■Home Page / Next Page / Prev Page
■宇宙巡光艦ノースポール 第4章.金星 第2節.宇宙の朝 「あっ、太陽だ。」 ノースポールのブリッジに太陽の日差しが差し込みます。金星の地平線の向こう側から太陽が顔を覗かせたのです。ちょうどその時、ブリッジ内に心地良いチャイムが少しゆっくり目のテンポで6回鳴りました。 「6時か。」 統括席に座る三田さんはシートを倒すと思い切り伸びをしました。 「なんか、地球でも宇宙でも徹夜明けって同じなんですね。」 そうなんですね、ちょっと気だるくて眠くて。通信コンソールに座る池上さんもシートに寄り掛かると両手を上に突き上げるようにして、体を伸ばしました。 2055年1月10日 午前6時 (ノースポール艦内時間) ノースポールは昨晩ここ金星の周回軌道に到着して、そして、初めての宇宙での朝を迎えているのです。 なお、ノースポールの艦内時刻は、ノースポールの管制ルームのある日高基地の時刻、すなわち、日本標準時と合わせられています。 また、ノースポールの艦内は、朝、夕、夜の3つの勤務時間に分かれた3交代制になっています。『昼』がないのが不自然に感じられるかもしれません。これは、それぞれの勤務の始業時刻に合わせた呼び名になっているためです。 つまり、朝番は午前8時から16時まで。夕番は16時から24時まで。そして、夜番が午前0時から朝の8時までとなっているのです。それぞれの勤務時間は8時間。交代の時間は、朝8時と夕方4時、そして、夜の12時です。今は朝の6時過ぎなので、まだ、夜番タイムです。 あと、昼間だけの勤務となっている部署は、朝番と同じ時間帯で勤務することになっています。例えば、統括部の総務担当などが該当します。 「えっと、じゃあ、眠気覚ましに、各自状況報告して下さい。」 突然、三田さんが、ブリッジの当直メンバーを見渡しながら言いました。 「はーい、えっと、航行システム異常なし、ノースポールの軌道も異常ありません。」 航海部の夜番であるレオン君が真っ先に報告しました。やっぱり、眠いのか、顔も声もちょっとトロンとしています。 「艦内の各システムに異常ありません。」 「レーダーにも反応無し。異常ありません。」 技術部の蛍田君と大月さんです。技術部用のコンソールは3席が横に並んでますが、今日は蛍田君が中央の席に、そして、大月さんが、その、右隣のレーダーコンソールに座ってますね。ちなみに、技術部内では中央の席がリーダー席という暗黙のルールが出来ています。技術部長である鵜の木さんはブリッジでは必ず真ん中の席に座るからです。でも、あくまで暗黙のルールなので、誰がどこに座ってもいいんですけどね。あっ、右端の席はレーダーコンソールなのでこの席に座ると自動的にレーダー担当になります。 「えっと、通信システムも異常ありません。」 最後に、池上さんが報告しました。 さて、艦内では宇宙での最初の睡眠を取った乗組員のみんなが少しずつ動き始めたようです。 「はーい、おはようさん。今日もしっかり食べて1日頑張って過ごしてね。」 お馴染みの声が響いています。日高基地のレストランで働いていた新田恵子さん、通称『女将さん』です。お話ししたかもしれませんが、この女将さんと旦那さんと、他のスタッフのみなさんも一緒に、そっくりそのまま、ノースポールの艦内レストラン担当となったのです。ちなみに、ノースポールの艦内レストランの名前は『宇宙亭』と言います。読み方は『そらてい』です。 「おはようさん、おはようさん。はいはい、たくさん食べてってね。」 先ほどお話ししたように、ノースポールは朝の8時に夜番から朝番への交代があります。ちょうど、今日の朝番の人達が朝食を食べに来始めたんですね。 えっと、ノースポールの艦内レストラン『宇宙亭』ですが、ノースポールの艦尾の最上部にあります。そして、ブリッジと同じように、2フロア分ほどの高さがあって、後方から左右両舷側にかけて床から天井までのはめごろしのガラス張りになっているんです。ですから、眺めは良すぎるほどです。もっとも、右舷側は厨房スペースになっていて、左舷側の客室スペースとの間に壁があるので、右舷側の視界はほとんどありません。実は今もノースポールは、右舷側に金星を見ながら周回軌道を巡っているので、客室スペースからは金星は後方の窓からしか見ることが出来ません。それでも、開放度は最高なんですけどね。 朝、8時少し前。 「おはようございます。」 あっ、ブリッジに小杉さんが入ってきました。小杉さん、日高基地にいる時も元気いっぱいでしたが、それは宇宙に出ても変わらないようです。 「あっ、おはようございます。」 三田さんが眠そうな顔で振り向いて挨拶しました。 