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■宇宙巡光艦ノースポール

第5章.水星
第1節.不幸な事故

 その宇宙船には二人が乗り組んでいました。彼等の任務は、あらかじめ決められたコースで宇宙空間を飛行して、未知の惑星系やブラックホールなどの天体を発見したら調査することなのです。彼等の他にも4隻の宇宙船がそれぞれの担当する宇宙空間の調査を行っているのです。故郷の星を出発してから既に3カ月が経っていました。

「この辺りは星が少ないようだな。」

 その宇宙船のまだ若いパイロットは船のコースと速度を確認するとコンソールの脇に置いてあったカップを取ってシートを少し倒しました。

「まあ、この宇宙のどの空間にも同じように星が存在するわけではないからな。」

 左隣の席の船長は、既に同じようにシートを倒して寛いでいました。パイロットよりも少し歳上のようです。故郷の星には愛する家族も彼の帰りを待っていました。

「しかし、たまには、我々と同じぐらいに発達した人類に出会ってみたいものです。」
「そうだな。友好的な種族と出会えることを祈るよ。」

 彼等は既に3つの惑星系を発見していて、そのうちの1つには、彼等と同じ、哺乳類に似たタイプの小型の生物が存在していました。

「遠い将来に人類が出現する可能性もありますよね。」
「もちろんだ。ある日突然、『やあ、はじめまして。』とか言いながらやって来るかもしれないな」
「ハッハッハッ。早く会ってみたいですね。」

 夢は膨らみます。もっとも、だいぶ遠い、遥かに未来に起きるかもしれない出来事なのですが。

 その時です。突然、操縦席から警報音が鳴り始めました。

「どうした?」

 パイロットが素早く確認します。しかし、一瞬にして彼の顔色が悪くなりました。

「エンジンです。・・・まずいな、エネルギー制御コイルが過熱して溶けてしまってます。」

 船長も自分のコンソールを叩いて状況を確認しました。

「それでか、速度が勝手に上がってるぞ。300、500、止まる気配がないな。」

 溶けてしまったのはエンジンの制御をするための重要なパーツなのです。故障するとエンジンのコントロールができなくなってしまうのです。

「エンジン出力も勝手に上がってます。」
「エンジンを切れ、エンジン停止!」

 船長が声を荒げました。

「だめだ、強制停止も効きません。」

 パイロットが悲痛な声で報告しました。

 宇宙船はぐんぐんと速度を上げながら、予定のコースから逸れながら飛行していました。

「だめです。エンジンを修復できません。」

 パイロットは考えられるすべての操作を試しました。養成学校で習った手順だけでなく、先輩や同期の仲間から聞いた方法も試しましたが、何の効果もありませんでした。

「諦めるな。コースは?」

 船長は若いパイロットを叱るように、そして、自分自身の勇気を奮い起こすように質問しました。

「未知の惑星系に向かっています。中心の恒星はAタイプ、数個の惑星を確認。」

 気を取り直したパイロットが答えました。彼等の宇宙船は減速することなく猛スピードのままでその未知の惑星系に進入しようとしていました。

「本来ならゆっくり調査したいが・・・。」

 船長が呟きました。

 偶然とは言え、彼等にとっては未知の惑星系です。しかも、Aタイプの恒星を巡る惑星には生命が存在している可能性が高いのです。本来なら、早速調査に入るところですが、今はそれどころではありません。

「だめだ、速度を落とせない。」

 若いパイロットは両手でコンソールを叩きました。しかし、船長は画面のチャート上に示された船の位置を睨みながら残されたアイデアを思いつきました。

「・・・あの恒星でスイングバイできないか?」
「・・・、了解。やります。」

 パイロットもその微かな望みに賭けました。

 宇宙船はその惑星の中心である恒星を掠めるコースを進みました。速度は落ちていません。むしろ、恒星の引力に引かれてさらに加速しています。船体は激しく振動しています。操縦席の一部の計器からは火花が飛んでいます。

「あと30秒、がんばるんだ。」

 シートの肘掛けを握りしめて振動に耐える船長が叫びました。

「頼むぞ!」

 パイロットは必死の形相で操縦桿を握ってコースを維持しています。

 船体はさらに激しく振動しました。正面のモニタには現在接近中の恒星の姿が映されています。ごく普通のタイプの恒星です。恒星として何十億年もの間、安定して輝くことが出来るはずです。そして、中心の恒星が安定していれば、その周囲を巡る惑星は順調に進化することが出来るのです。

