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■宇宙巡光艦ノースポール

第4章.金星
第4節.ディーバ(歌姫)

 2055年1月11日 15時25分
 金星周回軌道

 ノースポールとシーライオンは金星上の異星人の施設を離れて周回軌道上に戻りました。

「カールさん、ノースポールへのドッキング始めて下さい。」
「了解。」

 カールさん、左足を軽く踏み込みました。

「ノースポールの後方から艦底部にアプローチする。」
「お願いします。」

 ノースポールの切り立った艦尾が頭上を通り過ぎます。そして、艦底部第6主砲を通り過ぎると艦底部係留バースが見えて来ます。ハッチは既に開かれていました。

「ちょい左だな・・・、」

 カールさん、進路を僅かに修正しました。既に速度はかなり落ちていました。人が歩くよりも遅い速度で前後左右の位置合わせをします。

「よし、停止。」
「前後の位置、良好。艦軸、一致。上昇可能です、カールさん。」

 中原さんが伝えました。

「了解。上昇する。」

 シーライオンが上昇を開始しました。非常にゆっくりとした速度です。

「停止位置まで3m・・・2m・・・1m・・・、」
「停止。」
「係留位置OKです。」

「おかえりなさい、舞ちゃん、」

 早速、大森さんが舞さんに伝えました。

「はい。いま戻りました。」

 舞さんが元気な声で答えました。

 大森さん、他のみんなにも声を掛けました。

「はーい、みんなもお疲れー。」

 中原さん、後ろを向くと艦長席に座る小杉さんに報告しました。

「シーライオン、係留位置に停止しました。全艦異常なしです。」
「うん、ありがとう。中原も、カールさんも、舞さんも、鵜の木さんも、ありがとうございます。係留作業が終わったら、ゆっくり休んで下さい。」

 小杉さんが、ブリッジにいる全員に伝えました。

 人類初の金星有人探査というのに、大きな謎というか問題を抱えてしまいましたが、シーライオンと乗組んだみんなは全員無事に帰ってきたのです。やはり、人類史に残されるべき、画期的な探査活動だったのだと思います。

「小杉はいるか?」

 シーライオンのメインディスプレイに川崎さんが映りました。

「あ、います。すぐ戻ります。」

 小杉さん、少しあわてて席を立とうとしました。

「いや、そこまで急がなくてもいい。一息ついたら、艦長室に来てくれ。」

 川崎さんがいつものクールな声で小杉さんに伝えました。

「あ、わかりました。了解です。」
「一息ついてからでいいぞ。」

 川崎さん、強く念押しです。よほど気遣っているのでしょうか。まあ、今日の小杉さんの判断と行動の件もありますから、じっくりと落ちついて話をしたいのでしょうか。

「はい。」

 小杉さん、頭をボリボリと掻きました。

「小杉君、」

 カールさんです。メッセンジャーバッグを背負っています。もうノースポールに戻るようです。仕事が出来る人は仕事を終える時の手際もいいような気がしますが、カールさんはまさにそのタイプのようです。

「大丈夫だよ。今日のことくらいで怒るような器の小さい人じゃないよ、川崎さんは。」

 笑顔を浮かべながら、少し困惑気味の小杉さんを励まします。

「僕もそう思います。大丈夫ですよ。あっ、僕も一緒に行かせて下さい。報告したいことあるし。」

 鵜の木さんも小杉さんに伝えました。ていうか、鵜の木さんはどちらかというと共犯者なんですけどね。

「ありがとうございます。いえ、僕もそう思ってますよ。でも、分からないことも多いし、何て言って説明すればいいかなと思って。」

 うーん、なるほど。川崎さんがどう思ってるか心配しているわけではないようです。そうですよねえ。人類初の有人惑星探査だったというのに、いきなり、突拍子もないものを見てしまいましたからねえ。異星人が建設した巨大な施設に、未知の植物、ロボット犬、そして、まさに異星人と思われる人物の映った映像。何て報告しようか迷う小杉さんの気持ちも当然です。

「まあ、見たままをそのまま、正確に伝えるしかないだろう。報告の基本だな。」

 カールさんが、笑いながら開き直ったかのようにアドバイスしました。

「そうですよ。あとは、川崎さんの想像力に任せればいいと思いますよ。あの動画は、最初がちょっと欠けてますが、その後ろは全部録画できてるし。それを川崎さんに見せれば済みますよ。」

 鵜の木さんは、小杉さんに比べると川崎さんとの付き合いも長いので、その辺りは慣れているようです。

「ありがとうございます。そうですよね。見たままを言うしかないですよね。」

 小杉さん、表情は固いながらも、一応納得したようです。

 さて、

 ノースポールではすべての乗組員が専用の個室を持っています。これが、以外と広くて快適なのです。一度、プロジェクトの出張で東京のビジネスホテルに泊まったことがあるのですが、その時の部屋と比べてもだいぶ広いです。たぶん、世の中のビジネスマンの方達も普通に利用するホテルだと思うのですが、もう少し広い部屋に泊まれるようにしてあげればいいのに、とか思ってしまいました。

 ちなみに、ノースポールの艦長である川崎さんの個室は、部屋の場所の関係で少しだけ広いのですが、とは言っても私たちの個室とそんなには変わりません。

 ただ、艦長は個室以外に、専用のオフィスを持っています。艦長室ですね。デザインはシンプルですが、大きめのデスクが置かれています。そのデスクに合わせるように、布張りですが、大きめでゆったりと座ることの出来るシートも置かれています。そして、艦長以外に3、4人の人が入って打合せも出来ます。今は、小杉さんと鵜の木さんが艦長室で川崎さんの話を聞いています。

「小杉は今回、ほぼ自身の判断だけで異星人の物と思われる施設を偵察したわけだな。まあ、人によっては、『必ず上司の判断を仰げ』とか、『各自の独断で行動するなど言語道断』と言う場合もあるだろう。だが、私はそうは思わない。特に今回のケースでは君の判断を尊重したいと思っている。そもそも、地球人である私たちが自由に訪れて、自由に開発して良いと思われる場所に、何者かが勝手に巨大な設備を作っていたのだ。小杉も言っていたように、地球人の一人として何もせずに黙って通り過ぎるのは、無責任だと私も思うし、少なくとも、ただちに何らかの調査をすべきだろうと思っている。」

 艦長室は、左舷側から後方にかけてがガラス張りの窓になっています。ブリッジと同じ超硬質チタニウムガラスです。川崎さん、座り心地の良さそうなキャプテンシートに軽くもたれながら、窓の外に広がる数多の星の輝きをバックに話しています。

「ここまではいいか?」

 川崎さん、シートから体を起こすとデスクに両手を載せて尋ねました。

「はい。」

 小杉さん、やはり、緊張しているようです。返事する声も固いです。

「うん、ただ、合わせて知っていてもらいたいこともあるのだ。」

 川崎さん、再びシートに体を預けました。

「今回、君と鵜の木君を含めて、シーライオンとその乗組員は全員無事に帰還できた。結果的には平穏で、おそらく今後も安全と思われるわけで、私もその結果には満足だ。だが、一般的に考えるなら、想像も出来ない危険が潜んでいると予想される状況でもあったと思うのだ。まあ、できれば、行動を始める時には一報だけでも欲しかったという気持ちがないわけではない。まあ、今回はそれも難しい状況だったわけだがな。」

