眠そうな声で叫びました。気が付いたみたいです。むっくりと体を起こしました。

「あちゃー・・・、眠っちゃったんだ。」

 まだ、目がトロンとしてますが、目を覚ましたようです。

「おはよう。大丈夫?」

 不動さん、ばつが悪そうです。

「すみません、大丈夫です。あーー。」

 シートに座ったまま、後ろに反るようにして伸びをしています。

「はー・・・」

 大きなため息をつきながらシートに座り直しました。そして。

「あれっ?」

 不動さん、何か思い出したのでしょうか。そして、叫びました。

「ああっ!」

 僕の方がビックリです。

「私、朝ご飯当番だったですよね? あちゃー・・・、すぐ行きます。」

 不動さん、ちょっと慌てた感じで立ち上がると少し乱れ気味の髪の毛を手で直しながら歩き始めました。僕も追いかけながら聞いてみました。

「何か問題でも見つかったんですか?」
「いえ、そういう訳ではないです。なんか、今日の試験が心配になって、それで、ちょっと資料とかシステムの設定とか確認してたんです。」

 そうだったんだ。ホッとしました。今日の試験。超光速航行試験です。月面有人探査も重要な試験項目でしたが、実は、超光速航行試験こそ、今回のテスト航海の目玉なのです。

 最重要案件なのです。

「すいません、ライラさん。」

 不動さん、食堂に駆け込みました。

「あ、不動ちゃん。おはよう。だいじょぶ?」
「おはようございます。大丈夫です。」

 見ると、もうおかずやデザートはテーブルに並べられていて、準備はほとんど終わってしまったようです。不動さん、だいぶ恐縮してます。

「別に気にしないでね。そんなに大変じゃなかったし。本当は、お味噌汁とかどうしようと思ってたんだけど、温めるだけだったから。」

 ライラさん、私の代わりに、みんなやってくれてたんです。ほんと、すみません。私が当番だったのに。

「おはよう。」
「おはようございます。」

 川崎さんと鵜の木さんも食堂にやって来ました。鵜の木さん、まだ眠そうです。パジャマ代わりのジャージ姿で目をこすりながら川崎さんの隣に座りました。

 あれ?・・・ていうか、私ってば、ナレーションのお仕事もブッチしてしまってたんですね。本当に申し訳ありませんでした。まさか、代わりに小杉さんがやってくれていたなんて。小杉さん、ありがとうございます。

 あっ、小杉さんが右手で『いいね』してくれてます。また、今度代わってもらうのもいいかも。ハハッ!

「うん、美味しそうだ。」
「ご飯の香りが格別ですね。」

 ちなみに、朝食は男性チームは3人とも和食、女性チームのライラさんと私は洋食です。もうひとつちなみに、シーライオンにはアイランド式で、普通の住宅と同じくらいの設備を揃えたキッチンが用意されているんです。だから、材料さえ積み込めば、何でも作れるんです。ただ、今回は、1泊だけだし、初めての航海ということもあって、和食用の味噌汁と、洋食用のスープは日高基地のレストランで、新田さんに作ってもらったものを魔法瓶に入れて積み込んできたんです。なので、温めるだけです。

「でも、ご飯は今朝炊いたわよ。炊飯器で自動だけど。それと、ベーコンエッグとソーセージは私が焼いたの。」
「ライラの手料理か。楽しみだな。」

 川崎さん、かなり期待しちゃってます。あまりハードルを上げないで下さいね。さて、みんな各自でご飯やパン、味噌汁とスープも取って、準備完了です。

「じゃあ、頂こうか。」
「いただきます。」
「いただきまーす。」

 うーん、美味しいです。パンの焼け具合も最高です。でも、この様子だけ見たら、まさか、ここが月面だとは誰も思わないですよね。月面でご飯を炊いたのも、食パンを焼いたのも、おそらく、いえ、間違いなく史上初めてのことなのです。

「ところで、小杉はプロジェクトに来る前は一人暮らしだったのか?」

 川崎さんが尋ねました。小杉さん、納豆を混ぜてます。

「ええ。アパートで一人暮らしですね。」
「食事は自炊か?」
「んー、朝はほぼ毎日自炊ですね。と言っても作るのは味噌汁だけですけど。」

 おっと、味噌汁だけとは言え、毎日作ってたなんて、ちょっと凄くないですか?