「うわぁっ!」

 パイロットの席のコンソールからひときわ大きな火花が上がりました。パイロットは右手を操縦桿から離して顔を覆うようにしましたが、左手はしっかりと操縦桿を握っていました。

「過負荷でエンジンが止まってくれたようです。」
「そいつはついてる。」

 船長は微かに笑みを浮かべました。エンジンは制御不能な状態で作動していて、速度を落とせなかったのです。理由はともかく、止まってくれたのなら、むしろ幸運かもしれません。

「速度、最大。もうすぐ減速に移るぞ。」

 恒星を掠めて通過した宇宙船は今度は逆にその恒星の引力により減速し始めました。船体の震動も徐々に弱くなっていきました。。

「速度、20%まで低下。」
「もうちょっと・・・、よし! 恒星の周回軌道に乗りました。」

 パイロットの顔に笑みが戻りました。

「よ、よし。よくやった。」

 船長も自分のコンソールで確認すると、パイロットの方を向いて労いました。

 宇宙船は速度を落として、その恒星の周回軌道を回り始めていました。状況は少し改善していました。このまま落ちつけば船の応急修理もできるかもしれません。2人はエンジンの損傷状況を調べ始めた。

「予備のパーツはあります。なんとか修理できそうですね。」
「そうか。すぐに始めよう。」

 そのことばにパイロットが席を離れようとした時、再び、操縦席のアラームが発報しました。

「今度は何だ?」

 そう叫びながら、慌てて操縦席に戻ると端末を叩きました。

「右前方から未確認の飛行物体が接近しています、いや、こっちが接近しているようです。」

 相手の速度があまりにも遅いようです。距離はぐんぐん縮まっていました。

「何かわかるか?」
「・・・何かの探査機、無人探査機のようです。衝突コース、ぶつかります!」

 パイロットは鋭く叫びました。

 問題の探査機が見え始めました。ぐんぐん接近しています。それは非常に旧型の探査機でした。同じタイプの探査機は博物館でも見られないかもしれません。しかし、今はそんなことは関係ありません。衝突すれば双方共に致命傷となるのです。

「追い越します!」

 パイロットが操縦桿を思い切り左にきりました。宇宙船は進路を変更、年代物の無人探査機を右手の至近距離に見ながら追い越しました。

「回避成功!」

 パイロットが緊張した面持ちのまま報告しました。一瞬、ほんの一瞬でしたが船内に安堵感が湧きました。

 しかし、その直後、非情にも操縦席でさらに別のアラームが鳴り始めました。確認したパイロットの表情が再び固まりました。

「姿勢制御系ダウン。制御不能です。」
「再起動しろ。」

 船長が怒鳴りました。

「だめです。全然反応しません。」

 船長は半ば投げやりにパイロットに向かって言いました。

「予備系は使えないのか?」
「同じです。反応しません。」

 宇宙船は再び加速しながら飛行していました。左前方に星が見え始めました。

「ここの第一惑星のようです。」
「回避できるか?」

 パイロットは懸命に進路変更を試みました。しかし、既に、姿勢制御が出来ない状態なのです。万策尽きていました。

「・・・無理だ。衝突・・・、クソオッ!」

 そう吐き捨てると操縦コンソールを思い切り殴りました。しばらくその振り下ろした両手をそのままに俯いていましたが、絞り出すような声で話し始めました。

「・・・、ま、仕方ないですか。この仕事を選んだ時に、覚悟は決めていたはずですから。」

 パイロットはゆっくりと体を起こすと船長を見つめました。

「君は出来ることを最後までやったんだ。ありがとう。感謝している。」

 そう言ってゆっくりと頷きました。

 2人はしばらくの間、顔を見合わせていました。そして、決心したようにシートに深く座り直すと静かに目を閉じました。故郷で待っている愛する家族が、供に過ごした仲間の姿が脳裏に浮かびました。

