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■宇宙巡光艦ノースポール

第3章.発進、ノースポール
第1節.烈虎、発進

 2055年1月7日、15時。

「60秒前。」

 ロケット最上部のカプセルに並んで座る3人の乗組員は、いよいよ発射の瞬間が訪れることを悟りました。水平に寝かせた状態に設置されたシートに仰向きに寝るように座っています。もちろん、シートベルトで厳重に守られています。

 ロケット打ち上げ場の中央にそびえ立つ巨大な発射塔。そこから伸びる腕に支えられて立つ最新型のロケット。傾き始めた午後の日差しを受けて神々しいまでに輝いています。

「30秒前。」

 いよいよです。中央に座る人物はぐっと歯を噛みしめて、目を閉じました。正直なところ不安も感じていました。決して口にはしませんでしたが、当然、失敗する可能性もあるのです。爆発して崩れ落ちるロケット諸共、自身も炎に包まれて終わりを迎える可能性もあるのです。しかし、もう後戻りは出来ません。世界の頂点に立ち、世界を支配する力を持ったことを示すためにも、何としても宇宙に行かなければならないと考えたのです。

「10秒前。」

『私は、宇宙に行かねばならないのだ。世界を支配するために・・・。』

「・・・7秒前、6秒前、・・・、」
「エンジン始動。」

 補助ブースターと合わせて合計7機のエンジンが次々に始動します。噴射ノズルから何者をも貫く力と勢いで炎が吹き出します。ロケットが小刻みに震え始めます。

「始動完了!」

 もうもうと煙が立ち上り、ロケットと、それを支える発射塔を包んでいきます。

「・・・3、2、1、離床!」

 ロケットを支えていた6本のアームが次々と解除され離されます。

 巨大なロケットが轟音と供にゆっくりと上昇を始めました。巨大な推力でロケットを持ち上げるエンジンの噴射。ロケットを覆い隠すほどに巻き上げられる煙。

 中国が開発した新世代の高性能ロケット、

 『烈虎B型』3号機の発射です。

「行けっ!」
「上がれ!」

 管制官や技術者の人達の願いが通じたのか、ロケットは力強く上昇していきます。噴射ノズルから吹き出す炎が目映い光を放っています。

「烈虎、離床成功。姿勢制御、開始。」
「よし。」
「いいぞ、行けーっ!」

 烈虎は打ち上げた時の垂直の姿勢からやや東寄りに傾いた姿勢に変わり上昇を続けます。その力強い軌跡がロケットロードとなって青空につながる柱のように描かれていきます。

「増設ブースター燃焼終了。」
「切り離し・・・、」

 まるで花びらが開いて散るかのように、4本の増設ブースターが切り離されて烈虎本体から遠ざかると、それぞれパラシュートを開いてゆっくりと降下していきます。

「切り離し成功!」

 このブースターは海上で回収して再利用する設計なのです。

「よしよし、行けー、行ってくれ。」

 烈虎の頭頂部に搭載されたカプセル内では3人の乗組員が、体が押しつぶされそうな強いGと、耳をつんざくすさまじい騒音、そして、今にも分解するのではないかと心配になるほどの激しい振動に耐えていました。

 右端に座る乗組員が、中央のシートに座る人物に報告しました。

「間もなく衝撃があります。」
「うむ。」

 中央の人物は、強い恐怖感と疲労感のため早くもダウン寸前のようです。

「お備え下さい。」
「わかった。」

 右の乗組員のことばに、必死の思いで答えました。

「第1段エンジン、燃焼終了。」

 烈虎の速度が瞬間的に落ちます。3人の乗組員は惰性で前方に倒れ込みます。もちろん、シートベルトに支えられているので本当に倒れることはありませんが。

「第1段、切り離し。」

 烈虎の最後尾の区画が分離しました。ゆっくりと遠ざかります。

「第2段エンジン点火!」

 第1段よりも少し小さめの2機のノズルからエンジンの噴射が始まりました。烈虎は再び急激に加速を始めました。それに翻弄されるように3人の乗組員は再びシートの背もたれに押しつけられます。