 あの時、シーライオンとノースポールの間のすべての通信が遮断されていたのです。その状況は、当然、川崎さんも承知しています。

 川崎さん、じっと小杉さんを見つめました。

「やはり、心配なのだ。」

 小杉さん、少し俯き加減でしたが『心配』と言うことばに反応したのか、姿勢を正して川崎さんを見つめました。

「可能な限り、乗組員を危険な目に合わせたくはないし、ましてや、1人でも欠けるような事態にはなって欲しくないからな。これは社交辞令などではなくて、あくまで、私の本音だ。」

 川崎さん、小杉さんだけでなく、隣に立つ鵜の木さんにも視線を向けました。そして、再び小杉さんを見つめると、やや、言いにくそうな様子でことばを続けました。

「それに私だけでなく、他の乗組員も心配な気持ちを持つのだ。まあ、ここで言って良いかどうかは別として、君の消息を強く気にしていた者もいたのだ。」

 小杉さんの脳裏にその人の顔が浮かびました。

『ライラ・・・。』

 えっと、ごちそうさまです。でも、せっかく心配してくれる人がいるんだから、あまり無茶しないで下さいね、小杉さん。

「まあ、今回、小杉が行動を起こした時の気持ちは、今後も持ち続けて欲しいし、その気持ちに従って行動して欲しい。一方で、危険が潜んでいる場合もあるし、そして、君のことを心配する者もいるのだということも忘れて欲しくない。まあ、矛盾を含む話しで、ではどうすればすべてが丸く収まるかと言われても困るのだがな。答えを出せる者はいないと思ってるよ。分かってもらえるだろうか?」

 小杉さん、少しだけ、表情が明るくなりました。

「はい。理解できます。」

「そうか。それでいい。」

 川崎さんは、微かに笑みを浮かべました

「私からは以上だが、小杉から何かあるか?」
「いえ、ありません。ありがとうございます。」
「うん。今後も期待している。頑張ってくれ。」

「はい。」

 小杉さん、明るく答えました。

「では、解散だ。」

 これで、一件落着。と思ったところに、鵜の木さんが割り込みました。

「あの、僕からも報告があるんですが。」

 そうです。いろいろ報告しなければならないことがあるのです。もちろん、川崎さんも分かっていました。

「今回の詳しい説明だな。」
「はい。」
「できれば、主立った者の揃っている場で話したいと思っているのだ。ミーティングをセットしてもらえないか? 至急で。1時間後でどうだろうか?」

 お、だいぶ忙しくなりそうですね。鵜の木さん、心得ていますとばかりに答えました。

「了解です。準備します。」
「うん、頼むよ。」

 小杉さんは艦長室を出ると、統括部のオフィスに向かいました。

「あっ、小杉さん。」
「あ、蓮沼さん。」

 蓮沼さん、ちょっと驚いたような表情をしています。

「あの、連絡が途絶えたって聞いたんですけど、大丈夫だったんですか?」

 ちょっと覗き込むような感じで小杉さんを見つめています。

「ええ、ひとまずみんな無事に戻りました。」

 まだ少し困惑した気持ちは残っていたのですが、小杉さん、精一杯普通な感じで答えました。

「わー、良かったです。早速知らせないと、それじゃ。」

 蓮沼さん、早速ケータイを取り出すと、メールを入力し始めました。その横を小杉さんが笑顔で通り過ぎていきました。蓮沼さん、それに気付いて軽く会釈しました。

『小杉さん、無事に戻ったよ。いま、エレベータホールで会って話したところ。』

 ケータイに入力し終わると送信ボタンを押しました。

 返信はすぐに来ました。

『うん、私も中原さんから聞いたところだよ。ちょっとホッとした。ありがとう。』

 蓮沼さん、その返信を読むと少しホッとしました。

「大丈夫そうね。さっきは元気なさそうで心配したけど。」

 宛先は、コンシェルジュの鵠沼さんですね。さっき、一緒にブリッジに行った時に、小杉さんとシーライオンとの連絡が途絶えたと聞いて、ちょっとショックを受けていたようなのです。乗組員のみんなの精神面をケアするカウンセラーの蓮沼さん。鵠沼さんの元気のなさが気になっていたのですが、どうやら大丈夫そうです。でも、地球で暮らしていると、なかなかないですよね。親しい人が突然行方不明になるなんて。

「これからも、同じように落ち込んだりする人が出るんだろうな。そういう人を上手くサポートできるといいんだけど。」

 蓮沼さん、この先のことを考えながらオフィスへと帰って行きました。

 1時間後。第2会議室。

 集まったみんなに対して、鵜の木さんが説明を始めていました。

「えっと、今回の異星人の物と思われる施設の偵察について、報告します。みなさん各自、関心のある事柄もあるとは思いますが、まずは、順を追って説明させて下さい。まあ、私もまだノースポールに戻ったばかりで資料を準備する時間がほとんどなかったという事情もありますので。」

 鵜の木さんは、普段の打合せで説明をする時には、事前にとても細かく資料を作り込むのです。性格が几帳面ということもありますが、『誰にでも分かりやすい資料を作る』というのがモットーなのです。

「うん、構わないよ。始めてくれ。」
「はい。」

 正面のディスプレイにシーライオンから撮影した金星表面の映像が映し出されました。

「まず、これを見て下さい。シーライオンが遭遇した、非常に細かな、金属の粉が舞っているエリアです。今回私たちが金星上に設定した、第1探査エリアに存在します。具体的にはここです。」

 ディスプレイ上が二分されて右半分に宇宙空間に浮かぶ金星が映し出されました。鵜の木さんがケータイで操作するとその映像の中の金星が少し回転して止まり、赤い矢印が表示されて、その指し示した地点が拡大されました。

「全体は不規則な形をしていて、円とも四角とも言えないのですが、おおよそ、東西に20Km、南北が15Kmに渡って広がっています。」

 その領域は、パッと見、L字型のような、凹の字型のような複雑な形をしています。

「金属の粉ですがかなり濃密で、このエリアに入ると電波が乱反射して拡散されてしまうため、通信もレーダーなどのセンサー系も完全に麻痺します。これは、エリアの中からも外からも同じです。まあ、大規模なチャフ回廊とでも言うのがわかりやすいかもしれません。」

 チャフというのは第二次大戦の初期から使用されている敵のレーダー波を妨害する兵器です。電波は金属に当たると反射してしまいます。ですから、細かな金属片を空中に撒くと、電波が反射されて、味方の航空機と異なる場所にレーダー反応を起こしたりすることが出来るのです。今回は金星上の広いエリアにわたって細かな金属の粉が舞っていて、そのエリアにシーライオンが侵入してしまったために、ノースポールからシーライオンの位置を確認できなくなってしまったのです。逆にシーライオンのレーダー波は周囲を包んでいる金属片で乱反射して、麻痺してしまいました。なお、通信用の電波も同じ障害を受けて、ノースポールとシーライオン間での通信は遮断されています。