「あれっ、小杉さん今日はブリッジ担当じゃないですよね?」 「うん。宇宙での初めての夜だったからさ。どうだったのかなと思って。」 「やー、何もなかったですね。宇宙って静かなんですね。地球では夜中でも、車が走る音や、救急車のサイレンとか聞こえるじゃないですか。でも、夕べはほんとに静かで、何にも音がしないんですよね。ほんと、静かな夜だったです。」 「へー、そういう感じなんだ。」 確かに、宇宙空間は音はないですし、ノースポールもエンジン音のような騒音はないですから、基本静かです。ですから、深夜になると、空調の音くらいしか聞こえないと思います。 小杉さん、ブリッジの最前面、ガラスの手前まで行くと思いきり伸びをしました。腰に手を当ててしばらく外を眺めると、手を下ろして振り向きました。 「今日の朝番は田浦君だよね?」 「そうです。」 「じゃ、引き継ぎしたらゆっくり休んでよ。」 「はい。了解です。」 小杉さん、そう言うとブリッジから出てエレベータで中央乗降口まで降りて、統括部のオフィスに向かいました。 「おはようございます。」 小杉さん、再び元気に挨拶しながら、統括部のオフィスに入りました。 「あっ、おはようございます。」 艦内コンシェルジュの鵠沼さんが、入口のカウンターを拭きながら答えてくれました。鵠沼さん、とっても小柄な方で、私も背はかなり低いんですが、その私よりもさらに小柄なんです。でも、とっても明るい方で、実は人気あるんです。小杉さんはそのカウンターの横を抜けてオフィスの奥に行きました。 「おはようございます。」 小杉さんのデスクのそばで、総務課の住吉課長が壁面キャビネットの整理をしながら答えました。きっと、まだ荷物の整理が終ってないんですね。私のいる技術部も、まだ全然片付かなくて、箱が山積みなんです。 「小杉さん、今日、お願いします。」 中原さんです。なんか、ちょっと緊張しつつもウキウキしているようです。 「うん、頼むよ。」 実は、明日から始まるシーライオンでの金星探査のミーティングがあるんです。 金星表面の有人探査ですが、シーライオンから外には出ないことになっています。環境的に危険だという結論になったんです。金星の表面は気温が摂氏460℃。気圧が92気圧もあるのです。気温は宇宙服で耐えることが出来ますが、気圧は、地球で言うと、水深920mに相当するのです。ちなみに、私たちの暮らす地上の気圧は1気圧ですね。なので、金星の表面に直接降り立つのは、やめることになったのです。 とは言え、中原さん、実は相当楽しみにしてるらしいんですね。いえ、私を含めて、中原さん以外にも、宇宙での活動を楽しみにしている人はとても多いんですけどね。 「じゃあ、朝礼始めまーす。」 おっ、中原さん、小杉さんの席の隣に立って、みんなに呼びかけました。朝礼の当番のようですね。 「おはようございます。」 『おはようございまーす。』 みんな、元気です。そうですよね。いよいよ宇宙での生活が始まったんです。 「えっと、特に連絡ではないですが、」 おっ、小杉さんが何かお話しするようです。何しろ小杉さん、統括部の部長さんですもんね。 「いよいよ、宇宙での活動が始まりました。出発は、ちょっと予定通りに行かなかったですが、今日からは、日高基地で決めた通りの活動が始まります。しばらくはなかなかスムーズに進まない場合も多いと思いますが、何か問題があるようなら、僕とか、各リーダーに相談して、改善するところは改善して進めるようにしてください。あと、僕らの今いるこの場所は、地球ではなくて宇宙です。真空の宇宙です。万が一にも事故など起こさないように注意して作業を行ってください。もしも、ノースポールの設備に何か少しでも問題を見つけたら、迷わずに、僕や各リーダーに知らせてください。それでは、みんなで、頑張って宇宙での生活を楽しみましょう。」 おお、なかなか、すごいお言葉ですね。私とか、とても、小杉さんのようなしゃべりは出来ない気がします。さすがです。それにしてもこの光景、なんか普通の会社の朝のひとこまって感じですね。地上でも宇宙でも、人の生活ってそんなに変わらないのかもしれません。 「じゃ、中原、行こうか。」 「はい。」 朝礼が終わると、小杉さん、中原さんを連れてオフィスを出ました。向かった先は第3会議室です。 「おつかれさまです。」 小杉さん、そう言いながら会議室に入りました。 「うん、おつかれさん。」 「おつかれさまですー。」 既に、川崎さんと、池上さんが待ってました。 あの、金星の衛星の第一発見者の池上さんですね。 「おつかれさまー。」 「お待たせしましたー。」 すぐに、カールさんと鵜の木さんもやって来ました。 「うん、全員そろったな。」 川崎さん、集まったメンバーを見渡しました。