「点火正常。」
「烈虎、高度300・・・、400・・・。」
「第2段エンジン、燃焼終了。」

 烈虎の加速が止み、慣性により音もなく飛行し始めました。

「高度420Km。」
「低高度周回軌道に入ります。」

 高度420Km。かつて国際宇宙ステーションのISSが飛行していたよりも少しだけ上の軌道です。何でも『ISSと同じ高さではダメだ』との強いお達しがあったとかで、この高度に決まったのだそうです。どなたか知りませんが、どこの国にもいるものです。わがままな政治家の方が。

「ハ・・・ハ・・・、ハーックショーンッ!」

 おっと、中央の席の方がカプセルが割れるのではないかという勢いのクシャミをしました。体調でも悪いのでしょうか。

 一方地上の基地に待ちかねた知らせが届きました。

「展開中の観測船から入電。烈虎からの信号を受信。予定通りの軌道に入ったことを確認したそうです。」

 待望の連絡です。

「成功だ!」
「やったぞ。」

 管制室に歓喜が沸きました。大歓声です。・・・確かに感動的な場面ではあります。本来なら世界中に大々的に宣伝できる成果でしょう。でも、今回のこの打ち上げは実は極秘のミッションなのです。正確に言うと、衛星軌道上の目的地に達するまでは外部に漏らすことは許されないのです。なぜなら、万が一にも失敗したら大変な事態になるのです。

 実は、烈虎の最先端のカプセルに、ある重要人物が乗り組んでいるのです。

「総書記、周回軌道に入りました。ご寛ぎ頂いて大丈夫です。」

 右側の席に座る乗組員が、中央の席に座る人物に恭しく伝えました。

 そう、中国共明党総書記、雅蘿柄氏が自ら烈虎型ロケットに搭乗して、宇宙を目指しているのです。

 えっ?! なんで? という感じ満載なんですが。何か特別な目的でもあるのでしょうか?

「さすがに、生きた心地がしなかったぞ。世界に先駆ける最新型のロケットとは言え、もう一度乗りたいと思える自信はないな。」

 そんなにも恐怖感を感じる打ち上げだったのでしょうか。でも、従来型の技術で作られたロケットではやむを得ないのかもしれません。強烈なGと、耳をつんざく轟音、そして、ロケット自身が分解するのではないかという不安に襲われる激しい振動。これらに、為す術もなく耐えながら宇宙を目指さなければならないのです。

「ご指摘、その通りです。しかし、烈虎はまさに我が国の技術力の結晶でありまして、その性能と信頼性は世界のどの国も追随できないレベルなのであります。」

 その説明に、雅総書記が鋭く質しました。

「例えば、米国でもかね?」
「はい、もちろんです。」

 中国航空宇宙局一等技術士である、義李霧さん、はっきりと断言しました。いえ、別に、かなり危険そうな香りのする総書記殿に対して、アメリカには敵わない、とは言えなくて噓をついた、というわけでもありません。

 総書記殿の件を脇に避けておいて、技術者的な目で見るなら、確かに、烈虎は世界でも最も優れたロケットでしょう。アメリカもロシアも凌駕する世界トップレベルの性能を持つロケットなのです。中国にも、義さんをはじめとする優秀な技術者がいたのです。

 ただ、とても申し訳ないのですが、今や、世の中の状況が根本的に変わろうとしているのです。その従来型の技術の世界自体が、根本的に書き換えられようとしているのです。

 ノースポールです。

 何しろ、この現代世界に『未来の技術』が出現してしまったのです。ノースポールが飛ぶ姿はまだお見せできていませんが、シーライオンの性能を考えて頂ければ理解してもらえるのではないかと思います。

 何の苦労もなく大気圏を脱出して、月面に到達して、着陸もしました。そして、あろうことか、光の速度も易々と超えてしまったのです。アインシュタインさんが作り上げた理論に基づく時代までもが、何ともあっけなく幕を降ろしてしまったのです。

 そう考えると、今の時代ってとんでもないことになってるんですね。この状況を作ってしまった張本人としては、謝ることしか出来ないのですが。

 さて、そんな状況はいずれ中国の方達も知ることになるはずなのですが、要するに、中国の国家元首自ら宇宙飛行に挑戦しているのです。目的地は、衛星軌道上に建設した新型の宇宙ステーション『星城』です。遠心力を利用した人工重力システムと、最新のコンピュータを搭載して、陸海空の3軍と、間もなく本格的に活動を開始する宇宙軍への指揮機能を備えているのです。そして、これらの機能を支えるために大出力かつ小型の原子炉も搭載しているのです。