「で、問題の異星人の施設ですが、このチャフ回廊内のここにあります。」

 ディスプレイに表示されているチャフ回廊の中の一点が、赤い矢印で指し示されました。

「全体は円筒形をしています。直径は5Km、高さも5Km。外側は、ガラスのような透明なパネルの周囲を金属のフレームで囲ったパーツを無数に組み合わせて作られています。円筒の中央に直径10mほどの柱があって、この柱と、周囲の壁で支えられるように、施設の上部を塞ぐ天井が載っています。天井の半分ほどのエリアには外周部と同じガラスフレームのパーツが埋め込まれていて、さらに、大型の照明が多数設置されています。この、天井内部に設置された照明により、この施設内部は非常に明るい環境になっています。金星の表面自体が光の乏しい暗い環境ですので、この施設自体が、むしろ、周囲を照らす巨大な照明塔のようにもなっています。」

 さすが、鵜の木さんの表現は適切で、確かに、この異星人の施設は、薄暗い金星の表面で、その内部の光によって、ぼーっと浮かび上がるようにして存在していたのです。

「内部ですが、地面は金星の地面がそのまま使われています。コンクリートやアスファルトのような素材での舗装は見られませんでした。人の通行用の通路と思われる場所は、もともと金星表面にあった岩を薄く切り出した板を敷きつめて作られています。その一部には、岩の板ではなくて、砂利のような素材を敷き詰めた場所も見られました。」

 ですので、この施設、かなり、自然環境に配慮した作りになっています。もっとも、これを作った異星人は別の目的でこのような造りにした可能性もありますが。

「それで、この空間内に、私たちにとっては未知の大小様々な植物が繁殖していて、地球ではアマゾンやアフリカで見られるような大規模なジャングルになっています。」
「植物はすべて未知の種類なのか?」

 それまで鵜の木さんのペースで進んでいた説明を遮るように、川崎さんが質問しました。

「もちろん、この施設内のすべての植物を調べた訳ではありませんが、調べた範囲ではすべて未知の種類でした。」
「なるほど。」

「他に質問ありますか?」

 鵜の木さんが会議室内を見渡しながら確認しました。

「その未知の植物は、金星の土に生えてるんだね?」

 おっ、医療部長の荏原さんが質問しました。

「はい。そうです。」
「そうなのか。ということは、金星の植物なのかな?」

 そこが問題なのですが、もし、この施設の中で繁殖している植物が金星の植物だとしても、現在の金星の環境下では間違いなく生存できないのです。ですから、異星人が、何かの目的のために、自分達の星の植物を金星に持ち込んだ、と言う可能性も否定できないのです。

 何のために?

 SF小説や映画では『惑星改造』という考え方もよく使われるようです。もしそうだとすると、異星人は金星を自分達の星と同じ環境に改造する準備として、自分達の星の植物を持ち込んだのかもしれません。

 いずれにしても、この問題の結論を出すのは難しいと思うのです。

「それで、これが施設内で遭遇した小屋です。地球でも良く見かける小屋と同じ構造をしています。四方を壁で囲んだ四角い部屋に、この映像の奥に向かって傾斜した屋根が載っています。正面の壁の真ん中にドアがあって、この小屋の出入口になっています。ドアの左右には窓があります。左右の壁にも一つずつ窓があります。奥側の壁には窓はありませんでした。」

 小屋の広さは20平方メートルほどでしょうか。中はそのまま一部屋だけでした。

「小屋の中には、テーブルと椅子と思われる家具がありました。また、奥側の壁は一面が本棚のような開放型の棚と、扉のある棚になっています。ただ、何も置かれていませんでした。」

 再び、川崎さんが割り込みました。

「この小屋の地下に、コンピュータのような機器の置かれた部屋があったのだな。」
「はい。この小屋の内部の床の一部が隠し扉になっていて、階段で地下に降りられるようになっています。」

 そうなんです。鵜の木さんもかなり丁寧にチェックしてたんですけどねえ、見つけられなかったんです。普通なら金属反応とか、何かの空間が存在する反応が出るはずなんですが、ケータイのセンサーでは検知できなかったのです。かなり厳重に隠蔽されていたみたいですね。

 うーん、何か改造する方法を考えないと。

「それで、話の順番的には、ここでロボット犬が登場するのだな。」

 出ました! 犬君。いよいよ出番です!

「はい。この映像ですね。見て分かるように、4本の足で歩いて、頭部と尻尾が付いていて、地球にもいる犬やネコや、その他の動物と似た姿をしています。まあ、でも、この行動から見て、地球の動物で言うと犬に非常に似た姿のロボット、つまり、ロボット犬ですね。」

 いや、もう、絶対に犬です! それ以外ありません。

「最初はこんなに吠えてたんですか?」

 池上さんが不思議そうな表情で質問しました。

「そうですね。鳴き声は少し違いますが、まさに、犬が激しく吠えるような感じで・・・。」
「うん? 叫び声がしたな、誰だ? 鵜の木君か?」
「映像も、変ですね。地面やら小屋が映って。走ってるんですかね?」

 あははっ、って笑うのは失礼ですね。申し訳ありません。鵜の木さん、なんか言いにくそうです。

「えっと、まあ、そのですね・・・。」

 その様子を見た小杉さんがヘルプしてくれました。

「あの、みなさん、この辺りについては、あまり突っ込まないでもらえませんか?」
「はははっ。まあ、何もなかったのなら構わないよ。」

 川崎さんは事情を察したようです。

「えっと、何もなかったことにしてもらえると嬉しいです。」
「うん、では、続けてもらえるか?」

 そんなわけで、話を進めることになりました。

「で、このロボット犬ですが、私たちに対して激しく吠えはしたものの、それ以外の攻撃的な行動はとらなかったんですね。」
「ふむ。それで?」

 川崎さんも興味津々の様子です。

「後からケータイのセンサーのデータを確認して分かったんですが、実はこのロボット犬は、レーザー光線と、刃物のような武器も持っていたんです。」
「えっ、そうなんですか?」

 小杉さんが驚きの声をあげました。

「はい。レーザー光線は鼻の部分から撃つことが出来ます。刃物は胴体の左右に翼のように展開して使うようです。」

 ふーん、レーザー光線で武装してるなんて、ちょっとすごいですね。かなり本格的な戦闘まで想定されているのでしょうか。

「でも、あいつら、僕と鵜の木さんには使わなかったですよね?」

 小杉さん、まるで弁明するかのような口調です。

「そうなんです。ここからは、僕の想像なんですが、もしも、あの時に、小杉さんが彼等を銃で撃っていたら、彼等もレーザーや刃物の武器で反撃してきたのではないでしょうか?」
「ほう、なるほど。」