「おかずはどうしてたんだ?」
「納豆か生卵ですね。買ってくるだけで済むし。気が向くと鮭の切り身とか焼くんですけど、グリルを洗うのが面倒なんですよね。」

 なるほど。同感です。それににおいがこもるんですよね。私もひとつ聞いてみました。

「晩ご飯はどうしてたんですか?」
「んー、夜はほぼ外食かなあ。」
「そうですよね。夜は疲れてるし。」

 ですね。私は学生時代は自宅から通ってたんですが、それでも、家に帰ると結構疲れちゃってました。

「でも、自炊もしてましたよ。たまにだけど。」

 おっ、小杉さんてば、何を作ってたんでしょうか。興味あります。

「カレーとか、肉じゃがとか。野菜炒めは結構作ってたかも。ああ、あと、コロッケかな。」

『コロッケ!?』

 ライラさんと私、ハモってしまいました。

「うん、僕の中では超高級品。」
「んー、自分で作ってたんですよね?」
「もちろん。」
「確かに、手作りのメニューとしては高級品かも。」

 うーん、これは負けるかも。小杉さん、コロッケを作れるなら、きっと、何でも作れますよ。

「作り方が面倒だから時間に余裕のある時でないと作れないし。でも、コロッケを摘まみながらビール飲むってのも意外と合うんですよね。ちなみに、自分で作ったコロッケ限定ですね。惣菜で買ってきたのはダメですね。」

 それを聞く川崎さん、なんか、頷いてます。

「うん、それはわかるな。たぶん、揚げたてだから美味しいんじゃないのか?」

 ちなみに、ここだけの話ですが、川崎さんは揚げたてのメンチカツをつまみにワインを飲むのが至福の時なんです。あ、でも、自分で作るわけではないんですけどね。この話も、機会があったらご紹介したいと思います。

「でも、コロッケ作れるなんて凄いじゃない。」

 ライラさん、本気で褒めてます。

「えっ、そうなの?」
「凄いですよ。是非食べてみたいです。一度作ってもらえないですか?」

 あははっ、私、無茶振りしてしまいました。

「えっ、そんな突然言われても。」
「ここのキッチンなら作れるんではないのか?」

 川崎さんも乗ってきました。

「いっそのこと、予定を一日延ばして、小杉のコロッケをみんなで食べるというのはどうかしら?」

 川崎さんも、ライラさんも、思いっきり煽ってますねえ。

「はははっ、それは楽しみだな。」
「ちょっとちょっと、艦長まで。それに材料ないですよ。」
「そうか、それは残念だな。月面にスーパーでもあれば良いのだが。」

 それは凄いですね。もしもこれから宇宙に出る人が増えれば、宇宙に住む人も出てくると思うのです。例えば地球の周りの衛星軌道上とか、もちろん、月面にも。そういう時代になれば、スーパーやコンビニエンスストアも、絶対、宇宙に必要になると思うのです。シーライオンの試験航海がひとまず順調に進んでいることを考えると、そんな未来もすぐそこまで来てるような気がします。