 もちろん、SOSは送信しました。しかし、現在位置からだと故郷の星に届くのには何百年もかかかるのです。宇宙は限りなく広いのです。

 宇宙船は惑星に向かって一直線に進みました。もう、速度も進路も制御することはできませんでした。

 惑星の灰色の表面がぐんぐん迫ります。

 船体が激しく振動します。

 無数のクレーターに覆われた

 荒涼とした地表が目の前一杯に広がります。

 2人は、その最期の瞬間が来るまでの

 まるで永遠に続くかのような苦しい時間に

 歯を食いしばって耐えました。

 涙が溢れて止まりませんでした。

 もう、終わってしまうのです。

 彼等2人のすべてが・・・。

 そして。

 宇宙船は、音を立てることもなく

 惑星表面に激突しました。

 爆発が起きました。

 惑星表面の土や砂が巻き上がりました。

 宇宙船は衝撃でバラバラになっていました。

 その残骸の上に

 巻き上げられた砂埃と砂塵が

 降り積もっていきました。

 惑星の一部として迎え入れるかのように。

 悲しみと寂しさに満ちた魂を

 優しく包み、鎮めるかのように。

 一方。

「信号を確認・・・、予定の軌道に入りました。」
「よし、成功だ!」

 管制室に拍手が沸きました。管制官が互いに握手します。幸運にも衝突を逃れた無人探査機が、その、同じ惑星に達したのです。しかし、残念ながらその探査機には、墜落した宇宙船を救助する能力はもちろん、至近距離を掠めたことに気付く能力さえなかったのです。そのため、この探査機の持ち主も墜落事故に気付くことはありませんでした。

 広い宇宙の片隅で起きた不幸としか言いようのない出来事だったのです。そして、この出来事を記憶している者もいなかったのです。

 その惑星は、まるで、何もなかったかのように静かに、明るく輝く恒星の周りを巡り続けました。

 そして、長い時間が過ぎました。

 ノースポールは水星に向けて航行していました。もう間もなく到着の予定です。カールさんは左手で操縦桿を握ったまま右手でサブコンソールを操作すると、水星の周回軌道に入る航路設定を確認しました。

「うん、大丈夫だ。」

 カールさんは両手で操縦桿を握り直して現状を報告しました。

「減速完了。5分後に水星の周回軌道に入る。」
「うん、頼むよ。」

 川崎さんが低い声で答えました。

 初めて水星に到達した地球の宇宙船は1974年のマリナー10号です。次は2011年のメッセンジャー。3番目は2018年に打ち上げられたベピ・コロンボです。水星でのスイングバイを6回行って2025年に水星の周回軌道に入りました。残念ながら、その後に続く探査機は打ち上げられませんでしたので、ノースポールは4番目に水星を訪問する地球の宇宙船となります。もちろん、有人宇宙船としては初めての訪問です。

 水星は地球からの距離は比較的近いのですが探査はそれほど行われてきませんでした。水星全体の地図が作製されたのもメッセンジャーによる探査の時でした。

「鵜の木さん、地球の人達は水星にはあまり興味がなかったんですかね?」

 ケーパッドで資料を読んでいた小杉さんが突然質問しました。

「確かに、人類の関心は地球よりも外側の惑星に向いていたのかもしれないですね。」

 鵜の木さんは水星に投下する予定のエクスビークルを調整していましたが、その手を止めて答えました。小杉さんは頷きながら聞いていましたが何か納得していない表情です。

「水星の資料って以外と少ないんだよな。」

 ケーパッドの画面を指で捲りながら不満そうに呟きました。ライラさんも右舷側のサポート席で小杉さんと同じようにケーパッドの画面上で指を滑らせていました。

「小杉も調べたんだ。私も調べたけど資料自体少なかったのよね。」

 やはり、不満そうです。航海計画作成の参考にするためにいくつかのデータベースにアクセスしたのですが、得られた情報は意外なほど少なかったのです。

 火星には火星人が住んでいると考えられていたこともありました。現在では、人間のような生命体の存在を信じる人はいないようですが、微生物の存在は火星探査機が打ち上げられるたびに調査が行われています。

 木星は望遠鏡が発明されたころから観測が行われています。ガリレオ・ガリレイによって発見された4つの衛星は「ガリレオ衛星」と呼ばれていて、その一つであるイオには活発に活動を続ける火山があることでも有名です。また木星には目玉のような形をした巨大な斑点「大赤斑」があることも広く知られています。