 川崎さん、既に彼等、犬君達を理解したかのような口調です。

「小杉君が攻撃をせずに、友好的な態度をとったから、彼等も武器を使うことなく、友好的な行動に変わったんだね。」

 荏原さんも犬君達の行動パターンを理解したようです。

「だって、かわいいですよ。こんなに尻尾振って。」

 舞さん、とっても羨ましそうな表情です。画面では、3匹の犬君達が、尻尾を左右に振りながら小杉さんに頭や体をすり寄せるようにして甘えてるんです。小杉さんもそれに応えるように、彼等の頭を撫でたり、体をさすったりしてあげています。

 きゃー、かわいいですーー。

 おっと、つい、私も気持ちが出てしまいました。

 閑話休題。

「このロボット犬の振る舞いは、つまり、このロボット犬を作った異星人のポリシーでもあるのだろうか?」

 川崎さんが真剣な眼差しで質問です。

「鋭いですね。私も同感です。」

 荏原さん、既に川崎さんの言わんとしていることを理解しているようです。

「はい。きっと、この施設とロボット犬を作った異星人は決して攻撃的な性格ではないと思うんです。」

 鵜の木さんが核心となる予想を伝えました。

「なるほど。それが最後に見た、異星人が何かメッセージを伝えている映像にも通じるわけだな。」

 そうなんです。何しろ映像の中では、異星人と思われる男性、女性といっしょに、犬君も映っているんです。もちろん、小杉さん達が出会った個体とは異なると思いますが、この映像の中の異星人が、金星上に施設を作った後に、いわば、番犬として犬君達を残したのは間違いないのです。

「はい。もちろん、いま時点では、この異星人が話している内容は分かりませんが、何か平和的なメッセージを伝えようとしてるんじゃないかと思うんです。」
「うん、そうだな。少なくとも、攻撃的な不穏なメッセージではないと私も思う。」
「私もそう感じます。むしろ、高度な知性と高い意識のようなものを感じますね。」

 川崎さんも荏原さんも、鵜の木さんの考えに賛成してくれました。

「うん、よくわかった。少なくとも、この施設はそのまま残そう。少なくとも軍事的な拠点ではないようだし、だとしたら、破壊する必要もない。そのまま残しておいて問題ないだろう。」

 良かったー。もしも、破壊しようなんて結論になったらどうしようかと思ってたんです。

「この異星人についても、我々と同じで、平和的な、友好的な交流の可能な相手という認識で良いと思う。」

 良かったですーー。

 それもこれも、あの犬君達と、そして、その犬君達とのコミュニケーションに成功した小杉さんのお陰ですね。

 さて、人類初の有人惑星探査となる第1探査エリアでとんでもない発見があったおかげで、第2探査エリア以降の探査も精力的に行われました。良い意味で起爆剤となったようです。その中では真名さんがあらかじめ決められていた速度を無視して高速飛行に挑戦したところ、金星の山岳地帯の山肌に接触して、危うく墜落しそうになり、ライラさんから大目玉を食らったりといった騒ぎもあったのですがその辺は機会があったら紹介したいと思います。

 実は、そんな盛り上がりの裏で大きな問題が持ち上がってきたのです。

 会議室は沈黙していました。あらかじめ懸念はされていましたが、実際にそんな状況になるとは思われていなかったのです。

 ビーナスメタルが見つからないのです。

 ビーナスメタルですが、私たちは、ある日突然飛来して、北海道の大雪山系に墜落した『未来の宇宙船』の機関室で発見して、その存在を知りました。そして、その『未来の宇宙船』のコンピュータの記録によれば、ビーナスメタルは、私たちのいる現在から、二百数十年後に、無人探査機を使用して行われた金星リターンミッションで金星の表面から採取された試料の中から発見されたとあるのです。だとしたら、私たちのいる現在でも金星の表面にはビーナスメタルが存在するはず、というのが私たちの考えでした。

 そして、今回、ノースポールで金星を訪れて、その表面の探査を行っているのですが、まだ、ビーナスメタルを発見できていないのです。

「私たちは、金星の表面を10のエリアに分けてシーライオンでそれぞれのエリアを探査しています。昨日までにこのうち8つのエリアの探査が終わりましたが、まだ、ビーナスメタルは見つかっていません。」
「残りのエリアは2つ、か。」
「はい。」

 既にお話ししましたが、もしも、このままビーナスメタルが見つからなかったとしても、大勢に影響はないのです。でも、当然あると思われていたものが見つからないとなると、微妙な違和感が残ってしまいます。

「もしかして、地中の深いところに埋まっていたりしないんですかね。」

 中原さんが良い考えを思いついたとばかりに質問しました。

「その可能性もなくはないんですが、未来の地球が金星リターンミッションでビーナスメタルを見つけたとなると、無人探査機で採集できる程度の状態で存在してると思うんです。」

 鵜の木さんは、その中原さんの説に否定的です。確かに私もちょっと違うように思います。

「具体的には、地表に、石ころのような感じで散らばっていたんじゃないかと思うんです。それなら、無人探査機のロボットアームでも採集することが可能です。」

 そうですよね。地球からの距離を考えると、無人探査機を地球からリアルタイムに操作するのは不可能なので、自律的に動作するように作らないとダメでしょう。

「そもそも、地中を何メートルも掘るなんて、それ専用に特化した探査機でないと出来ないですから。ましてや、特定の鉱石を採取するとなると、地上から狙いを定めて掘らないといけないですから。無人探査機にはとても無理ではないかと思うんですよね。」

 むむむ、やはり、中原さんの地中に埋まってる説はダメなようです。中原さん、なんか口をとがらせて少し不満げです。あの、そのくらいのことに負けないで、また、いいアイデアを考えて挑戦してください!

「もし、現在の金星にビーナスメタルが存在しないとしたら、『未来の歴史』はどうなるんでしょうか。」

 今度は小杉さんが質問です。これは少し難しい質問ですね。鵜の木さんも若干考えてからことばを選ぶようにして話し始めました。

「正直、わからないですね。『未来の宇宙船』が現在にタイムスリップしただけでも、タイムパラドックスを起こしているわけですから。・・・まあ、私たちが『未来の宇宙船』の調査なんかしないで、そのまま粉々に壊してしまっていれば、まだマシだったのかもしれませんが。」

 確かに、そうしていれば表面的には何事もなかったかのように終わるかもしれません。でも、だからと言って『未来の異星人』の脅威はなくならないでしょう。むしろ、私たちは何の予備知識もなく『未来の異星人』による侵略を受けることになるのです。その結末がどうなるかは言うまでもないでしょう。

 鵜の木さんのことばに少し考え込んでいた川崎さんが話し始めました。

「その考えも分からなくはないが、私は、我々にとっての歴史は、いま我々が感じているこの時、この時間、この歴史しかないと思うのだ。従って、もしも、この我々のいる現在の金星にビーナスメタルが存在しなくても、それを、我々自身の歴史の中の事実のひとつとして受け止めるしかないと考えているよ。」
「なるほど。何か奥深いですね。」