集まったのは、統括部から小杉さんと中原さん、操縦担当のカールさん、通信オペレータの池上さん、そして、技術担当の鵜の木さんです。この5人のメンバーで第1回目、人類史上初めての金星有人探査に挑戦するんです。 「よし、始めよう。」 「資料出します。」 「うん、頼む。」 鵜の木さんがケータイを操作すると会議室正面のディスプレイに資料が表示されました。金星の姿をバックに、『金星有人探査計画』と書かれてあります。 「我々は、いよいよ、本格的に、太陽系の諸惑星の有人探査を開始する。まず最初は、ここ、『金星』だ。細かな計画は、既に、地球の出発前に日高基地で検討しているので割愛するが、ここ、金星での最も大きな目的は『ビーナスメタル』を探し出すことだ。諸君も知っている通り、ビーナスメタルは、300年後の地球の人々によって金星で発見されたのだ。ということは、今現在の金星にも存在するはずなのだ。我々はそれを探す。」 ビーナスメタルですが、実は、私たちの想定通りに金星で見つかったとしても、『未来の歴史』の正しさが証明されるだけで、それ以上の価値はなかったりします。なぜかというと『人造ビーナスメタル』の技術が既に確立されてしまっているからです。えっと・・・、私と鵜の木さんで作り方を見つけて実用化してしまったんですね。すみません。 なので、ノースポールもシーライオンも、通常時にVMリアクタに装填されているのは、『未来の宇宙船』から見つかった天然のビーナスメタルではなくて、人造ビーナスメタルが装填されているのです。そして、万が一の非常時のために、予備として、天然のビーナスメタルを搭載しているに留まっているのです。 ただ、もしも、現在の金星に天然のビーナスメタルが存在しなかったりすると『未来の歴史』との関連はどうなるのかという大きな問題が発生してしまうので、見つかってくれないと、ちょっと問題になると思います。 今度は鵜の木さんが説明を始めました。 「金星の探査は、金星全体を10個のブロックに分けて、1日に1ブロックずつ、途中に1日の予備日を挟んで合計11日かけて行います。ブロック分けですが、まず北半球と南半球に分けて、そしてそれぞれを経度で90度ずつの4つに分けて、さらに、北極と南極周辺は別ブロックにすることで、合計10ブロックに分けます。」 ところで、金星は、太陽系の他の惑星に比べて大きく違う特徴のある、ちょっと変わった惑星なのです。何が違うかというと、金星自身が一定の方向に回転する自転の軸が、地球などの他の惑星と比べると、177度も傾いてしまっているのです。ほとんど逆さになっているのです。 そのため、太陽系を北極星の方向から見ると、地球や火星、そして、太陽も反時計回り、つまり、左回りに自転しているのですが、金星は時計回り、つまり、右回りに自転しているのです。 「人工衛星は反時計回りで地球の周囲を回ることが多いんですね。これは、地上から打ち上げる時に、東向きに打ち上げれば、地球の自転速度も加わって加速しやすいためなんです。」 なので結果として、進行方向に対して地球を左に見ながら、左回りで地球の周囲を回ることが多いのだと思います。 「ノースポールは、これまで使われていたロケットとは比べものにならない推進力があるので、実は、西に向かって発進しても全く問題ありません。ただ、他の人工衛星に合わせた方が安全なのでないかという理由から東向きに発進して左回りの周回軌道に入る進路をとりました。」 で、これに合わせて考えると、金星の周囲を巡る周回軌道に入る場合には、金星の自転の方向に合わせて時計回りに、右回りの周回軌道に乗った方が自然ではないかという結論になったのです。 「ですから、いまノースポールは、金星を右に見ながら、金星の自転と同じ右回りで周回軌道を巡っています。」 あと、自転軸が地球などの惑星と比べてと逆になっているということは、金星では北と南が逆なのです。地球では北半球から北極星が見えますが、金星では北極星は南半球から見えるのです。逆に、金星では北半球から南十字星が見えることになります。 というわけで、ノースポールの最初の訪問地である金星は、ちょっと変わった惑星でもあるのです。 打合せは1時間ちょっとで終わりました。 「いよいよ、明日か。」 中原さん、思い切り楽しみにしてるみたいです。 「おいおい、遊びに行くんじゃないからさあ。」 「もちろんわかってますよ。でも、ワクワクするじゃないですか。」 確かにその通りですね。私も最初の探査に参加したくて、鵜の木さんに相談したんですが、 「えーっ、僕も行きたいんだよね。」 というわけで、最初の金星有人探査への参加を賭けて、なんと、ジャンケンで対決したんです。結果は。残念。チョキで負けてしまいました。くやしいです。