「土星って環もあるし昔から有名ですよね。」

 私も端末を操作していた手を休めて話に割り込みました。

 近年の観測により土星以外の惑星にも環があることがわかってきています。でも、土星の環はその中でも最も美しいのです。自然の創り出した奇跡と呼ぶのが適切でしょう。もしも惑星を巡るツアーが一般的になったら、土星は太陽系一の観光スポットとなるのではないでしょうか。

 このように、地球よりも外側の惑星については話題も多く人々の関心も高いのです。1977年に地球から飛び立って、今なお活動を続けている2機のボイジャーのように、無人探査機も頻繁に打ち上げられているのです。

 それに比べると、地球よりも内側の2つの惑星、金星と水星に対する人々の関心は低かったとも言えるのかもしれません。

「ただ、技術的な問題もあるんですよ。」

 地球から金星、あるいは、水星に向かう宇宙船は太陽にも接近します。そして、太陽の強い引力に引かれて、宇宙船は必要以上に加速されてしまうのです。そのため、宇宙船が金星、あるいは水星の周回軌道に入るためには、まず、速度を落とさなければならないのです。

 もちろん、エンジンを逆噴射して減速することはできますが、その場合は燃料を消費してしまいます。探査機にはそれほど多くの燃料を積むことは出来ないので、燃料の消費を抑えながら正確に減速しなければならないのです。この制御が技術的に非常に難しいと言われています。

 鵜の木さんがそこまで説明し終わった時にカールさんが報告しました。

「水星の周回軌道に入った。コース、速度は予定通り。」

 2055年1月30日 午前10時22分
 (ノースポール艦内時間)

 鵜の木さんが得意げな顔で言いました。

「ノースポールにとっては簡単すぎますけどね。」

 今まで、宇宙飛行で困難と言われていた事柄のほとんどは、ノースポールの登場で解消されるんです。私たち人類は長い間夢見ていた本格的な宇宙進出を果たすのです。

 左舷側には水星が見えていました。太陽系の惑星では一番小さい水星ですが、こうして間近で見ると、やっぱり大きいです。

 今いる周回軌道から、肉眼でも、表面の様子はかなり詳しく見えます。灰色の砂や岩、そして大小様々な大きさのクレーターに覆われています。

「水星って月にそっくりなのね。」

 ノースポールの乗組員はプロジェクトへの参加前は宇宙と関係ない職業に就いていた人がほとんどなんです。大森さんもその一人で、シートにもたれながら窓の外の水星を珍しそうに観察しています。

 水星の直径は4879Kmで、太陽系の8個の惑星の中で一番小さいのです。具体的に比較すると、地球の直径は12756Kmですので、水星は地球の約38%ほどの大きさしかありません。また、木星の衛星ガニメデの直径は5262Kmですので、惑星である水星は、木星の衛星であるガニメデよりも小さいということになります。

「そんなに小さくても、水星は惑星なの?」

 大森さんが不思議そうな表情で尋ねました。

「はい。太陽のような恒星の周りを回る星が惑星で、その、惑星の周りを回る星が衛星なんです。大きさは関係ないんですね。」
「ふーん、そういうものなのね。」

 大森さん、シートに深く腰掛け直すと、通信コンソールの右手に置いてあるティーカップを取って一口飲みました。ダージリンティーの上品な香りが漂っています。

 ちなみに、恒星の周囲を回っている星でも、木星の質量の13倍以下の星が惑星で、それより大きい星は惑星ではなくて褐色矮星と呼ぶ、と言う考え方もあるようですが、ここでは単純に、恒星の周りを巡る星を惑星と呼ばせて頂きたいと思います。

「太陽がとっても大きく見えるような気がするんだけど、それだけ太陽に近いってことなのかしら?」

 これも、素朴に感じる疑問だと思います。

「えっと、水星の太陽からの距離は5791万Kmですね。太陽から地球までの距離が1.5億キロメートルですから・・・、これじゃわかりにくいですよね。」

 私、ブリッジのメインディスプレイに表示しました。

■太陽から水星の距離
 57,910,000Km
■太陽から地球の距離
149,597,870Km

「ふうん、一桁違うのね。確かに、だいぶ太陽に近いのね。3分の1くらいかしら。」
「そうですね、それよりはもう少し遠いですかね。」

 宇宙では何もかも数字が大きくなりすぎてわかりにくいですよね。

 そうそう。

 太陽系の中での距離の表し方として、太陽と地球の間の距離を基準とする方法もあります。もう少し詳しく言うと、太陽から地球までの距離を『1天文単位』と呼ぶことになっているのです。英語では『1au』と書きます。この表し方だと、太陽系の各惑星の太陽からの距離は以下のようになります。