 この宇宙ステーション『星城』は、中国渾身の宇宙基地なのです。どうやら、中国では『宇宙要塞』と呼ばれることになるようです。まだ、武装を施す予定はないようなのですが。

 さて、1時間後、烈虎は、いよいよ中国の誇る宇宙要塞『星城』とのドッキングに成功しました。

「やった!」
「やったぞ!」

 地上の管制室は再び歓喜の渦に包まれました。誰が持ち込んだのか大量の爆竹が鳴り響き、大騒ぎです。管制室内は白い煙に包まれて正面のメインスクリーンさえも霞んで見える有様です。

「どうぞ、総書記。」
「うむ。」

 先に乗り移った義さんに右手を引かれて、雅総書記は漆黒の宇宙空間に浮かぶ無敵の要塞『星城』に乗り込んだのです。

「総書記、ここから重力があります。ご注意下さい。」

 床を見ると赤い線が引かれていて、その向こう側の床はゆっくりと動いているようです。ステーションの一部が回転して、ほぼ地上並みの人工重力を発生させているのです。

「なるほど、ありがたい。これも祖国の成し得た歴史的快挙だな。」

 雅総書記、重力ブロックに入ると、両手を腰の後ろに回したお得意のポーズで立って周囲を見回しました。

「うむ。やはり、我が祖国は偉大だ。」

 ご満悦の様子です。・・・、いますよね、こういう危険な感じの政治家の方。

「こちらの椅子へお座り下さい。」

 宇宙要塞『星城』の司令官であり、中国宇宙軍の総司令も務める倶螺鞍さんが、雅総書記に席を薦めました。

 機械だらけの殺風景な宇宙ステーションにはかなり不釣り合いな、華麗な装飾の施された天然木製の書斎机と、総革張りのエグゼクティブチェアが置かれています。。

「総書記の席でございます。」
「なるほど。ここから、陸海空と宇宙の全4軍に対して司令が可能なのだな。」

 雅総書記、自らの座る目の前に並んだディスプレイや通信機、キーボードにご満悦です。

「もちろんです。明日の世界中継もこの席からお願いしたいと存じます。」
「うん、それが良い。」

 なんと、この中国共明党総書記、雅蘿柄さんは、この宇宙要塞『星城』から世界に向けて、

『中国は宇宙の頂点に立った』

と宣言する予定なのです。

 本当は

『中国は宇宙を支配した』

と言いたかったのですが、余りにも刺激的すぎて他国からの非難を浴びることになるとして、大勢の部下達からなだめられた結果『頂点に立った』の宣言に落ち着いたのです。

「楽しみであるな。明日の宇宙放送が。」

 あぶない、あぶない。できればこのタイプの方とは関わりたくないものです。

 2055年1月7日、午後10時。
 日高基地。

 小杉さんが今日最後のミーティングを終えて部屋に戻ってきました。部屋の照明を点けると奥に入ってバッグを机の上に置きました。間接照明の柔らかな明かりが室内を照らしています。小杉さんは着ていた服を脱いでベッドの上に投げ出しました。

「遅くなったからシャワーだけにするか。」

 普段はゆっくり湯船につかる方なのですが、今日は打合せが続いてだいぶ疲れていたのです。

 日高基地は昼間の訓練と作業の片づけも終わって、束の間の休息に入ろうとしていました。基地内は眩い照明に照らされていましたが、人影はほとんど見あたりません。

 小杉さんはバスルームから出ると体を拭いてジャージに着替えました。机の上に置いたバッグを隅に寄せると椅子に深く座りました。

「ふー。」

 やっと落ち着けた気分です。小杉さん、机の隣の冷蔵庫から炭酸飲料のボトルを出しました。蓋を開けます。中の炭酸が漏れる音がしました。

「んー・・・。」

 小杉さん、いい飲みっぷりです。

「はー。」

 小杉さん、ボトルの蓋を閉めると机の上に置きました。その机の正面奥には、小さいですが鏡餅が飾られていました。小杉さんは思い出しました。

「そうだ、明日の朝は、鏡餅持って『宇宙亭』に行かないと。」

 『宇宙亭』というのは、ノースポールの艦内レストランの店名です。あの、新田夫妻が切り盛りしてくれているんです。それで、明日の朝は松の内が明けるので、鏡餅を持って行くと、おしるこに入れてもらえるのです。