「ごちそうさまでした。」

 小杉さん、そう言って立ち上がると使っていた食器をキッチンのシンクに運んでいきました。

「あ、僕も、ごちそうさま。」

 鵜の木さんも立ち上がりました。そして食器をまとめてシンクまで持って行きます。あ、小杉さん、シンクの前に立ったまま、シャツの袖をまくり上げました。

「あ、鵜の木さん、すみません。」

 鵜の木さんの食器を受け取ると、シンクの中に置きました。私、あわてて言いました。

「小杉さん、私やっとくのでそのままにしといて下さい。」
「え、でも、一応朝ご飯担当だし。」

 そう答えると、濡らしたスポンジに洗剤を付けて食器を洗い始めたのです。

「私のも頼んでいいのかな?」
「もちろんです。どーも。」

 川崎さんの持ってきた食器も受け取って、シンクの中に置きました。

「私もやります。」

 私、飲みかけていたコーヒーをあわてて飲み干すと、食器を小杉さんのところまで持って行きました。

「あ、そしたら、テーブルを拭いて、調味料とか片付けてもらえますか?」
「あ、はい。」

 私、テーブルに戻ると、調味料の小瓶を集め始めました。

「私も手伝うわね。」

 あ、ライラさんが台ふきんを持ってきてテーブルを拭いてくれています。

「すみません、私やらないといけないのに。」
「大丈夫。家にいた時はお母様の手伝いもしてたし。」

 すごいです。小杉さんもライラさんも手際が良くて。

「洗う食器、もうないですか?」

 小杉さん、洗い終わった食器を水切りラックから乾燥機に移しています。この乾燥機、食器を入れて蓋を閉じると、中の食器が固定される仕組みになっています。宇宙船の船内なので、不意の衝撃や船の姿勢が変化する可能性もあるので、きちんと固定される構造になっているんです。

「よし。」

 小杉さん、乾燥機の蓋を閉めました。

「スイッチオン、と。」

 乾燥機が低い動作音を立てて動き始めました。

 3人で片付けたのであっという間です。

「すみませんでした、小杉さんとライラさんも。」

 私、もう一度謝りました。元はと言えば、私が寝過ごしちゃったからなんですよね。反省反省。

「大丈夫だよ、すぐ終わったし。」

 小杉さん、まくり上げた袖を戻しながらテーブルの方に戻ってきました。

「そうよ。お互い様。」

 ほんと、私ってばみんなに助けてもらってばかりです。

「まだ、時間あるな。」

 小杉さん、座ってた席に置いてあったセカンドバッグを持つと歩き出しました。

「もうブリッジに行くの?」

 ライラさんが尋ねました。

「えっとねえ、これ。」

 小杉さん、立ち止まるとバッグから何か取り出して見せました。歯磨きセットです。

「あ、私も行きます。」
「私も磨いとこ。」

 3人で洗面台に行きました。食堂と同じ1階の通路の奥にあります。

「小フギっへ、洗フのヒョウフラったファよね?」
「ホう? フかヒ、ヒサカ屋レヒュウホウのハイホしヘハんラ。」
「ホうラっハんレフね。」

 あのー、お見苦しいところをお見せしてしまってすみません。歯磨きしながらのお喋りはちょっとお行儀が悪いですよね。小杉さん、昔、居酒屋の厨房で洗い物のバイトをしてたことがあるそうなんです。それで手際が良かったんですね。

「よし、サッパリした。じゃ、いよいよ今日の仕事かな。」
「そうね、がんばらないと。」
「私もです!」

 そうなんです。いよいよ、今回の試験航海で一番難しい試験をするんです。

 超光速航行試験、です。

 航行ルートは簡単です。シーライオンは月面を発進後、一旦、月の周囲を回る周回軌道に入ります。そこで、VMリアクタなど主要なシステムの最終点検を行います。問題がなければ月の周回軌道を離脱。シーライオンは加速しながら、地球が太陽の周りを巡る公転軌道を、地球を追い越してひた走るのです。途中、光速の2倍の速度に達したら、その速度を維持しながら10分間飛行します。その時間が過ぎたら光速の半分ほどの速度に減速。地球に追いついたら試験終了です。所要時間はおよそ1時間半を予定しています。