■太陽からの距離(天文単位)
・水星   0.39
・金星   0.72
・地球   1
・火星   1.52
・木星   5.20
・土星   9.55
・天王星 19.21
・海王星 30.18

 この表によれば、確かに、水星は太陽に近いということがわかります。他には、火星よりも外側の惑星は距離が一気に離れることも分かります。

 なお、注意しないといけないのは、上の表は、あくまで、各惑星の太陽からの距離を表しているということです。惑星同士の距離は、この表からは分かりません。各惑星が公転軌道上のどこにいるかによって、惑星同士の距離は常に変化するのです。

 水星の話に戻ります。

 水星の公転周期、すなわち、水星の1年は、約87日です。自転周期、すなわち、水星の1日は約59日です。

「えっ、1日の長さって星によって変わるの?」
「そうなんです。」
「そんなに長くて、どうやって生活するの?」

 なんか、大森さん、呆れた表情です。

 いえ、別に、59日間の間ずっと起きてる必要はないと思います。ていうか、59日は、約2ヶ月ですから、そんな長い間、起きていることは出来ませんよね。死んでしまいます! もしも将来、水星に人が住むようになったら、1日が24時間の現地時間を決めるんでしょうね。それで、水星に住む人はみんなその時間に従って生活するんだと思います。

「そうよね。さすがに2ヶ月間は起きてられないわね。」

 ちなみに、水星の公転軌道の形と、公転周期、自転周期の関係で、水星の1日の中で太陽が止まって見えたり、逆方向に動いたりすることがあるようです。なんか、おもしろいですよね。要するに、普段は東から西に向かって動く太陽が、西から東に向かって動くことがあるというのです。うーん、おもしろい。

「それ、1回見てみたいわね。」

 大森さん、コンソールの右手に置いてあるティーカップをとると一口飲みました。

 なんか、水星を間近に見ながらティータイムなんて、とっても贅沢でいいですね。あ、でも、私も席の上にコーヒーを入れたマグカップを置いてるので、水星を観察しながらのコーヒータイムだったりします。うーん、地球にいる天文学者や天文ファンの方が聞いたら羨ましがるんだろうなあ。

「水星に空気はあるのかしら?」

 おっ、次なる素朴な疑問ですね。

 宇宙空間自体には空気はありませんから、それぞれの星に空気があるかどうかというのは、かなり重要なポイントなのだと思います。

「大気はないです。生物は住めないですね。」
「そうなの。」

 しかも、水星表面の温度は最も低いと、マイナス273℃、逆に高い時には427℃にもなります。

 凄い温度差ですね。

 太陽に近いので昼間の気温はとっても高くなって、反対に夜は日が当たらない上にとても長いですから冷えきってしまうんですね。

 ただし、ノースポールが20日ほど前に訪問した金星の表面の最高気温は500℃でしたから、水星は、数字の上では金星よりも気温が低いことになります。金星の方が水星よりも太陽から遠いのですから普通に考えると金星の方が気温が低くなりそうですが数字としては逆になっているのです。これは、金星の場合は厚い大気のせいで、温室効果が非常に強く働いているためなのです。まあ、金星に特有の事情ですね。

 川崎さんは探査計画書を読み直しながら尋ねました。

「鵜の木君、無人探査機の準備は?」
「完了しています。」

 金星と同じように、水星にもオービット・アイとエクス・ビークルを投入して、軌道上と地上の両面から長期にわたる探査を行うのです。

 オービット・アイは金星に投入されたのと全く同じタイプですね。周回軌道上で活動するので、投入される惑星による差は、それほど出ません。

 それに対して、エクス・ビークルは、惑星の表面で活動するので、投入される惑星表面の環境によって、装備にも差が出ます。金星に投入した機体は厳しい環境に耐えるための特殊な装甲パネルを装備していました。しかし、水星の表面は、真空の宇宙空間としてはごくありがちな環境です。金星に投入した機体に装備したような特殊装甲パネルを持たない通常タイプを投入します。装甲パネルが以外と重かったので、その分だけ、少し身軽になっています。