 そう、実はこの部屋、ノースポール艦内の小杉さんの個室なんです。細かな艤装工事や備品の搬入と設置も終わって、年が明けたら乗組員のみんなにノースポール艦内の個室に移ってもらう予定だったのですが、

『クリスマスと新年をノースポールで迎えたい』

 という意見が結構多く寄せられたのです。それで、急遽前倒しして、クリスマス前の12月22日から、乗組員のみんなにノースポール艦内を開放したのです。個室への引っ越しの一番乗りは小杉さんでした。さすが統括部長。

 ちなみに私は二番です。

 うーん、惜しい!

 さらに、ノースポールの宇宙でのテスト飛行の発進スケジュールも決まったんです。

 2055年1月8日、午前10時。

 実は、明日なんです。まさに、お正月明けに、ノースポールはいよいよ宇宙に向けて飛び立つのです。宇宙に出て問題がなければ、ノースポールは、そのまま、太陽系の諸惑星を巡る、長期のテスト航海に出発します。そのせいもあって、他の乗組員の方達も今日は忙しかったようです。

 小杉さん、再び、シートに身を任せました。

「んー。」

 シートにもたれ掛かったまま天井を仰ぎ見ました。今日の打合せで出た話題がランダムに頭の中に現れては消えてゆきます。消えると言っても忘れてしまうわけではないようですが。

 小杉さんは何かを思い出したように、机の上に置いたバッグからケーパッドを取り出すとページをめくりました。目的の資料を見つけると時々考え込みながらそれを読みます。

 しばらくの間資料を読むと納得できたのでしょうか。満足げな表情でケーパッドをバッグに戻しました。そしてベッドに潜り込んで部屋の照明を消しました。

 時刻は既に翌日になっていました。

 カレンダー的には、お正月も明けて、いよいよ発進の日なのです。

 小杉さんがやっと眠りについた時、突然、枕元に置いてあるケータイが鳴りました。小杉さんは、ほとんど目を閉じたまま、無意識にケータイを取ると耳に当てました。川崎さんの声が聞こえました。

「就寝中申し訳ない。すぐにブリッジに来てくれ。」

 小杉さん、無意識に聞きました。

「何かあったんですか?」
「とにかく来てくれ。」

 通話はすぐに切れました。小杉さんは目をこすりながらも起き上がると着替え始めました。眠ったばかりのところを起こされたのは不満でしたが電話での川崎さんの声は何かあわてた様子で、ただごとではなさそうな雰囲気でした。着替えると部屋を出て廊下を艦首方向に走りました。

 中央乗降口まで行くと鵜の木さんがエレベータを待っていました。川崎さんに呼び出されたのでしょうか。

「鵜の木さん、」

 小杉さんは声を掛けました。

「何かあったんですか?」
「わかりません。でも、ノースポールを発進させるようです。」
「えっ?」

 意外な答えに、小杉さん、言葉に詰まってしまいました。

「基地中に非常呼集が掛けられるようです。」

 エレベータが来ました。急いで乗り込みます。ノースポールのブリッジは、3つあるブリッジ塔の中の最前部、第一ブリッジ塔の最上階にあります。

 ブリッジに入ると既に川崎さんが来ていました。他のメンバーも揃っていて、小杉さんと鵜の木さんが最後です。

「すみません、遅れました。」
「私たちも今来たばかりだ。とりあえず席に着いてくれ。」

 川崎さんはシートから立ち上がるとブリッジ内を見回してから話し始めました。

「諸君、聞いて欲しい。緊急事態だ。」

 全員、川崎さんに注目しています。

「3時間前、衛星軌道上の宇宙ホテル『ドリーム・プラネット』との通信が途絶えた。」

 3時間前というと、小杉さんが打合せを終えて部屋に戻った頃です。

「このホテルはアメリカのドリーム・スター社が建造して昨年営業を開始した、世界最大の宇宙ホテルだ。部屋数は20。すべて二人部屋で、事故当時は満室だったそうだ。」
「て言うことは、40人の人がいるんですか?」
「うん。それとホテルのスタッフが8人いるそうなので48人が滞在していたことになる。」