 ちなみに、歴史上で初めて、月軌道よりも外側の太陽系の空間を飛ぶんです。こういうのも惑星間飛行と呼んで良いのでしょうか。

 そうか、順調にいけば、今日のランチは日高基地のレストランで食べられるんですね。

「この試験が成功したら、本当に宇宙の時代が来るのかしら。」

 ライラさんが操縦席で航行システムのチェックをしながら言いました。

「うん。来るよ、絶対に。」

 統括席で船内システムの確認を終えた小杉さんが、力強い声で答えました。

 嬉しいです。信じてくれていて。うん、絶対に成功させないと。

「不動さん、」
「・・・、」
「不動さん。」

 えっ、あっ、鵜の木さんです。すみません。気が付かなくて。

「緊張しすぎだよ。もうここまで来たんだ。あとはシーライオンを信じてゆっくりと結果を待とうよ。『果報は寝て待て』とか言うし。」

 さすが、鵜の木さん。度胸が座ってます。

「そうですよね。はい、私もシーライオンを信じてます。」

 そうです。ここまで来たのです。私達、頑張ったんです。問題もたくさん解決してきました。その結果、シーライオンは楽々と大気圏を脱出して、月まで到達して、そして、私達は月面を歩いたし、月面でお気に入りの飲物を飲みながら休憩もしたんです。

 超光速航行試験も成功するに決まってます。

 ・・・

 ところで、その超光速航行なのですが。

 宇宙空間を実用的な所要時間で移動するためには光の速度でも十分ではありません。光速の何倍、何十倍もの速度が必要なのです。ちなみに、ノースポールは最大で光速の65万倍ほどの速度を出すことが出来る仕様になっています。

 ・・・って、想像できないですよね。そのくらい驚異的な速度なのですが、例えば、私達の太陽系のある天の川銀河、いわゆる、銀河系。直径は約10万光年です。この銀河系の端から端までを、ノースポールの最高速度である、光速の65万倍で横断すると、2ヶ月弱かかるのです。光速の65万倍でもですよ!

 宇宙って広すぎますっ!!

 それで、宇宙空間を実用的な所要時間で航行する方法はかなり昔からいろいろ考えられてきました。「ワープ」と言う名前で登場することが多いように思います。原理的には大きく2種類に分けることができる思います。

 ひとつは、今いる場所から目的地に向かって、私達のいる空間とは別の空間を通って到達する方法です。良く例えとして使われるのが、リンゴの表面のある点から別の点に移動するのに、リンゴの表面の皮の上を移動するのではなくて、虫がリンゴを食べるように、リンゴに穴を開けて移動する方法です。皮の上を移動すると、どうしても曲面に沿って移動しなければなりませんが、穴を掘れば目的の場所に向かって直線コースで移動することができます。リンゴの表面に沿って曲面を移動するよりも、直線で移動した方が近いですよね。

 実は宇宙にはこのリンゴの穴のような空間が実際にあるかもしれないというのです。

 ワームホールです。

 宇宙の中の2つの場所に、それぞれ出入り口のような穴が開いていて、一方の穴の中に入ると、瞬間的にもう一方の穴から出ることができる、という物です。基本的には、ブラックホールと同じように、この宇宙空間で自然に発生すると言われています。でも、実際に存在しているワームホールは未だ観測されていませんし、ワームホールの存在自体を否定する意見もあります。

 そのようなわけで、この宇宙にワームホールが自然に存在するかどうかは不明確なのですが、SF小説や映画の世界では、ワームホールを人工的に発生させる技術が登場することもあるようです。つまり、どこでも好きな場所にワームホールを作ることができるのです。自然に発生したワームホールと、人工的に発生させたワームホールのどちらが実用的かと言われれば、やはり、人工的に好きな場所で発生させることが出来た方が便利なように思います。

 この人工的に発生させたワームホールと同じことのできる、あるシステムは、とっても有名です。皆さんも絶対ご存じと思います。かの有名なネコ型ロボット君が持っている、あの『ドア』です。あのドアがワームホールを利用しているかどうかはわかりませんが、まさに同じことをやってますよね。

 もうひとつちなみに、そのネコ型ロボット君は西暦2112年に作られるそうなのです。今年は西暦2054年ですから、あと58年後ですね。私の年齢は・・・、ちょっと秘密なのですが、なんか、会えそうな感じです。実際に会えることを楽しみに生きていきたいと思います。