 荏原さんは川崎さんの考えに賛成のようです。

「確かに、金星にビーナスメタルがあるのか、ないのかを私たちが選ぶことは出来ないですからね。それはもう、私たちの歴史の中の事実として受け入れるしかないですよ。『未来の歴史』は、既にタイムパラドックスが起きてしまっているはずですから、もう既に変わってしまっているのかもしれませんね。私たちにとっての300年後の未来の歴史は『未来の歴史』に書かれている300年後とは異なるものになっているのかもしれないし。」

 それを聞いた中原さんが再び口を開きました。

「そうなると、『未来の歴史』はなくなったんですかねえ? 『未来の異星人』が地球を侵略する未来も?」

 川崎さんが慎重に答え始めました。

「もちろん、個人的にはなくなっていることを祈りたいが、しかし、『未来の歴史』に書かれているものとは別の歴史として、我々がこれから進む未来で待ち構えている可能性もあると思うのだ。それを確かめて、そしてその場合に備えるためにも、我々はノースポールを造ったのだ。」

 そうなのです。だから、いま始まったばかりのノースポールの旅が、ただの平凡な宇宙探査の旅になる可能性もあるのです。いえ、その方が良いに決まってますが。でも、やはり、『未来の異星人』が存在して、戦いになる可能性もあるのです。

 会議室内は、再び沈黙しました。ある人は目を閉じて無心に考えて、また別の人は腕を組んで天井を仰ぎ見ていました。

「あ、あの、」
「どうした?」

 舞さんが控えめに手を上げて、何か話そうとしています。

「その、ビーナスメタルなんですが、」
「うん、いいぞ。何でも言ってみてくれ。」

 そうです。ミーティングで話すことを怖がってはいけません。むしろ、思うところがあれば、どんな些細なことでも、また、どんなに基本的な質問でも、会議の場にぶつけてみるべきです。

 がんばれっ、舞さん!

「えっと、いま時点では、まだ、金星表面にはない、っていうのはだめでしょうか?」
「どういうことだ?」

 川崎さん、舞さんに逆に尋ねました。舞さんの言おうとしていることがよく分からなかったのでしょうか。

 舞さん、ちょっと自信なさげですが、右手を伸ばすと人差し指で窓の外を指し示しました。

「いまは、まだ、あそこにあるとか。」

 その舞さんが指さした先には、舞さん自身が発見した金星の衛星が浮かんでいました。

「金星の衛星、か。」

 川崎さんの頭の中に何かが姿を見せようとしているようです。その川崎さんに、舞さん、笑顔で言いました。

「はいっ、『ディーバ』です。」
「ん? ディーバ?」

 思わぬ方向に進み始めた会話に、川崎さんも戸惑いを見せました。

「はい、あの衛星の名前、『ディーバ』にしようと思って。」

 そう。あの衛星、今はまだ名前がありません。そして、おそらく、その命名権は舞さんがGETするのです。

「『ディーバ』、歌姫、かしら。」

 隣に座っている大森さんがみんなに意味を伝えました。

「そうです。ビーナスのために歌を歌う星です。」
「なんかオシャレでいいじゃないですか。」
「うん、いいね。」

 なんか、みんな気に入ってくれそうです。日本語の『歌姫』という名前も素敵ですね。私も好きになりそうです。

 舞さん、みんなの反応に安心したのか、うれしそうな声で話を続けました。

「それで、ビーナスメタルは、実は、今はまだ、あの衛星、ディーバにあったりして、て思ったんです。」

 なるほど。それが何かの原因で、金星表面に落ちたということでしょうか。

「うん、確かに我々は金星の表面ばかりに気をとられていたな。」

 川崎さんの中に先へと進むことの出来る新しい道が現れたようです。早速、鵜の木さんに尋ねました。

「あの衛星の探査計画は立ててあるのか?」
「はい。2日間と予備日を1日の3日間で予定を立てています。」

 さすが鵜の木さん。ちゃんと計画を立ててくれてるんですね。

「そうか。ひとまず、今は金星上の残りの2つのエリアの探査に期待するとして、その結果に依らず衛星の探査も実施しよう。」

 なんか、ひとまず前に進めそうな雰囲気になってきました。その雰囲気に乗るように、舞さんが川崎さんに向かって言いました。

「艦長、」
「ん、なんだね?」
「『ディーバ』ですよ、『ディーバ』。『衛星』じゃなくて。」

 そうですね、舞さんが名前を提案すれば、まず、それが採用されるでしょうから、もう決まったようなものです。『ディーバ』。

「はっはっはっ、そうか。すまない。諸君、『ディーバ』の探査を忘れずに頼むぞ。」
「はい。」
「もちろんです。」

 こうして、ひとまず、金星の残りのエリアの探査は続けられたのですが、残念ながら、ビーナスメタルを見つけることは出来ませんでした。従って、ビーナスメタルの捜索は、いよいよ、金星の衛星『ディーバ』で決着を付けることになったのです。

「準備はいいわね、真名?」
「うん、もちろんだよ。」

 航海部は今日の朝番の真名さんが操縦席についていました。現在の周回軌道から、金星の衛星ディーバまで、ほんの数十万キロですが、初めて本格的な航行を担当するのです。

「・・・、て言うか、あんた緊張しすぎよ。体がカチカチじゃない。そんなじゃ保たないわよ。」

 操縦席から右隣の少し下がった位置にある予備席からライラさんがサポートします。

 真名さん、ライラさんに言われて、肩を上げ下げしたりして緊張を解そうとして、やっと、リラックスできたようです。

 それを僅かに笑みを浮かべて微笑ましそうに見ていた川崎さん、気を取り直すように襟を正すと全員に指示しました。

「よし、行こうか。」
「はい。ノースポール、発進します。」

 そう言うと小杉さん、操縦席を見ました。真名さん、再び緊張しているようです。

「了解。発進します。」

 それでも真名さん、軽く深呼吸すると、右足を踏み込みました。ノースポールはそれに応えるように前進を始めました。金星の周回軌道を離れて衛星ディーバに向かいます。

「バリアシステム停止します。」

 鵜の木さんが報告しました。バリアシステムはエネルギー的、物理的な障害や危険からノースポールを守ってくれますが、観測対象の星が発している光や電波なども遮ってしまうのです。そのため、星などの観測を行う時はバリアシステムを停止した方が観測精度が上がるのです。

 前方にはディーバが浮かんでいました。

 地球から月に行くときと同じで、金星の周回軌道から衛星ディーバに行くのも、ノースポールならあっという間です。

「ディーバに接近。周回軌道に入ります。」

 真名さんがややかしこまった声で報告しました。といっても、もう、緊張しているわけではないようです。むしろ初々しい、凜々しい感じです。

「いい感じね。今のコースと速度をキープして。」
「うん、大丈夫だよ。」

 通信コンソールに座る舞さん、穏やかな表情でディーバを見つめています。

「これが、ディーバ。」

 何しろ、いま目の前に迫っているこの星の発見者なんです。

 間もなく、ノースポールは金星の衛星ディーバの周囲を巡る軌道に入りました。

 鵜の木さんがシートに座り直すと端末に向かいました。

「じゃあ、観測始めようか。」
「はい。」

 私はキーボードを叩きながら報告しました。

「観測システム起動。」

 次いで指示も出します。

「各班、順次観測を開始して下さい。」
「了解しました。」
「観測開始します。」

 ディーバの観測を担当する技術部の各班から返事が返ってきます。ブリッジにいる鵜の木さんと私は集まり始めた様々なデータを点検していきます。

「直径は2,577Km。ややいびつな箇所もありますが、ほぼ球形ですね。」
「自転周期は18時間と46分。公転軌道は、半径42万Kmで、公転周期は14日と5時間。」