 この2種類の無人探査機の投入作業は問題なく完了しました。金星で1度経験してるし、水星は金星のように厚い雲もなくて条件的にはだいぶ楽でした。

「地球との接続も問題ないか?」
「はい。もう、NASAの管制センターとつながっています。」
「ならいいな。」

 川崎さん、そう言うと腕時計で時間を確認しました。

「うん、では各自休憩を取ってくれ。」
「了解です。」

 川崎さん、言い終わると立ち上がってブリッジから出ていきました。ブリッジの時計がチャイムで12時を知らせ始めました。

 宇宙亭はちょうどランチタイムで混んでます。これから食事する人、もう食べ終わった人が行き来しています。

 そんな中、あるテーブルで男性3人のグループが食事していました。うーん、実はこの3人、私が結構強引にノースポール・プロジェクトに誘ってしまったんですよね。その後、大丈夫なのでしょうか。

「どう、そっちは?」

 梁川君、梁川秋徳君です。味噌ラーメンの麺を啜りながら、向かいに座っている熊川輝実君に様子を聞いてるようです。

「うん、やること多くてさ、かなり大変だよ。でもまあ、充実はしてるかな。」

 熊川君はパスタを食べてます。えっと、カルボナーラですね。梁川君と同じで麺は大盛りのようです。

「僕の方も同じかな。結構レベル高いけど、追いつけないわけじゃないし。確かに、毎日やった感があっていいね。」

 熊川君が、梁川君の隣にいる黒川惠太君の方を向きました。

「クロちゃんの方はどう?」

 そうそう、黒川君は高校時代も『クロちゃん』て呼ばれてたんですよね。あとの2人もそれぞれ『クマちゃん』『やなちゃん』なんです。この3人不思議で、名字が3人とも〇川なんです。熊川君、梁川君、黒川君。もちろん、偶然ですが。

 おっ、黒川君はガッツリいってますね。チキン南蛮セットですか。

「オレはインフラ系だからねえ、毎日ケーブルとスイッチやルーター抱えてあちこち回ってるよ。」

 えっと、『スイッチ』と『ルーター』はコンピュータ同士をつなぐネットワークで使われる通信機器です。ちなみに、みなさんのご家庭でWi-Fiを使っているようでしたら、Wi-Fiの親機が置かれているのではないかと思います。薄い箱でアンテナが3本くらい生えている機械。あの親機は『Wi-Fiルータ』といって『ルータ』の仲間だったりします。

「ひとりなの?」
「いや、他のメンバー2人とやっていて、実際作業するのはその2人だね。オレはどちらかというと指示する担当。」
「おお。てことは上司じゃん。」
「まあ、形だけなんだけどね。」

 んー、3人それぞれ頑張ってるようですね。一応、話は聞いています。実は、3人とも私のいる技術部の所属なので、どこのチームで何をやってるかくらいは把握してるつもりです。熊川君は今はケータイに載せる予定のエネルギー分析アプリの開発の仕事をしています。梁川君は、ノースポールの基幹OSであるNORTH=CAPの通信モジュールのアップデートを担当しています。

「それにしても、」
「どうしたの?」
「なんか、不動さんにのせられて、ここに来ちゃった気もするけど、何かすごいよね。」

 むむむ、『のせられた』、ですか? ちょっと気になる発言ですね。

「何が?」
「いや、だって、ここ宇宙なんだよ。ほら。」

 熊川君が窓の外を指さしました。ノースポールは、現在、水星の周回軌道を回っています。窓の外には岩と砂とクレーターに覆われた水星が見えてます。

「そうだよね。でも、オフィスで仕事してる時は外は見ないから、ここが宇宙だってことも忘れるけど。まあ、僕のいるオフィスには窓がないんだけどね。」
「そう、そうなんだよね。でも、気が付くと、何かすごいなって感じ。」
「うんうん。」