 さて、もうひとつ、ワープの方法としてよく見るのが、宇宙船の周りを、何か特別な空間で包みこむと光を超えるスピードで移動することが出来るようになる、というものです。アインシュタインさんの理論によると、物体のスピードが速くなると、その物体の質量も大きくなっていって、光の速度に達すると、物体の質量は無限大になってしまうのだそうです。そんなことになったら宇宙船自体存在できなくなってしまいますよね。なので、宇宙船の周囲を何か特別な空間で包むことで質量が無限大になることを防ぐ、というアイデアのようです。

 なお、物体の速度が高速に達すると、物体の質量が無限大になる、という理論ですが、それこそ、光速を超えることは不可能と言われてきた理由なのです。

 ですが、私達が偶然手に入れた『ビーナスメタル』の発するVMエネルギーを利用すれば、ワームホールのような抜け道は必要なくなるのです。しかも、光を超える速度で移動しても質量が無限大になることもないのです。自由に宇宙空間を移動することが出来るようになるのです。私が言うのもなんですが、画期的なすごい理論であり技術であるんです。そして、まさに、いま、その理論を実証する試験が始まろうとしているのです。

 ごめんなさい、アインシュタインさん!!

 あなたの創り出した物理学の世界、

 私が書き換えさせてもらいます!

 ・・・、

 あちゃー、言っちゃった・・・。

 もう、引き下がれないなあ・・・。

 ・・・、

 シーライオンは月を周回する軌道上にいました。

 私達5人とも、昨日に引き続き宇宙服を着用しています。もちろん、絶対に成功するはずですがやはり万が一の事故に対する備えは必要です。ヘルメットも着用して万全の体勢です。

「現状報告。」

 川崎さんが落ち着いた声で指示しました。

「VMリアクタ、正常。ドライブパネル、異常なし。」
「重力システム、正常。艦内環境システム、異常なし。レーダー及び各種センサーも異常なし。」
「航海システム、異常なし。姿勢制御システム、異常なし。」
「火器管制システム、異常なし。バリアシステム、正常。」

 最後に小杉さんが一言、まるで宣言するかのように報告しました。

「シーライオン、全艦異常なし。」

 川崎さんは、ややあらたまった低くて力強い声で指示しました。

「よし。シーライオン、発進。」
「シーライオン、発進します。」

 ライラさんは復唱すると操縦桿のサブコンソールのキーを軽く叩き、足下のペダルを強く踏み込みました。

 シーライオンは月に沿って、月の向こう側へ回り込むように速度を上げながら飛ぶと、進路を変えて月から遠ざかり始めました。

「月周回軌道を離脱しました。月と地球の前に出ます。」

 これからシーライオンは地球の公転する軌道をひた走るのです。ですから、まずは、地球の前に出なければなりません。

「現在の速度、光速の3%。加速します。」

 光速は秒速約30万Kmです。その3%ですから秒速約9,000Kmですね。地球の周囲の長さが約4万Kmなので、おおよそ、1秒間に地球を4分の1くらい回れそうかな、というスピードです。ちなみに、秒速です。1秒間に進む距離です。光速のたった3%とは言え、猛烈なスピードなのです。

 しかし、シーライオンはさらに加速していきます。後ろにいたはずの地球の姿はとっくに見えなくなっています。

「光速の10%。」

 さらに加速してゆきます。他の人は何もしゃべりません。じっと各自の目の前の端末を睨んでいます。

「20%。」

 私、思わず、額の汗を拭おうとしましたが、もちろん出来ません。宇宙服のヘルメットを被っているんです。宇宙服の左手の袖口にあるコントロールパネルで宇宙服の中の空調を少しだけ強くしました。

「速度、光速の30%・・・。」

 順調です。順調に加速しています。

 ご参考になりますが、光速の30%は、秒速約9万Kmです。地球の公転軌道から、火星の公転軌道までの距離は、約7800万Kmですので光速の30%の秒速9万Kmで飛ぶと、所要時間は15分ほどなのです。もっとも、地球も火星も円形の公転軌道上を異なる速度で公転してますから、必ず15分で地球から火星に着くことができるわけではありませんが。