 基本的な情報から順番にディーバの素顔が明らかになっていきます。

「地表は何種類かの岩石に覆われています。クレーターの数も多いですね。」

 ディーバの内部の構造を解析したデータも入り始めました。

「あっ、ビーナスメタルの反応が出ています。」

 私、思わずうれしそうに報告してしまいました。金星の表面では見つかりませんでしたが、ディーバにあったんですね。しかし、反応は普通ではありません。

「え! 何これ?」

 鵜の木さんが突然声をあげました。端末を見ながら、盛んにキーボードを叩いています。そりゃ、びっくりしますよ。私もびっくりしちゃいました。

「すごいですよね。」

 なんと、金星の衛星ディーバ、表面こそ一般的な岩石に覆われていますが、その下には、ディーバ全域にわたって、厚さが500Kmから最大で700Kmにもなるビーナスメタルの層が存在していたのです。ディーバの内部のかなり多くの部分をビーナスメタルが占めていることになります。

「ビーナスメタルって・・・、」
「こんなにたくさんあったんですね。」

 鵜の木さんも私も唖然です。

 ただ、大きな謎は残ります。

 『未来の歴史』では、金星の表面で見つかったとされているビーナスメタルが、なぜ、現在の金星の表面には存在せず、衛星であるディーバの内部に存在しているのか。やはり、『未来の宇宙船』の墜落と、ノースポールの出現によって未来の歴史は変わってしまったのでしょうか。

 1日目の探査は順調に進みました。明日はシーライオンで表面に降りて、有人探査も行うことになりました。もちろん、発見者の舞さんもディーバの表面に降り立ちます。

 その日の夜。

 鵜の木さんと私は、昼間に採取したディーバの観測データを分析していました。でも、なんとなくキーボードを叩いていた手が止まったのです。何か違和感があるんです。私は隣の席の鵜の木さんを見ました。鵜の木さんも、両手を頭の後ろに回してシートに深く寄り掛かって何かを考えています。

「鵜の木さん、」

 私、鵜の木さんを呼んでみました。

「不動さん。何か見つけたの?」

 鵜の木さん、何かを感じているようです。私は答えました。

「ディーバって、なんか変じゃないですか?」

 鵜の木さんが答えました。

「うん。確かに、変だね。」

 その時はそれ以上は何も分かりませんでした。

 そして、その日の深夜、奇妙な出来事が起きたのです。

「んー、」

 川崎さん、なぜか目覚めてしまいました。枕元の時計を見ると、時刻は午前3時14分。

「まだ、夜中か。」

 川崎さんはベッドから出て立ち上がるとデスクの上に置いてあったミネラルウォーターのボトルを取り、2口ほど飲みました。

「夢を見たようだったが、何か違う感じもするな。何か歌を聴いた気がするが、何だったんだろうか。」

 川崎さん、パジャマの上にガウンを羽織ると部屋から出ました。正面にもう一つのドアがありますが、そこからは出ないで、右手にある階段を登りました。登り切るとそこは艦長専用のオフィス、艦長室です。その艦長室は艦長の個室の真上に位置していて、階段で直結されているのです。

 川崎さん、艦長室のドアを出ました。エレベータホールです。エレベータの左側のドアを入ると、ノースポールのブリッジです。

「あっ、艦長。」

 通信オペレーション部の成瀬君です。今夜の夜当番ですね。

「うん、お疲れ。」
「艦長、何かあったんですか?」

 統括部の夜当番の三田さんが立ち上がると艦長の前に行きました。

「いや、ちょっと目が覚めてしまってな。」
「そうだったんですね。」
「うん、異常はなさそうだな。」
「はい、静かな夜です。」
「ならいい。」

 川崎さん、ブリッジ内を見渡しました。確かに何事もなさそうです。システムが異常を検知していることもありません。

「では、戻らせてもらうよ。」
「了解です。おやすみなさい。」

 川崎さんはブリッジを出ると、艦長室の階段を降りて個室に戻りました。

「異常が起きたわけではないのか。だとすると、先程のはただの夢なのか。」

 艦長は再びベッドに横になると、布団をかぶりました。その夜、艦長の身には、それ以上の出来事は起きませんでした。

 翌朝。

 川崎さんはいつも通りブリッジに向かいました。しかし、ブリッジの入口の前で、

「さすがに、ちょっと眠いな。」

 ついついあくびをしてしまいました。夕べ、なぜか目が覚めてしまったせいでしょうか。

「いかんな、ビシッとしないと。」

 川崎さん、深く深呼吸をして姿勢を正すと、ブリッジに入りました。すると、

「あっ、ふ・・・。」

 大森さんが何やら怪しい動きをしました。あくびをしようとしたところに、川崎さんが来てしまって、あくびが途中で止まってしまったようです。

「どうした? 夜更かしでもしたのか?」
「いえ、なんか、夜中に目が覚めちゃって・・・」

 それを聞いた川崎さんの表情が変わりました。鋭い表情です。

「もしかして、夜中に何か空耳が聞こえて目が覚めたとか・・・?」
「えっ?」

 大森さん、驚いて右手を口に当てました。不思議そうな、探るような目で川崎さんに尋ねました。

「艦長も、ですか?」

 川崎さん、ゆっくり頷きました。

 実は、同じ異変が、他の乗組員にも起きていたのです。

「すごい、確かにこのフレーズだ。」

 宇宙亭から一つ下のバーラウンジにつながる階段を降りながら、山下さんは奇妙な感覚に包まれました。左肩にはギターを入れたソフトケースを、右手にはアンプを持っています。

 山下弦振さん。大森さんが部長をしている通信オペレーション部のネットワークエンジニアの方です。ノースポール艦内のネットワークは、ほとんど、技術部で管理しているのですが、一部、通信オペレーション部にお願いしている部分もあるのです。

 山下さん、バーラウンジに入りました。フロア中央の少し低くなった場所に置いてあるグランドピアノを誰かが弾いています。

「鶴見さん、か。」

 そう、鶴見さんが、山下さんも知っている、そのメロディーをピアノで奏でているのです。時々、演奏の手を止めて、熱心に何かを書いています。思いついたメロディーを楽譜に書き込んでいるようです。