でも、次の回は必ず参加ということで鵜の木さんの約束を取り付けました。ヤッター! というわけで、打合せが終わるとみんなぞろぞろと会議室を出ました。 「あ、打合せ終わったんですね。」 ちょうど、ライラさんが通りかかったんです。 「あれっ? 今日って非番なんだよね?」 小杉さん。さすが、ライラさんの予定はつかんでますねえって、そういう訳ではないのかな。 「そうなの。だから、艦内の有人探査してるの。」 「なるほど、有人探査か。それはいいな。」 川崎さん、一本取られた感じです。 「では、私は部屋に戻らせてもらうかな。」 「俺はシーライオンを見学したいんで。」 艦長とカールさんはそのままそれぞれ歩いて行きました。 「僕もオフィスに戻ろうかな。」 鵜の木さんも川崎さんを追うように歩いて行きました。 「僕はオフィスこっちなんで。」 「私オフィスこっちなんです。」 小杉さん、そう言うと艦尾方向を指さしながら歩き始めました。中原さんと池上さん、ライラさんもその後ろをついて行きます。 「あっ、あれ?」 先頭を歩いていた小杉さんが立ち止まりました。通路の少し先で脚立を立てて、誰かが作業してます。艦内コンシェルジュの鵠沼さんですね。脚立の上で左手をついて体を支えて、右手を天井に向けて思い切り伸ばしています。 「えっと、ここを引っ張るのかな・・・。」 照明を交換しようとしているのでしょうか。鵠沼さん、とっても小柄な方なので、もしかしたら届かない、かも、です。 ノースポール艦内の照明はほとんどがxLEDという、LEDよりもさらに寿命が長くて信頼性が高くて壊れにくいものを使っています。だから、普通は交換の必要もないのですが、確かに、鵠沼さんの頭上の照明は点いたり消えたりしているようです。本当に故障のようですね。 鵠沼さん、照明のカバーを外そうとしています。片手では出来ないらしく、それまで脚立について自分を支えていた左手も離して思い切り両手を伸ばしました。 あ、気を付けて下さ・・・、 「あっ・・・、」 鵠沼さん、脚立の上でバランスを崩してしまったようです。 危ない! 「危ない!」 その時、小杉さんがダッシュしました。 「キャーッ!」 叫び声が響きました。 ・・・、でも、次の瞬間。 「・・・えっ? あ、あれ?」 鵠沼さん、無意識に閉じていた目を開きました。 「良かった、間に合って。」 良かったです。脚立から落ちた鵠沼さんを、小杉さんが受け止めてくれたんです。 「小杉、」 「小杉さん!」 「大丈夫ですか?」 ライラさんと中原さん、池上さんも駆け寄りました。 「うん、間一髪ってところかな。」 「す、すみません、小杉さん。」 恐縮した表情の鵠沼さん。でも、なんか照れくさそうです。中原さんが笑顔で言いました。 「なんか、すっぽりとはまっている感じですね」 確かに。鵠沼さん、小杉さんにお姫様抱っこ状態で受け止められているのです。中原さんの言うとおり、小杉さんのがっしりした腕の中に、小柄な鵠沼さんは、すっぽりと収まっている感じです。 「えっ? そういう言い方って良いのかな?」 小杉さん、中原さんに答えました。そうですね。ちょっと失礼かもしれません。 「えー、でもなんか羨ましー。」 池上さん、ほんと羨ましそうです。いえ、私だって羨ましいですけど。 「て言うか、そろそろ降ろしてあげたら?」 ライラさん、ちょっと納得いかない表情です。 「あ、そうだね。」 小杉さん、慎重に鵠沼さんを降ろしました。 「すみません、ありがとうございます。」 「えっと、こういう作業は誰か人に頼んで良いからね。コンシェルジュなんだから、仕事を受けたらそれを誰かに引き継げば良いと思うんだよね。」 小杉さんが鵠沼さんにアドバイスです。さすが、統括部長。 「ええ、でも、みんな忙しそうだったし。」 確かに。地球を発進して間もないノースポールは、まだ、みんな、荷物の整理のような仕事に追われていて、艦内の通常業務が上手く回り始めていないのです。 「うん、でもさ、今みたいに危ないこともあるし。無理はしないでね。」 「はい。できるだけそうします。」 「というわけで、はい。」 小杉さん、床に落ちていた新しい照明機器を拾うと中原さんに手渡しました。 「えっ? 僕ですか?」 中原さん、突然振られてちょっと困惑しています。 「お前も統括部員なんだからさ。」 「ま、まあ、そうですよね。」 中原さん、受け取ったばかりの新しい照明を、一旦、小杉さんに預けると、ちょっと戸惑いながらも脚立に登りました。その脚立を小杉さんが支えています。 「えっと、こうですかね。」 中原さんが古い照明を外すと慎重に降ろしました。それを小杉さんが受け取って床に置くと、代わりに新しい照明を中原さんに渡しました。 「えっと、うん、よし、完了ですね。」 