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■宇宙巡光艦ノースポール

第6章.太陽
補足-2 ノースポールの人々

 ノースポールは、水星の周回軌道上にいました。太陽での事故で通常の収容が不可能となったシーライオンを、ライラさんの懸命の操艦で辛うじて収容したあと、そのまま水星の周回軌道に入り、やっと落ちついたところでした。

 そのノースポールの艦長室で、川崎さんは日高基地に送る資料を推敲していました。時刻は23時を回っていました。

 突然、「ポーン」という電子音が鳴って、作業している画面の右下に付箋のようなデザインのポップアップメッセージが表示されました。

「ん? 来たか。」

 画面にポップアップが表示されました。日高基地の布田さんからのメールのようです。実は、今日の午前中に、シーライオンが遭難した原因のエネルギー分配マトリクスについて、布田さん宛に小言めいたリクエストを送っていたのです。

 川崎さん、早速、布田さんのメールを開きました。

『川崎へ。シーライオンと乗組員が無事で本当に良かった。内容は十分理解したよ。確かに、我々管理職の職務怠慢が原因だな。基地の在庫を確認してもらったところ、マトリクスの在庫は4台あることがわかった。これを、間もなく発進するアントノフに積み込むように手配した。また、百草君からは、マトリクスの改良がもう少しで目処が立ちそうだという報告ももらった。これが上手くいけば、エネルギー分配マトリクスの製造コストを3割ほど下げることが出来て、さらに、冗長化構成の回路にも対応が可能になるはずだ。こちらも、進捗あり次第、連絡するよ。』

 川崎さんは、目を閉じて考えました。エネルギー分配マトリクスは、ノースポールの在庫が3台あって、そのうち2台をシーライオンに積み込んでいました。そのうち1台は故障したマトリクスの交換機として既に取付済で、もう1台がシーライオンの予備のマトリクスとして、シーライオンの艦内に保管されることになりました。

 ノースポールに残ったマトリクスは1台。これが、ノースポール用の予備のマトリクスです。

「数的には、ぎりぎりだな。」

 しかし、日高基地の在庫を送ってもらえるとのことなので、少しは余裕が出来そうです。メールには4台送ってもらえると書かれてますから、ノースポールとシーライオンで2台ずつ予備機として保管することになるのでしょうか。もともとある予備機と合わせると、3台ずつ、予備機を持つことになります。

「これで、少しは安心できるか。」

 さらに、百草さんが取り組んでくれている改良にも期待が掛かります。コストの削減ももちろんですが、冗長化構成の回路を組むことが出来れば、万が一の際の安全性が大幅に改善できます。朗報を期待したいです。

 ちなみに、百草さんは、研究室では鵜の木さんと同学年の先輩です。

 川崎さんは、布田さんのメールの続きを読みました。

『ところで、千葉物理科学大学の本能秀輝君という教授からメールが届くと思うので、読んでもらえないだろうか。ノースポールの乗組員の秋川彩葉君について話がしたいそうなのだ。よろしく頼む。』

 千葉物理科学大学。名前は知っています。東京総合科学大学と同じで、多くの優秀な卒業生を輩出している大学です。秋川さんは私も知っていますが、この本能教授、秋川さんと知り合いの方なのでしょうか。

「秋川君・・・、」

 もちろん、川崎さんも名前は知っていました。『彩葉』は『いろは』と読むんです。『いろは』ってシンプルな音ですが名前として聞くと、とっても和風な、大和美人的な響きがありますよね。ちなみに、男の子にも『彩葉』という名前の子がいるそうなのです。男の子で『いろは』って、今度はちょっとアイドル的な響きのような気もします。しかも、かなりしっかり者のアイドルのイメージではないかと。

「確か、宇宙亭のスタッフだったと思うが・・・、」

 川崎さんは乗組員データベースを開きました。

「うん、宇宙亭のホールスタッフだな。一体どんな用事なのだろうか。」

 翌朝。

 再び、新しい朝が始まりました。

「おはよう。」
「あっ、おはようございます。」

 川崎さんはブリッジに来ると、まっすぐ、私の座っている技術コンソールの前に来ました。

「今日は不動君が朝番か。」
「あ、はい。大月さんと矢川君と一緒です。」
「うん、よろしく頼むよ。」

 大月さんというと、コスモ・ブレスではティンパニーを担当していて、そしてパーカッションのパートリーダー。曲が一番盛り上がる、ここっ! というところで『ドドドンッ!』と鳴り響くティンパニーが彼女です。そして、技術部メンバーとして優秀なプログラマでもあるのです。

 矢川君も大月さんと同じく優秀なプログラマですが、今日はレーダーを担当してもらうんです。

 川崎さんが私に尋ねました。

「ところで、宇宙亭の秋川君を知ってるか?」
「あ、知ってますよ。時々、いっしょにお茶を飲んだりしますね。」

 お茶のお供は、最近は『プリン』です。本当にシンプルなプリンですが、とにかく美味しいんです。甘さは控えめで、さらっと食べられるのですが、満足感も十分あるんです。

 おっと。大月さんも、秋川さんと仲がいいんです。

「私も、結構話すかも。っていうか、一方的に聞いてもらってるだけっていう感じもしてて、ちょっと反省してるんですけれど。」

 大月さんも仲が良いようですね。というか、ノースポールの乗組員のみんなは、本当に仲がいいんです。全員で250人ほどが乗り組んでいるのですが、他の人から浮いてしまったり、コミュニケーションの輪に入れないという人も、いないと思うのです。もちろん、乗組員を選ぶ時には、その辺りも考えて、どちらかというと社交的な方を選んではいます。それから、川崎さんからも頼まれて、カウンセラーの蓮沼さんとも協力して、コミュニケーション的に問題が出ている乗組員がいないかどうか、情報を仕入れたりして気を配るようにしているのです。宇宙船という閉鎖された空間で孤立してしまうと辛いですからね。