「光速の50%・・・。」

 ついに、光速の半分です。それにしても、本当にスムーズです。騒音も振動も全くありません。コンソールを見つめていなければ、今私達が猛烈なスピードで宇宙空間を突き進んでいることさえ気が付かないでしょう。

「60%・・・。」

 ライラさんがそう報告した直後。

「ハーッ、ハーッ。」

 突然小杉さんが大きく呼吸しました。

「大丈夫? 苦しいの?」

 隣にいるライラさんも心配そうです。もしかして、宇宙服の空気の供給量の設定が間違っていたのでしょうか。そうだとしたら大変です。設定を直さないと命にも関わります。でも、小杉さん、少し笑いながら答えました。

「いや、大丈夫。なんか、端末を見つめてたら呼吸するのを忘れちゃったような、そんな感じ。本当に苦しいわけじゃないから。」
「えーっ、本当に大丈夫なのー?」

 ライラさん、半分笑いながら聞き返しました。

「小杉、それと他の者もだが、」

 川崎さんが話し始めました。

「ちょっと緊張しすぎだ。もう少しリラックスしても良いくらいだ。」

 そうです。緊張した状態が長く続くと健康にも影響します。

「はい、気を付けます。」

 小杉さん、ちょっと反省した表情で答えました。

「あっ、」

 ライラさん、サブコンソールを見て叫びました。今度は一体なんでしょうか。

「速度が光速の90%に達しています。現在、加速を停止して、今の速度を維持して航行しています。」

 すごいです。私たち、もう、光速の一歩手前まで来ているのです。もう一歩進めば光の速度です。さらにもう一歩進めば、私たちは光の速度を超えるんです。

「よし。」

 川崎さんが立ち上がりました。

「諸君、我々はいよいよ光速の突破に挑戦する。未だかつて人類が経験したことのない世界に、我々は足を踏み入れるのだ。全員、油断しないよう十分気を付けてくれ。」
「はい。」

 川崎さん、軽く呼吸すると指示を出しました。

「ライラ、加速を再開してくれ。」
「了解。」

 ライラさん、サブコンソールに軽くタッチしました。

「加速を再開しました。」

 いよいよです。シーライオンは光の壁を越えるんです。

「速度、光速の96%、97%、98%、99%・・・、」

 あっ、外が真っ暗です。

「光速を越えました。現在の速度、光速の102%、103%・・・、105%。」

 やりました。

 私達は、光の速度を超えたのです。

 ついに、光の壁の向こう側に来たのです。

 鵜の木さんが端末を睨んでいた顔を上げました。

「やったね、不動さん!」
「はい! ありがとうございます。」

 ごめんなさい、アインシュタインさん。

 私、とうとう、あなたの時代に幕を下ろしてしまったんです。

 あれっ、誰か私の肩を叩きました。

 振り向くと、川崎さんです。

「私からも、お祝いを言わせてくれ。君たち2人の長い間の苦労がやっと実ったのだからな。」

 ヘルメットの中で川崎さんが満面の笑みを浮かべました。そして。

「おめでとう。」

 小杉さんとライラさんがこちらを向いて笑顔で拍手してくれています。

「よし。」

 川崎さん、気合いの入った声で言うと席に戻ってシートに腰掛けました。

「ライラ、現在の速度は?」
「はい、光速の150%を超えました。」
「よし。では、全員担当のシステムをチェックしてくれ。感覚的には異常はないように思えるが、今我々は未知の世界にいるのだ。慎重にチェックを頼む。」
「はい。」
「了解です。」

 全員作業を始めました。

「VMリアクタ、正常。ドライブパネル、異常なし。」
「重力システム、正常。艦内環境システム、異常なし。レーダー及び各種センサーも異常なし。」
「航海システム、異常なし。姿勢制御システム、異常なし。」
「火器管制システム、異常なし。バリアシステム、正常。」