新しい照明が取り付けられて明るい光を放っています。今度は安定して点灯しているようです。となると、古い方の照明の初期不良でしょうか。たぶん、交換した後の古い方の機器は技術部に戻ってくると思うので調べないといけないですね。私の仕事になるのかなあ。でも、他にもいろいろ案件を抱えているので、誰かに頼みたいところです。 「じゃ、行こうか。」 中原さんが脚立を担いで、古い照明を小杉さんが持って歩き出そうとしました。 あれっ? ライラさん、なんか元気がないですね。 「大丈夫ですか?」 池上さんが心配そうな表情で尋ねました。 「え? 別に大丈夫。」 ライラさんが少しぎこちなく答えました。それを見た中原さんが、小杉さんに何か耳打ちしました。 「え? そ、そうなのかな?」 「きっとそうですよ。間違いないですよ。」 なんか、中原さん、小声でひそひそと力説しているようです。小杉さん、ちょっと照れた感じです。後頭部をぽりぽりと掻きました。 そして。 「大丈夫だよ、ライラ。」 ちょっと寂しそうな表情のライラさんに笑顔でそう言うと、荷物を置いてライラさんのそばに行来ました。そして、突然。 「きゃっ、ちょ、ちょっと・・・。」 ライラさん、驚いて叫び声をあげました。 小杉さん、いきなり、ライラさんをお姫様抱っこしたんです。 「ちょっと、何よ、突然。」 ライラさん、思い切り赤面しています。 「えっと、もしかしたら、ライラが淋しがってるんじゃないかって話になってさ。」 なるほど。さっき鵠沼さんが小杉さんに抱っこされているのを思い切り目撃しちゃいましたからねえ。ライラさんも以外と甘えん坊だったりして。 「さすがに、様になってますね。」 「きゃー、また目撃しちゃった。いいなーー。」 中原さんが思いきりはやし立てました。池上さん、両手を胸の前で握って、体を左右に振って羨ましがっています。確かに、鵠沼さんに比べるとライラさんはかなりがっしりした体格なのですが、小杉さん、いとも簡単に持ち上げています。 「えっ、ちょっと、みんな見てるでしょ。」 ライラさん、小杉さんの腕の中で赤面です。 「大丈夫だよ。ほら。」 「きゃー、ちょっと、大丈夫なの?」 小杉さん、ライラさんを抱っこしたまま、その場でぐるぐるっと回転しました。 「お、すごいや。」 「すごーい。」 「きゃー、誰か私も抱っこしてーーー!」 鵠沼さん、笑顔で拍手しています。池上さんは、ちょっと興奮、いえいえ、やっぱり当然のリアクションです。私も誰かにお姫様抱っこしてほしいですーー。 「ほら、大丈夫でしょ。」 小杉さん、思い切り顔が近いライラさんに笑顔で言うと、ゆっくりとライラさんを降ろしました。 「何の前触れもなく始めるんだから。びっくりするでしょ。」 ライラさん、怒ったような言い方ですが表情は何か嬉しそうな、ちょっと照れたような感じです。やっぱり嬉しいですよね、って言うか、いいなあ、って感じです。 午後。 川崎さんはノースポールの艦尾の最も下のフロアに来ました。ドアの右側にある端末にIDカードをあてます。「ピピピッ」という音と共に小さめの画面に「PassNo?」と表示されたので、テンキーから自分の暗証番号を入力します。 ドアが開きました。 ここはノースポールの機関制御室。ノースポールのエネルギー源であるVMリアクタを制御する部屋です。 川崎さん、ゆっくりと室内に入りました。 「あっ、お疲れ様です。」 コンソールでVMリアクタを監視していた機関部員の1人が川崎さんに気付いて挨拶しました。 「うん、お疲れさん。奥沢君はいるかな?」 「たぶん、リアクタルームの点検です。呼んできましょうか?」 「いや、大丈夫だ。ありがとう。」 川崎さん、そう答えると奥へと入って行きました。再びドアがあります。先程と同じように暗証番号を入力してドアを開けると中に入ります。 ところで、ノースポール艦内のセキュリティなのですが、実は、ブリッジや艦長室は誰でも入ることが出来るんです。意外と制限されてそうですけれど。一方、自分以外の乗組員の部屋には、勝手に入ることは出来ません。もちろんですね。あとは、更衣室もです。これも当然ですね。 そして、機関室もそのひとつです。何しろ、ノースポールのすべてのエネルギーの源であり、心臓部なのです。万が一の事態に備えて中に入ることの出来る乗組員を制限しているのです。なお、川崎さんは艦長であり、ノースポールの責任者です。当然、入室することができます。 川崎さんが入った、機関制御室のさらに奥にある部屋がリアクタルームです。ここに、ノースポールのエネルギー源である、VMリアクタが置かれているのです。ノースポールを推進するドライブパネルはもちろん、バリアシステムや、艦内のすべての機器にエネルギーを供給しているのです。