 山下さん、右手に持っていたギターのアンプを置くと、思い切って声を掛けてみました。

「あ、あの、鶴見さん。」

 鶴見さんは少し驚いたように振り返りました。

「あ、すみません、朝からピアノを弾いてしまって、うるさかったですか?」

 山下さん、左肩にしょっていたギターのケースも降ろすと、鶴見さんに答えました。

「いえ。それより、今弾いていた曲、鶴見さんが作ったんですか?」

 鶴見さんは椅子から立ち上がると山下さんの方を向きました。

「僕が思いついた、のかどうかはわからないんですが、夕べ眠っている最中に、突然、このフレーズが聞こえて来たんです。いえ、普段曲を思いつく時とはちょっと違う感覚だったんですけどね。それで、忘れないうちに譜面にしとこうと思って。」

 山下さんは驚きました。そして、鶴見さんに向かって言いました。

「実は、僕も知ってるんです。そのフレーズを。僕も突然、聞こえて来たんです。それで、スタジオに行って弾いてみようと思っていたんですが、その前に、宇宙亭に寄ったら、あなたのピアノが聞こえて来て。」
「なるほど。山下さんもこのメロディーが聞こえたんですか。不思議ですね。全く違う2人が同じフレーズを聞くなんて。」
「ええ。あの、もし良かったら、セッションしませんか?」
「いいですね。やりましょう。」

 山下さん、ケースからギターを出してアンプとつなげました。アンプのスイッチを入れます。鶴見さんにピアノの音をもらってチューニングします。

「行けますよ。」

 そう言うと山下さん、問題のフレーズの最初のコードを引きました。もちろん、楽譜はありません。感覚です。

「あ、いいですね。そのコード。」

 鶴見さんがフレーズの最初の部分を弾きました。何小節か、フレーズとコードのやりとりが続きました。

 鶴見さん、フレーズを弾くのを止めてコードパートを弾き始めました。山下さんに誘うような顔つきで合図しました。

 今度は攻守交代して、鶴見さんがピアノでコードパートを、そして、山下さんがギターでフレーズを奏で始めました。鶴見さんが驚いた表情を見せました。見事なギターソロです。鶴見さんもますます気合いを込めて鍵盤を叩きます。

 2人の演奏はひとつ上の宇宙亭にも聞こえていました。乗組員のみんなが少しずつ早朝ライブに集まってきました。中にはモーニングコーヒーを片手に演奏に聴き入っている人もいます。焼きたての食パンを囓りながら、そのメロディーに聴き入っている人もいます。

 演奏が終わります。最後はピアノが静かに登りの音階を奏でて、そして、静かにコードを弾いて曲を締めました。

 周りに集まっていた乗組員から拍手が沸きました。

「なんか、期せずして、だけど、」

 山下さんが鶴見さんに笑顔で話しかけました。

「気持ちよかったです。」
「もちろん、僕もです。」

 鶴見さんも笑顔です。

 実はこの夜、眠っている時にメロディーが聞こえて目を覚ましてしまったのは、艦長と大森さん、鶴見さん、山下さんだけではなかったのです。私も聞こえたし、通信オペレーション部の舞さんとエリーさん、統括部の鵠沼さんや、技術部でも私以外に10人ほどの人が、そして、ノースポール全体では20人以上の人に同じ現象が起きていたのです。

「うーん、このメロディーだよね。」

 鵜の木さんと私は、ノースポールで起きている『怪奇現象』の調査をしていました。私たちの座る端末の後ろから、荏原さんと、鶴見さん、そして、山下さんも画面を覗き込んでいます。

「よし、検索っと。」

 鵜の木さんが実行キーを叩きました。

 艦長をはじめとする少なくない人数の乗組員の方達が、夜中に、同じメロディーを聞いて目が覚める、という事件です。

 その原因が、金星の衛星ディーバが発している様々な電波や信号、エネルギーの中にあるのではないかということになり、鵜の木さんが検索しているのです。検索の元となる信号波形は、鶴見さんの演奏するピアノの音から抽出しました。

「なんか出て来たね。」

 荏原さんが指さしました。実は荏原さんもメロディーが聞こえた1人なのです。検索結果はどんどん追加されて、画面が上へ上へと流れていきます。

「でも、星から出ている信号が、本当に人間の神経に直接入り込んだりするんですか?」

 山下さん、かなり懐疑的です。でも、実際に複数の人が同じメロディーを感じ取ったのです。山下さんは通信オペレーション部でネットワークエンジニアの仕事をしているので今やっているような信号解析の知識もあるのです。

「もちろん、実例はないよ。でも、その実例のない現象が、実際に起きてしまったんだ。鶴見君に私、そして君も。そして、他にもかなり多くの乗組員が、なぜか同じ音楽のフレーズを聞いているんだ。」
「うん。そうですね。僕も賛成です。どんなに奇妙な現象でも、それが実際に起きているんだったら、その事実から目をそらしてはダメです。」

 鵜の木さんが荏原さんの意見を強く支持しました。鵜の木さんの持論ですね。もちろん私も賛成です。

「人間の神経が感じやすい、周波数とかあるんですか?」

 鶴見さんが尋ねました。

「確証はないんだが・・・、ここに表示されているのが正次元化周波数だね?」

 鶴見さんの質問に答えようとした荏原さんが画面に表示されている数値を指さして、鵜の木さんに尋ねました。

「はい、そうですね。その隣が非線形位相係数、さらにその隣がマルダー複多重度数。」

 鵜の木さんの答えを聞いた荏原さんが、少し考えてから話し始めました。

「まだ、ごく一部の研究者が取り組んでいるだけなんだが、そのメンバーによれば、ある特定の正次元化周波数を持つ信号は人間の神経細胞が直接受け入れて、人間が本来持っている目や耳などの感覚器官で感じ取った音や映像と同じように伝達されると言うんだ。まあ、まだ、半分以上が推論らしいんだけどね。」

 どうやら、幽霊のような目で見る超自然現象も実はある種の電波や電磁波が人間の神経に直接取り込まれて映像として認識されている、という理論のようなのですが、まだまだ、科学的な現象としては受け入れられていないようです。荏原さんも、非常に慎重な言い回しです。でも、それを聞いた鵜の木さんは、何やら端末を叩き始めました。

「でも、それがもしも本当なら・・・、」

 みんなの視線が鵜の木さんの動きに集まります。

「これが、正次元化周波数が30μKrの信号です。」

 そう言って実行キーをトンと叩きました。あ、『Kr』というのは正次元化周波数の単位で『クラット』と呼ばれています。周波数としてお馴染みの『Hz』とは、微妙に違う、まだ、提唱されたばかりの単位です。