 もちろん、ドリーム・スター社は原因の調査を行ない、復旧を試みたのですが、何も掴むことが出来なく、ホテルの機能を復旧させることも出来ませんでした。それで、やむなく、NASAに協力を要請したのです。

 なお、現在、地球の周回軌道上には5つの宇宙ホテルが存在します。すべてアメリカの企業が建造したもので、そのうち4つが実際に営業しています。残りの1つは、宿泊客の送迎用のシャトルを事故で失ったため実質的に営業することができなくなり、経営していた会社も倒産しています。

 実は、この事故を起こしたシャトルのパイロットがライラさんだったのです。機体のトラブルによってほとんどの機器がダウンした状況の中、ライラさんの懸命の操縦により、湖への不時着に成功、乗客と乗員は全員無事でした。この状況を知った川崎さんが、ノースポール・プロジェクトからライラさんにオファーを行ったのです。

「それで、何か分かったんですか?」
「地上からのレーダー観測で、ホテルの周囲に細かな物体が多数浮かんでいることが分かったそうだ。」
「ホテル自体が壊れたんですか?」
「少なくともホテルの一部が損傷した可能性が高い、というのがNASAの見解だそうだ。」

 何しろ、ホテルには48人が残されているはずなのです。当然、宇宙開発史上最悪の事故です。状況はホワイトハウスにも報告されて、ドリーム・スター社とNASAに対して、直ちに救援体制を整えるように指示が出たとのことなのですが・・・。

「さすがのアメリカも、48人を一度に収容できる宇宙船は持っていないのだ。」

 ドリーム・スター社は、利用客の輸送用の宇宙船を持っているのですが、定員は10名。つまり、宿泊客を少しずつずらした滞在日程で宇宙ホテルに運ぶ運用を行っていたのです。この方法ならば宇宙船の一回の飛行で運ぶ乗客の数は少なくすることが出来ます。

「つまり、ノースポールで救援に向かうということですか?」
「そうだ。」

 状況を知った大統領から、古淵総理宛に個人的な要請があったそうなのです。

「大統領は、ノースポール・プロジェクトの存在を知っているからな。」

 とにかく、48人の人々を助けることができるのは、今は世界中でも私達だけなのです。

「あの、ちなみに、ここにあるのは何ですか?」

 小杉さんは画面上で、宇宙ホテルの隣の軌道を飛行する、やや大きめの物体を指さしました。

「中国の打ち上げた宇宙ステーションですね。」
「なんか、性能も安全性も従来型ステーションから大幅に良くなったって宣伝してますね。」

 小杉さん、何か気になるのでしょうか。さらに質問しました。

「そのステーションは異常ないんですか?」
「中国政府からは特に発表されてないですね。」
「NASAの報告でも現在無人ということだな。」
「ふーん。」

 誰一人、気にも留めない中で小杉さんのみが何かを感じたのでしょうか。が、しかし、今は時間がありませんでした。川崎さんが指示を出しました。

「全員、発進準備に入ってくれ。」
「了解。」

 それまで人の気配がほとんど感じられなかった基地内は突然人の動きと機械の動作音が激しくなりました。

「ゲートオープン。」
「了解。格納庫のゲートを開きます。」

 ノースポールが格納されているドックの天井を覆う巨大な屋根が低い機械音と共にゆっくりと開き始めました。ドック内の照明が北海道の夜空にに溢れ出します。ドックの管制室ではあわただしく準備が進められました。翌朝から始まる試験飛行の準備は万全でしたが、何しろ突然の日程前倒しです。現場は騒然としていました。

「作業員をドックから待避させろ。」
「ノースポールとのシステムリンク完了。追跡システム始動。」
「リアクターは順調か?」

 ノースポールでも発進準備が進められました。小杉さんは艦内各部署の進捗の把握と指示を行っています。これまでの宇宙船は数人の乗組員で操縦することができました。しかし、ノースポールでは不可能です。何しろ、人類史上で最も巨大な宇宙船です。250名の乗組員が乗り組んでいるので、各部署が常に連携しながら作業しなければなりません。それを取り纏めて統括するのが艦内統括である小杉さんの役割なのです。