まだ使用されていませんが、6基装備されている主砲のエネルギーもVMリアクタから供給されます。 リアクタルームはノースポールの艦内でも最も広々としています。高さは4フロア分ほどあります。幅はノースポール自身の幅一杯に取られています。ここに、かまぼこ形のドーム状の装置が3つ置かれていて、これがVMリアクタの本体です。このうち1基が航行用、1基が艦内の設備向け、そして、もう1基は物質生成用です。物質生成用のリアクタだけは、『不規則運転』という、少し特殊な設定で運用されています。 えっ? 『物質生成用』のVMリアクタとは何か? ですか? 通常、VMリアクタのようなエネルギー炉は安定して稼働するように制御します。みなさんご存じの原子炉なんか特にそうですね。わざわざ不安定な状態で稼動させたりしません。 当然、VMリアクタも通常は安定した状態で稼動させます。 しかし、VMリアクタは不安定な状態で稼動させると、ある特別な現象が起きるのです。通常のVMエネルギーが発生するのと同時に、ノイズとして、酸素や水素、窒素などの物質が生成されるのです。生成される物質の種類や量はVMリアクタの稼動状態によって変化します。 もう、お分かりかと思います。この性質を逆手にとって、VMリアクタを、わざと、不安定な状態で稼動させて、艦内で私たちが呼吸するのに必要な空気や水を生成しているのです。この豊富な水があるからこそ、乗組員の個室にバスルームが設置されて、特に制限もなく入浴や手洗い洗顔などが可能となっているのです。あ、トイレもですね。そういう意味で、VMリアクタの不規則運転というのは大発見の技術なのです。 「あっ、艦長。」 右舷寄りのVMリアクタの横の端末を操作していた人物が川崎さんに気付きました。この方がノースポールの機関部長、奥沢庄司さんです。 「ご用なら呼んでもらえれば伺ったのに。」 「いや、大した用ではない、というかだな、」 「わかりました。お暇だったんですね?」 「はっはっはっ。」 川崎さん、控えめながら声を出して笑っています。図星だったようですね。 「ここは隠れ場所としては最高ですからね。」 奥沢さん、ちょっと自慢気です。 「コーヒーでも飲めれば文句ないが、飲食厳禁だからな、ここは。」 「はははっ、それだけはご勘弁を。」 艦長、そんなに暇だったんですね。だったら技術部でも艦長に相談したいことが沢山あったんですよね。打合せをセットすれば良かったです。 「それで、どうかな? リアクタの調子は?」 ノースポールの心臓部です。その稼働状況は気になるところです。 「稼働状況としては合格点ですね。超光速航行でも問題なかったですから。」 「うん、私もホッとしてるよ。いや、ありがとう。」 ええ、私もホッとしてます。何しろ、超光速航行が出来ないとなると私たちは太陽系の中でさえ行動が制限されてしまうのです。 「ですが運用方法については課題が山積みですね。そもそも、リアクタ自体、未来の、しかも、未知の技術で、それを現在の私たちの技術力で使おうというのですから、やむを得ないとは思ってますが。」 「うん。同感だ。だがVMリアクタはノースポール・プロジェクトのコアとなる重要なシステムだ。課題については技術部とも協力して1つでも解決してもらえると助かるよ。私からも鵜の木君と不動君には頼んでおくよ。」 あちゃーー、まだ、当分忙しそうです。まあでも、知らない技術を1つずつ自分の物に出来ることほど楽しいことはないですから。 無理難題、大歓迎です! 「もちろんです。あの2人には助けてもらってばかりですよ。本当に優秀だ。」 「私も同じだよ。もう何度助けてもらったか。」 ははっ、なんか照れちゃいますね。よし、もっと頑張らないと。 「奥沢さーん、いらっしゃいますかー?」 おや、大きな声が聞こえます。誰かが奥沢さんを探してるようですね。 「ここだ、ここにいるよ。」 奥沢さんも大声で答えました。機関部員の1人が走ってきました。 「あっ、艦長もいらっしゃったんですね。ブリッジから連絡があって、艦長がいたら戻って欲しいそうです。」 奥沢さんと川崎さん、顔を見合わせました。 「はははっ、隠れてるのがバレたようですね。」 「そうだな。うん、では戻るよ。」 やっぱり、艦長はお忙しいんですね。隠れている暇もないようです。 「あ、艦長、すみません。お呼びしてしまって。」 ブリッジに戻った川崎さんに、鵜の木さんが恐縮して伝えました。まあ、艦長、ちょっと休憩したかっただけみたいなんですけどね。 「いや、構わないよ。無人探査機の投入作業だったな。」 「はい。」 「準備は?」 「出来てます。」 「うん、では始めてくれ。」 金星の周回軌道上と地表に無人探査機を投入するんです。 『オービット・アイ』と『エクス・ビークル』です。 