 小杉さん、不安も感じさせない落ち着いた声で宣言します。

「シーライオン、全艦異常なし。」

 川崎さん、満足そうな表情で頷きました。

「よし、現在の速度は?」
「間もなく光速の190%です。」

 もう少し、もう少しで目標の速度、光速の200%です。

「・・・、いま、光速の200%です。加速停止しました。現在の速度を維持。」

 やりました。ついに目標の速度です。最初に予定していた、光速の約2倍、秒速60万Kmに達したのです。

「よし。このまま10分間、現状を維持しろ。」

 そうです。それが完了すれば、実験成功なのです。超光速航行の実用化の道が開けるのです。

「光速の2倍かあ。」
「どう、小杉、感想は?」

 小杉さんもライラさんも余裕の雰囲気です。

「そうだなあ、自分で車を運転して時速100キロで走り続けるよりも、安心な感じかなあ。」

 ライラさんが返事をする前に、川崎さんが割り込みました。

「だが、今は小杉は運転していないからな。」

 確かにその通りです。運転はライラさん、小杉さんは車で言うなら助手席に座ってるんです。

「・・・、そういえば、シーライオンて右ハンドルですよね。」

 あ、小杉さん、何か話題をそらそうとしてませんか?

「まあ、シーライオンは日本製だからな。」

 あ、あれ? 川崎さんまで訳分からないことを言い出して。もしかして、超光速が、川崎さんや小杉さんの思考回路に影響してるとか。

「あら、でも、アメリカでお友達の乗ってるレクサスは左ハンドルだったわよ。」

 えっ? ライラさんまで。

「うん、レクサスはアメリカの工場で作ってるだろうし、日本からアメリカに輸出している車もみんな左ハンドルだと思うよ。」

 説明した小杉さん、ちょっとドヤ顔です。

「へー、そうなのね。」
「だから、日本製だから右ハンドルというのは・・・」

 小杉さん、後ろを振り向いて川崎さんを見つめました。

「わかったわかった、私の負けだ。」

 川崎さん、苦笑いしてます。良かった。超光速の悪影響ではなさそうです。

「あっ、」

 突然、小杉さんが叫びました。

「どうした?」

 川崎さんが真顔に戻って鋭く尋ねました。小杉さん、神妙な表情です。

「すみません、10分過ぎてました。現在、12分経過。」
「小杉、もう一周したいのか?」

 川崎さん、笑みを浮かべつつも厳しく指摘しました。確かに、このまま行けば、シーライオンはもう一度地球を追い越して2周目に突入です。

「ライラ、ゴメン。減速して。」
「了解。減速・・・、もしかして、これ、貸しなのかしら?」

 ライラさん、ちょっと意地悪そうな笑顔で小杉さんに聞きました。

「うん、貸しだな。全員にだ。」

 川崎さんも乗っかりました。

「えーっ、全員に貸し、ですか?」
「そうだ。」

 その川崎さんのトドメの一言に、私、ピンときました。

「もしかして・・・、」

 みんな、わたしの言葉を待っているようです。

「お手製コロッケ大振る舞いですかあ?」

 今朝、食事の時に話題になった、小杉さんのコロッケです。ブリッジ内に笑い声が湧きました。

 やった。

 楽しみが増えました。

 小杉さんは頭を抱えています。

 それを横目で見ながら、ライラさんが笑顔で報告しました。

「前方に地球を確認。距離、200万キロ。」

 川崎さん、満足そうな表情で指示しました。

「よし、減速。帰ろう、地球へ。」

 こうして、シーライオンの試験航海は無事に終了しました。月面の有人探査はもちろん、超光速航行にも成功して、私達は充実した満足感を抱きながら、前方で青く輝いている地球を見つめました。

 ・・・ひとり、小杉さんを除いては。

「コロッケの作り方、復習しとかないと。」

(つづく)
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■更新履歴
2022/12/25 登録
2023/02/26 誤字修正