「奥沢さん、機関室はどうですか?」
「少し遅れてます。あと、10分、いや、5分で完了させます。」
「了解。」

 機関部部長の奥沢さんが答える背後では機関部員が大声で確認し合っているのが聞こえます。

 ノースポールの機関はシーライオンと同じくVMリアクタです。ノースポール艦内のすべてのエネルギーはVMリアクタから供給されます。そして、以外と忘れられがちかもしれないのですが、VMリアクタは半年程前に起動されて以降、ずっと稼動したままなのです。ノースポールの艦内にエネルギーを供給し続けるためです。ですから、実は、いつでも発進可能なのですが、確認は必要だとして、発進前など重要なタイミングではVMリアクタの点検が行われるのです。

「了解です。見落としのないように、落ちついてお願いします。」
「うん、ありがとう。」

 小杉さん、あえて「急いで」とは言いませんでした。早く終わらせるために慌てて点検しても漏れがあったら意味がありません。その意味では、むしろ、ある程度の時間は必要なのです。ノースポール・プロジェクトの気風としては、必要な時間は与えられるべき、と言う考え方です。たとえ短い時間で点検を終わらせたとしても、見落としや確認漏れが起きて、その結果としてトラブルにつながってしまったとしたら、全く意味がないのです。その点、スケジュールやコストを優先するために必要な時間を安易に削ってしまう企業には反省してもらいたいものです。

「左舷、および、右舷乗降口を閉鎖します。」

 ノースポールの中央乗降口は二重構造になっています。まず、内側のドアが閉じられます。手動でも閉じることが出来ますが通常は乗降口の脇にある端末から操作します。「CLOSE」のボタンを押すと自動で閉まって、ロックされます。

「内部ドアの閉鎖を確認。」

 続けて外側のドアを閉じます。このドアは閉じると、ノースポールの外部装甲の一部となります。

「外部ドアの閉鎖完了。ロック確認。中央乗降口の閉鎖完了しました。」
「了解。」

 ハンズフリーモードにしているケータイから小杉さんの声が聞こえました。

「艦内環境維持システム正常。」

 いわゆる、生命維持装置です。ノースポール艦内の大気成分、気温、湿度を指定された値に保つシステムです。なお、通常は1気圧、気温摂氏20度、湿度70%に調節されています。だいたい、東京の4月くらいの陽気ですね。

「レーダー、センサーも異常なし。」
「基地のシステムとのリンク完了。」

 小杉さんの席のモニタースピーカから次々に報告が入ります。同時に、画面上でも「COMPLETE」の表示が増えていきます。

「こちら機関室。発進準備完了。」
「ブリッジ、了解。」

 小杉さんは画面の表示も確認しました。すべての部署が完了しています。後ろを振り返ると報告しました。

「艦長、発進準備完了しました。」

 川崎さんは微かに頷きました。そして張りのある声で命令しました。

「よし、ノースポール、浮上。」
「了解。」

 2055年1月8日、午前2時

 全長300メートルの巨大な船体が音を立てることもなく静かに浮上し始めました。白い船体はドックの照明に照らされながら、ゆっくりと上昇してゆきます。北海道の夜の闇の中にひときわ明るく輝くノースポールが姿を現しました。テスト飛行が繰り返し行われていたので基地要員にとって浮上したノースポールの姿は既に日常の光景です。でも、真夜中の夜空に現れたノースポールの白い船体は神々しくも見えました。

「ドックの外に出ました。さらに上昇中。」

 緊張のためか、操縦桿を握るライラさんの声もうわずっています。その間にもノースポールは上昇を続け、高度約100メートルの位置で静止しました。

「予定高度に達しました。水平飛行に移行。発進します。」

 ノースポールは水平飛行を開始しました。まるで、グライダーが滑空するように静かに北海道沖の太平洋の夜空を飛行します。川崎さんが指示しました。

「よし、衛星軌道に向けて上昇を開始。ライラ、慎重に行ってくれ。」
「了解。高度上げます。」

 高度は徐々に上がっていきました。船体がやや上方を向いて飛行しています。小杉さんはシートに座ったまま、前方を見つめていました。宇宙に出るのはシーライオンの試験飛行以来です。