覚えてるでしょうか。シーライオンで月に行った時に月の周回軌道と月面に投入したのと同じ探査機です。金星でも、周回軌道と金星の地表に投入して、軌道上と地上の両面から長期にわたる探査を行うのです。 オービット・アイは月に投入したのと全く同じタイプですね。エクス・ビークルの方は、金星の厳しい環境に耐えるための特殊な装甲パネルを装備しています。おそらく、金星表面の高温、高圧、そして、強烈な風化作用にも耐えられるはずです。 この、オービット・アイとエクス・ビークルですが、これからノースポールが訪れる惑星にはすべて投入される予定です。この2機の探査機はどちらも『VMジェネレータ』を装備しているのでエネルギー切れの心配はありません。ほとんど未来永劫に活動することが可能なのです。と言うことは、今回のノースポールの試験航海が終わると、私たち人類は太陽系のすべての惑星について常時観測してデータを収集することが可能になるのです。これまでは、無人探査機の燃料が尽きると観測も途絶えていましたから、それはもう大きな進歩です。 「まず、オービットアイから放出します。」 「了解です。1号機、射出位置に付いています。 」 鵜の木さんが格納庫のオペレータと話して準備を進めます。投入する機体の数はオービット・アイが2機、エクス・ビークルが4機です。オービット・アイの数は故障など万が一の際のバックアップの意味合いから決めました。エクス・ビークルについては、4機投入しても金星のすべての地表はカバーできませんが、それでも、複数のエリアを観測したいという要望から決められました。 鵜の木さんがマイクのミュートを解除しました。 「1号機、射出。」 「射出。」 その指示に従って、オペレータが画面のボタンを押すと、オービット・アイの1号機を支えていたアームが開放されて、同時に、オービット・アイが降下を開始。艦底部係留バースを抜けてノースポールの外に出ました。 「コース、速度、予定通りです。」 私は自分の端末から射出されたオービット・アイを追跡しましたが、順調に稼動しているようです。同じ要領で2号機を射出すると、今度はエクス・ビークルを射出します。 格納庫の整備エリアから引き出されたエクス・ビークル1号機は天井のレールに沿って射出位置に移動します。 「エクス・ビークル1号機、射出位置に移動。」 その移動中に私が機体の最終確認を行います。 「機体の最終確認異常なし。射出OKです。」 「了解。1号機、射出位置に付きました。」 エクス・ビークルの移動も終わったようです。 「了解。射出して下さい。」 鵜の木さんから射出の指示が出ました。 「射出実行。」 エクス・ビークルが格納庫から降下して、外に出て行きます。 「1号機、降下コースに乗りました。」 「カメラを起動します。」 ブリッジのメインディスプレイに、降下していくエクス・ビークル1号機から見た地表の様子が映されます。 「それにしても、このカメラすごいよね。」 「まるで直接外を見てるようだな。」 小杉さんとカールさんがメインディスプレイを見つめています。 「まあ、これはね、ほんと、不動さんに負けたよ。」 鵜の木さん、ほんとに恐縮しています。 えへへっ、褒められるとやっぱうれしいです。このカメラ、鵜の木さんや他のエンジニアの人の反対を押し切って、採用してもらったんです。 一昨年、ある映像機器メーカーから発表された、リアル・ヒューマン・アイ・カメラ・システムを探査機用にアレンジして搭載しちゃったんです。人の目が画像を取り込むのと同じ仕組みで、かつ、人の目の1000倍の能力を持ってるんです。結果はご覧の通り。単に解像度が高いとか、色の再現性が優れているだけではなくて、まるで本当に自分の目で見ているのかと思ってしまうような、これまでのカメラとは別次元的な超高品質の映像が得られるのです。 「エクスビークル1号機、間もなく減速を開始します。」 月面でもお話ししたように、エクス・ビークルにはドライブパネルを装備することが出来ます。今回金星に投入する4機のエクス・ビークルゆも装備されていて、大気圏を地表に向けて降下する際の減速に使用します。 ただ、これも月面でお話ししましたが、エクス・ビークルに搭載しているVMジェネレータでは、ちょっとパワー不足なのです。なので、大気圏を降下中の減速にはやや不安なのです。というわけで、今回は増設用のエネルギーコンデンサも搭載していたりします。 さすがに、これは贅沢すぎる構成だという話になっています。というのも、エネルギーコンデンサは結構高価なんですね。というわけで、金星への投入の結果を見て、今後の対策を検討予定です。 「エクスビークル、減速開始。間もなく着陸します。」 