「んー、」
「えっと、何か鳴ってるんでしょうか?」

 鶴見さんも山下さんも何も聞こえないようです。私も何も聞こえません。

「じゃあ、もう少し高くしてみましょう。えっと、100μKrです。」

 再び、みんなで耳を澄まします。

「あれっ?」
「何か、何か聞こえます。」

 確かに、私にも何か聞こえます。でも、音が小さいような、遙か彼方で鳴ってるような・・・。

「んー、それなら、非線形位相係数を下げてみましょうか・・・、はい。どうですか?」

 あっ!聞こえます。

「こ、これって、あのフレーズじゃないですか。」
「そうですね。僕が聞いたのも確かこんなだったような。」

 と、その時、鵜の木さんのケータイが鳴りました。

「はい、鵜の木です・・・。はい、えっ?!」

 鵜の木さんがケータイで受けた通話を端末に転送しました。スピーカーから声が流れ始めました。

「・・・、なんか、また、聞こえるのだ、あのメロディーが。何か起きてるのか?」

 艦長です。

「私もなんか、耳鳴りみたいに聞こえるんです。」

 舞さんの声も割り込んできました。鵜の木さん、少し考え込むと端末を叩きながら尋ねました。

「えっと、これならどうですか?」

 鶴見さんが真っ先に答えました。

「聞こえます。さっきよりもはっきりと。」
「僕もです。」

 山下さんもです。

「私は聞こえなくなったな。」
「私もです。」

 艦長が何か気付いたようです。

「そっちで何かやってるのか?」
「はい。荏原さんと山下さんも来ていて。不動さんもいます。」
「よし、そっちへ行こう。」

 すぐに、艦長と舞さんが来ました。

「どうした、何か分かったのか?」
「はい。あの現象ですが、やはり、ディーバが発している中のある帯域の特殊な電波を私たちの聴覚神経が直接感じとってるようなんです。」
「本当なのか?」
「そのようです。私も自分自身で感じ取ることが出来ましたから。」

 このあともう一度試してみて同じように鶴見さんや山下さん、艦長、舞さんと私も聞き取れることが確認できたのです。

「なるほど。ちなみに、君はどうなのだ、鵜の木君。」
「それが、僕は全然聞き取れないんですよね。なので、みなさんに協力してもらってるんです。」
「なぜなのかね?」

 鵜の木さんが考え込んでしまいました。でも、私にはなんとなく理由が分かりました。新しい疑問と一緒に。

「たぶん、ですが、あの音を感じることが出来たのは、聴覚が敏感な人なのではないでしょうか。例えば、音楽を経験している人とか。」
「そうか、私も鶴見君も、山下君、不動さんも。音楽を経験しているね。」

 荏原さんが少し考えてことばを続けました。実は荏原さん、コントラバスを弾くことが出来るんです。あと、ベースギターも。艦内にも楽器を持ち込んでいます。

「だが、舞君はどうなんだ?」
「私は、音楽は苦手で。カラオケとかはちょっと遠慮する感じで。」

 舞さん、一歩引いてしまいました。私は予想の説明を続けました。

「そうですね、でも、聴覚が敏感という意味では大森さんや舞さんのように語学が得意な人は普通の人よりも音を認識する能力が高いと思うんです。」
「うん、そういえば、エリー君もあのメロディーを聞いていたのだったな。」
「ああ、それなら納得がいくね。」

 みんな、納得しそうです。でも、ちょっと待って下さい。

「でも、まだ、1人例外がいるんです。」

 私は艦長を見つめました。それを見たみんなも一斉に艦長を見つめました。

「ん、ん、なんだ?」
「いえ、何で艦長にも聞こえたのかなって思ってですね。」
「もしかして、実は音楽家なのを隠してたりしませんか?」

 荏原さんが強く突っ込みました。

「ん、こ、こんなところで。ま、まあ、だな。」
「もしかして、楽器経験者なんですかあ? 大歓迎です! ぜひ、ウインドオーケストラに入って欲しいです!」

 わたし、思いっきり表情を明るくして問い詰めてみました。

「ん、そ、その・・・。」

 結局、この時は艦長から聞き出すことは出来ませんでした。うーん、よっぽど何か深い理由があるのでしょうか。

 なので、鵜の木さんと私で纏めたレポートもちょっと歯切れの悪いものになってしまいました。

『一部の乗組員が、睡眠中に、音楽のメロディーを聞いて目を覚ました理由は、金星の衛星ディーバから発せられている一部の信号が人間の聴覚神経に直接入り込んだために、メロディーとして認識されたと思われる。なお、メロディーを認識できるのは、音楽の経験があったり、複数の言語を聞き取ることが出来るなど、何らかの方法で聴覚神経を鍛えている者に限ると思われるが、それに当てはまらない例もあり、限定は出来ていない。調査を続ける必要性を認める。以上。』

 そんなわけで、この怪奇現象はひとまず解決となりました。でも、この事件のお陰で、意外な人が音楽経験があることが分かったりして、実は私としてはうれしかったりするのでした。

 実は、ノースポールの乗組員でウインドオーケストラを作ろうと思っているのです。

 いわゆる、吹奏楽、ですね。

 艦内でのイベントでもみんなに楽しんでもらえると思うし、もしも、もしも、ノースポールが異星人と出会った時には、地球の文化のひとつとして音楽を紹介することも出来ると思うのです。実はそれを見込んで、音楽経験のある人に、プロジェクトからオファーを出してもらったりもしてたりするんです。もちろん、ノースポールの乗組員としてのスキルも持っていることが前提ですが。

 まあ、このお話の続きは別の機会にご紹介できるのではないかと思います。

 というわけで、

 閑話休題・・・、

「わーーっ、みなさーーーん、いま、私、ついに、金星の衛星ディーバの上に立ったんですーーー。」
「わ、わ、舞さん、そんなに飛び跳ねたら危ないですよ。」

 ブリッジのメインディスプレイにディーバの上でピョンピョンと高く飛び跳ねる舞さんと、慌てて止めようとしている三田さんの姿が映されていました。

 あちゃーー、

 またまたお見苦しいところをお見せしてしまいました。ディーバの探査活動の方も続行されていて、その発見者であり名付け親の舞さんも、ついに、ディーバの表面に足跡を残したのでした。

「なんか、楽しそうだな。」

 艦長、むしろ、羨ましそうな表情です。

「まあでも、ディーバの発見者ですからねー。」

 小杉さんも何か楽しそうな顔つきです。

 それにしても舞さん、危険なのも事実なので落ちついて下さいね。あまり強く飛び跳ねると、ディーバの引力を振り切って、宇宙空間に投げ出されてしまう可能性もありますから。

「えーと・・・、」

 三田さんに促された舞さんが国連旗をディーバの表面に立てています。

「できましたーっ。」

 舞さん、引き続きテンション高すぎ・・・。

「じゃあ、写真撮りますーー。」

 三田さんがケータイを構えました。舞さん、満面の笑みでVサインしてます。

 この写真、日高基地に送るレポートにも使うはずなんですね。そして、そのあと地球のマスコミ各社にも配信されるんですよね・・・。まあ、いいですか。宇宙は楽しいところでもあるので。その、PRということで。

 こうして、金星と、その衛星ディーバの探査はひとまず終了したのでした。ノースポールは、金星とディーバに別れを告げて、次なる訪問地、水星に向かいました。

 ・・・、んー、それにしても、艦長からは、なんとか聞き出したいですよね。何か音楽の経験があるのかどうか。何か良い手はないでしょうか。そうだ。大森さんに相談してみようと思います。

 乞うご期待。

(つづく)

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■更新履歴
2023/04/08 登録