 ノースポールは危なげなく衛星軌道に到達しました。高度400Km。かつては、国際宇宙ステーション、ISSもこの高度を飛行していました。

「ドリーム・プラネットを追いかけます。」

 それまで緊張していたライラさんの声もだいぶ落ち着いてきました。同じ軌道を速度を上げて進みます。

「ドリーム・プラネット確認。前方5000。」

 レーダーで監視していた鶴見さんが報告しました。鶴見さんは鵜の木さんと私と同じ大学の出身です。でも、知り合ったのは鶴見さんがプロジェクトに入ってからです。鶴見さんは学科も研究室も、鵜の木さんや私と違っていたので、出会う機会がなかったのです。

「NASAから入電です。」

 通信オペレータ席の大森さんが川崎さんの方を向いて報告しました。通信オペレーション部の部長を務めています。

「ドリーム・プラネットは依然応答ないそうです。」
「そうか。」

 川崎さんは席から立ち上がると大森さんの席に行きました。

「ノースポールから交信できないか?」
「もう、こちらから呼びかけていますが応答ありません。」

 大森さんはプロジェクトに参加する前は大手の通信会社に勤務していました。海外の通信インフラを構築するプロジェクトにも参加経験があり、その際も現地のスタッフと通訳なしで直接会話していたそうです。世界30ヶ国語を操る言語のプロフェッショナルなのです。

 大森さんの席のモニター画面には呼び出し中であることを示す「CALLING」の表示が点滅していました。相手を呼び出して応答があれば自動的に接続されます。宿泊客とスタッフは無事なのか。通信できない状況なのか。救助活動は間に合うのか。ブリッジに重苦しい空気が漂い始めました。