ブリッジのメインスクリーンにエクスビークルの撮影しているビデオ映像が表示されています。厚い雲に覆われた薄暗い空の下に金星の大地が広がっています。動くものは一つもありません。 「エクスビークル・・・着陸しました。」 「じゃあ、動作確認を始めようか。」 特に、着地する時の衝撃での破損が心配です。 鵜の木さんは一旦外していたヘッドセットを付け直すと端末に向かいました。私も端末からコマンドを実行してシステムをチェックします。 「エクスビークルのシステムチェック・・・。問題ないですね。」 「うん、良さそうだね。よし、エクスビークル、前進。」 鵜の木さん、ちょっと楽しそうです。順調に進んでいるからですね、きっと。 ブリッジでメインモニタを見ていたカールさんが質問しました。 「エクスビークルは自律動作するって聞いたけど本当なの?」 「ええ、今もそうです。」 例えば「前進」のコマンドを受信した場合には、エクスビークルは搭載しているカメラで前方の障害物の有無を調べながら前進するんです。もしも障害物を発見した場合にはその大きさなどにより、必要ならば、自動的に回避行動を行うんです。 「はははっ、まるでロボットだな。」 カールさん、笑顔です。 ロボット。そうですね。もう少し厳密に言うと人間や動物のように自分で考えることの出来るロボットです。 例えば、「前進」と指示した時に、進路に大きな岩があれば、コースを一時的に変えて回避するし、水たまりがあれば、水深を監視しながらゆっくり進む、逆に、障害物のない平坦な場所だったら、速度を上げて素早く移動する。こんな感じで、人間が事細かに指示しなくても、エクス・ビークルが自分で判断して行動してくれるのです。 「よし、大丈夫だ。停止、と。」 エクスビークルは鵜の木さんの指示通り、前進をするのをやめて、その場で停止しました。 「不動さん、オービットアイはどう?」 「問題ないです。回線を切り替えますか?」 「うん、頼むよ。」 今は、金星上に投入する作業中だったので、ノースポールから直接エクス・ビークルに接続してコントロールしていましたが、これからは地球から遠隔操作するのです。その時には、一旦、金星の周回軌道に投入したオービット・アイで中継して、そして、金星上のエクス・ビークルと接続するのです。 私は端末から通信経路の切換を行うコマンドを実行しました。一時的にエクス・ビークルとの回線が切断されて、数秒後に再び回線が接続されました。 「回線の再接続完了。オービット・アイ経由に変更されました。セッションの接続も問題ありません。」 ところで、地球上では世界中のどこにでも電波はほぼ瞬時に到達します。国際電話を利用すれば海外に滞在している相手との間でリアルタイムに会話をすることも可能です。 でも、この常識は宇宙では通用しません。 例えば、地球から発信された電波が金星に届くのには、現在の位置では17分程度必要なのです。お互いの間の距離が地球上では考えられないほどに遠く離れているためです。コミュニケーションにとっては絶対的とも言える障壁です。 川崎さんが尋ねました。 「地球との通信試験はまだなのか?」 鵜の木さんは端末に表示されている時計で時刻を確認しながら答えました。 「もうすぐ、あと2分で予定の時刻です。」 通信試験の開始時刻から逆算して、既に地球からはオービット・アイに対する接続要求のコマンドが送信されているはずです。 私はオービット・アイの通信ステータスを監視していました。突然、端末がアラーム音を発しました。 「オービット・アイが地球からの回線接続要求を受信しました。」 オービット・アイは予定通り地球から届いたメッセージを受信して、それに対する応答を地球に向けて送信していました。ただし、その応答が地球に届くのは、さらに17分後のことです。 鵜の木さんと私は、細かな確認を行って、結果を報告しました。 「エクス・ビークル、オービット・アイ、および地球との回線接続が完了しました。予定通りに問題なく接続できています。」 地球との通信試験は無事に終了しました。エクス・ビークルとオービット・アイにより、金星を長期的に観測する体制が整ったのです。これにより金星の調査はこれまでに比べて飛躍的な進歩を遂げることは間違いありません。きっと、いろいろな発見が行われることでしょう。 さて、明日からはいよいよ、シーライオンを使って金星表面の探査が始まります。直接私たちが金星の地面の上に立つことはありませんが、それでも、大きな発見があるのではないでしょうか。 とっても楽しみです。 (つづく)
■Home Page / Next Page / Prev Page
■更新履歴 2022/12/25 登録 2023/10/29 誤字修正 「見つかってくれないと」