 あっ、そこに、午前の仕事を終えた私が登場です、って、なんのこっちゃ。

「あれ? 3人揃って、久しぶりじゃない?」
「そうですね。」
「どうも。」

 私、1つ空いていた熊川君の隣の席に座っちゃいました。

「で、正直なところどうなのかな? 結構、無理矢理連れ込んじゃった気もしてるんだけど。」

 そうそう、さっきは『のせられた』とか言ってたし。気になるところですが、早速、梁川君が食いついてきました。

「いやいや、結構どころか、ほとんど強制連行みたいな感じもありましたけどね。」

 あちゃー、やっぱり、そう思いますよね。なんたって、荒唐無稽がキーワードのプロジェクトですから。でも、来てみたら、絶対納得してもらえると思うんですが。その辺りどうなのかな・・・。

「そうかー。やっぱり帰りたかったりするのかな?」
「いや、それはないですけどね。仕事は面白いし。」

 おっ、熊川君は、なんか、満足してるっぽいですね。

「梁川君と黒川君は?」
「僕も同じですね。前の会社よりはここの方がいいですね。仕事的にも。それに、思っていたより住み心地もいいし。」
「オレもかな。仕事は大変だけど、この、ノースポールをちゃんと動かさないといけないっていう目的がはっきりしてるんで、毎日頑張れてるかな。」

 確かに、目標が明らかですもんね。一般の企業よりも、モチベーションは上げやすいかもですね。

「そうなんだ。なら、大丈夫なのかな。でも、なんか困ってることとかあったら言ってね。相談のるから。」
「はい。」

 私、トレーで持ってきたハンバーガーを1口かじりました。パテが2枚でベーコンも挟んであります。結構ガッツリ系ですね。似たようなハンバーガーは街中のハンバーガーショップにもありますが、私の食べているのは宇宙亭スペシャル。パテのジューシー感と力強いソースの味は満足度抜群です。

 その満足感を味わってると、梁川君から質問です。

「それで、バンドの方はどうなんですか?」

 そうなんです。実は、この3人には、単に、ノースポール・プロジェクトで働くだけでなくて、もう一つ大きな仕事をして欲しいのです。

 ノースポールの艦内ウインドオーケストラのメンバーとして活躍して欲しいのです。

 私も高校時代は吹奏楽部でクラリネットを吹いてました。そして、熊川君、梁川君、黒川君の3人は、実は、私と同じ高校の吹奏楽部の一個下の後輩なんです。パートはサックスです。吹奏楽では、クラシックも演奏しますが、ジャズをはじめとするポップス系の曲もたくさん演奏します。そうなると、サックスはなんとしてもメンバーを揃えたいパートだったのです。そんなわけで、かなり、強引ではありましたが、同じ高校の1個下の後輩達をノースポール・プロジェクトにかなり無理矢理ではありますが、引き込んだのです。3人とも技術系の仕事をしていたので巻き込みやすかった、いえ、失礼、プロジェクトの中でも推薦しやすかったんです。

「そうそう、時々通路で見かけるよね。楽器のケース持ってる人。」
「オレ、このあいだ、チューバ背負ってる人見たぜ。女の人だった。」
「あ、その人、宇宙亭の厨房の人だよね?」
「へー、そうなんだ。」

 ノースポールの艦内というクローズドな環境ですから、そういう接触って自然に起きますよね。

「そうだよね。そろそろ、合奏したいでしょ?」
「ええ。」
「個人練習続くと、結構寂しいですよね。」

 私、コーヒーを2口飲むと、カップを置いて話を続けました。

「うん、やっとね、メンバーもだいたい揃ったから、そろそろ顔合わせしようと思ってるんだ。」
「お、ついにですね。」

 梁川君、食いつきいいですねー。

「そう、ついにね。」
「よし、がんばって練習しとかないと。」
「えっと、たぶん、来週のどこかでやるから、よろしくね。スケジュールに入れとくから。」
「もちろんです。」

 ノースポールの乗組員で編成したウインドオーケストラ。いよいよ、始動するんです。まだみんなには伝えてないんですが、名前は、『コスモ・ブレス』とかどうかなって思ってます。『宇宙の息吹』ですね。

 ウインドオーケストラのその後も、また、お伝えできればと思います。

(つづく)
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■更新履歴
2023/5/7 登録
2023/6/8 タイトル修正