「ドリーム・プラネットまで距離100。映像を捉えました。」

 メインディスプレイに最大望遠で捉えたドリーム・プラネットの姿が映し出されました。

「え・・・、」
「これは・・・、ひどいや。」

 私も鵜の木さんも言葉を失いました。

 最悪の事態も考えなければなりません。ドリーム・プラネットは、大きく損傷して、その周囲には無数の破片が漂っているのです。

「なぜ、こんなことに。」

 ブリッジ内は静まりかえりました。もう、諦めるしかないのかもしれない、そんな空気が漂い始めたときでした。

「あ、・・・艦長。」

 突然、大森さんが艦長を呼びました。

「どうした?」

 一旦艦長席に戻っていた川崎さんが大森さんの席の後ろに来ました。

「弱い電波を受信しています。あのホテルが出しているようです。」
「内容は分かるか? 自動発信のSOSか?」

 大森さん、通信コンソールのダイアルを調整しながら耳に当てたヘッドセットに集中しているようです。

「いえ、違います。何か呼びかけています。」

 私もその信号を分析しました。大森さんの使っている通信専用のコンソールではありませんが、技術コンソールなので受信している電波や信号の分析は出来ます。

「確かに、音声信号ですね。内容までは分かりませんが。」

 隣の席の鵜の木さんも解析画面を開いています。

「たぶん、非常用の携帯通信機ではないでしょうか。出力がかなり低いですね。」

 そう言っている間にもノースポールはドリーム・プラネットに近づいていました。

「艦長、音声を出せそうです。」

 大森さんはそう言うとコンソールのメニューを開いて表示されたボタンにタッチしました。

「こ・ら、宇・・テル、ドリ・・プ・・ット。誰か、聞・・・ら応・・・・さい。」
「確かに誰かが呼びかけているようだな。」

 大森さん、後ろに立っている艦長に伝えました。

「こちらから呼びかけてみます。」

 そう言うとヘッドセットのマイクを軽く握って話し始めました。

「こちら、宇宙巡光艦ノースポール。ドリーム・プラネット、聞こえますか? 応答願います。」

 大森さんの艶やかでいて、よく通る聞き取りやすい声が響きます。しかし、スピーカからは「ザー」という微かなノイズしか聞こえません。大森さん、もう一度呼びかけました。

「こちら、宇宙巡光艦ノースポール。ドリーム・プラネット、聞こえますか? 救援のためにそちらに向かっています。応答願います。」

 やはり、「ザー」というノイズしか聞こえません。それでも、大森さんがもう一度呼びかけようとマイクを握った時です。

「いま、誰・・か? 聞こ・・した。こ・ら、ドリーム・プ・・ット。もう一・、応答し・・さい。」

 通信コンソールのスピーカから、誰かがノースポールに呼びかけていると思われる声が聞こえたのです。

 電波が弱いのか、内容はよく分かりませんが、確かにこちらからの呼びかけに気付いたようです。大森さん。再度呼びかけました。

「こちらは、宇宙巡光艦ノースポールです。ドリーム・プラネット、聞こえたら応答願います。」

 ドリーム・プラネットまでの距離が近くなるにつれて通信状態が良くなっているようです。大森さん、ダイアルを少しだけ回すと、端末を数回叩いてもう一度呼びかけました。

「こちら、宇宙巡光艦ノースポール。現在、そちらに向かっています。聞こえたら、応答して下さい。」
「こちら、ドリーム・・・ネット。だい・・く聞こえ・・た。助けに・・くれたのですか?」

 今度は話している内容がだいぶ分かりました。

「こちら、ノースポール。はい。救援に向かっています。状況を教えて下さい。」
「良か・た。ホテルのブ・・クのひと・が大破。空気・・べて抜けて・まいました。無事・・ロックは一つだ・です。みんな、そこに・まってい・す。」

 私はメインディスプレイに映るドリーム・プラネットの映像と並べてホテルの構造図を表示しました。全体は円形のドーナッツ型です。これが回転して人工的に重力を発生させています。ドーナッツ型の部分は4つのブロックをつないだ構造になっています。

「この1つが大破したんだ。」
「非常用の隔壁とかなかったのかな?」

 もし、あったとしても空気の流出が速ければ隔壁を閉じても間に合わないかもしれません。

「この、ドッキングポートが無事ならノースポールかシーライオンでドッキングして救助活動が出来るかもしれないですね。」

 鵜の木さんが緊張した表情で説明しました。ドーナッツ型の本体の各ブロックの連結部分に四角いブロックがあって、そこから中心に向かって円筒形のチューブが伸びています。そしてドーナッツの中心の、回転の軸となる部分にドッキングポートがあります。

 大森さんは、一番大事な情報を聞いています。

「全員無事ですか? 怪我をしている人はいますか?」
「無・・のは25・。ケ・人は9人。そ・・
ち、2人は意・不明。残り・4人はゆ・・不明です。」

 大森さんは後ろを振り返って艦長を見つめました。やはり、犠牲になった方がいるようです。今度は宇宙ホテルの人が尋ねてきました。

「あとど・位で着き・すか?」

 不安そうな心配そうな声です。それを聞いたライラさんが前を見つめたまま報告しました。

「到着まであと5分。」

 大森さんが、それを伝えました。

「あと5分です。もう少しの辛抱です。」
「はい。で・早く。空・が残り少・いんです。」

 最初に通信が途絶えてから、もうすぐ5時間です。宇宙服の空気が残っているうちにノースポールかシーライオンに収容しなければなりません。時間との闘いです。

「わかりました。でも、もう目の前です。安心して下さい。」

 ノースポールの目の前に、宇宙ホテル、ドリーム・プラネットが浮いています。

 川崎さん、大森さんからマイクを受け取ると、自ら呼びかけました。

「ドリーム・プラネット、聞こえるか? 私はノースポールの艦長、川崎だ。」
「ミスターカワサキ、よく聞こえます。」
「いま、どのブロックにいるんだ?」
「Cブロックです。」

「エッと、ここですね。」

 私はメインディスプレイに表示されている映像に矢印の記号を合成して表示しました。

「あ、窓から光が見えるわ。」

 外を見ていた大森さんが指さしました。確かに窓のひとつで光が揺れています。誰かが携帯用の照明を窓のそばで振っているようです。

 ライラさんは速度を落としてゆっくりとホテルに接近しました。無事な人達が集まっているCブロックに左舷側を向けるように進みます。

「・・・、ノースポール、停止します。」
「よし、ひとまず、現状を維持しろ。」

 川崎さんがライラさんに指示しました。そうです。まずは、ドッキングポートが使えるかどうかでこの後の作戦が変わるのです。

(つづく)
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■更新履歴
2022/12/25 登録
2023/06/18 更新 (用語の統一のため)