「そういえば、秋川さんて、最近、凄い勉強してるみたいですね。」

 私が川崎さんに伝えました。

「勉強してる?」

 実はこの間、秋川さんと話す機会があったのです。川崎さんも、興味ありげです。

「えーと、この間、ライブラリで会ったんですけれど、突然、偏微分のマクローリンの定理について質問されたんです。」
「ほー。」
「突然聞かれたので、ちょっとびっくりしてしまったんですが。」

 それを聞いた大月さんが教えてくれました。

「あの、彼女、通信制の大学講座を受けてるんですよ。彼女、確か、家の都合で大学に行けなかったみたいなんですね。でも、どうしても行きたかったらしくて。」

 家の都合でというのが辛いところですね。

 あとで聞いたのですが、秋川さんの家は会社を経営しているのだそうです。それで、秋川さんが高校3年生の頃に、一時的に資金繰りに行き詰まって、倒産してしまう直前まで経営状況が悪化してしまったんだそうです。それで、彩葉さんの進学資金を出してあげることもできなかってしまって、彩葉さんは、やむなく、札幌のホテルに就職。ホテル内のレストランに配属されたのだそうです。もっとも、そのレストランでの評価が高かったので、ノースポール・プロジェクトからオファーを出すことにもつながったんです。

「通信講座はどこの大学なの?」

 私は、ちょっと興味もあったので大月さんに聞いてみました。

「確か、千葉物理科学大学ですね。うまくいけば、って言うか、彼女なら大丈夫と思いますけど、来月、卒業研究のレポート提出の締切だったと思いますよ。」

 それでは、今はほんとに、レポート作成も佳境なのだと思います。

「なるぼど、そういうことか。」

 川崎さん、ちょっと納得したようです。私、川崎さんにお願いしてみました。

「あのー、もちろん、彩葉さんの希望もあると思うんですけど、技術部に来てもらったらどうかなって思うんですが。」
「あっ、そうですよ。きっと彼女、才能ありますよ。」

 大月さんも賛成のようです。川崎さん、頷いてはいます。でも。

「うん、まあ、そうだな。しかし、彼女を異動させると、宇宙亭も困るだろうしな。」
「そうですよねー。」

 そうなのです。ノースポールは宇宙船で、地球から遠く離れた水星の周回軌道にいるのです。なので、艦内で必要な業務は、現在いる250人の乗組員で、すべてこなさなければならないのです。1人でも異動させるのは、とても大変なのです。

 その日の午後。

「ん?」

 川崎さんは、メールの着信に気がつきました。

「千葉物理科学大学の本能秀輝、連絡のあった教授だな。」

 早速メールを開きました。

『宇宙巡光艦ノースポール艦長、川崎様。突然のメールで失礼いたします。千葉物理科学大学で教授をさせて頂いている本能秀輝といいます。実は私は通常の学部の講義の他に、当校の通信講座も担当しています。その、私の担当している通信講座に、非常に熱心に学習していて、レポートやテストの結果も非常に良い学生がいるのです。もう間もなく、卒業論文の提出期限で、その内容の指導も行っていますが、優秀な成績で卒業できるものと予想しています。実は先日、その学生に、『あなたは成績も優秀だし、技術的なセンスもあるようだ。もし良ければ、卒業後も大学に残って、さらに研究の道に進まないですか?』と勧誘してみたのです。以下が、その学生からの返信です。『ありがとうございます。ですが私は今、宇宙船で宇宙に出ているのです。宇宙船内での担当は艦内レストランのホール担当ですが、宇宙飛行をしているというそれだけで、とても刺激的で、レストランの窓から星々を眺めていると、言葉では言い表せない充足感に満たされるのです。先生に言わせるなら、もったいない、のかもしれませんが、私は今の生活に満足しています。もちろん、宇宙船の技術部で働くことが出来れば、さらに、満ち足りた毎日になると思うのですが、技術部の方の話を聞いていると、みんな優秀な方ばかりで、今から私が入っても、という気もします。肝心なところで弱気になっているのかも知れませんが、今の私の目標である、絶対に大学を卒業する、と言う目標に揺るぎはありません。これまでの先生のご指導を無駄にすることがないように、全身全霊をかけて、卒業研究を完成させます。残り少ない、と思われる私の学生生活ですが、引き続き、ご指導ご鞭撻を頂ければと思います。秋川彩葉』 まずは、宇宙にいるという事実が何のことか分からずに、ご家族の方や、元の職場の方に事情を伺ったところ、あの、ノースポール・プロジェクトに参加されているとのことで驚いている次第です。確かに、宇宙で生活している、となれば、それだけでも充足感を得られる毎日なのだろうなと思い、正直、羨ましく感じています。そのようなわけで、ぜひ秋川君には、今後もその充足感に満ちた生活を送ってほしいと切望しております。ぜひとも、秋川君の指導を今後ともお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。 千葉物理科学大学 本能秀輝』

 メールを読み終わった川崎さん、そのまま、シートに身を預けるように寄り掛かると、目を閉じて考え込みました。

 秋川さん、今の宇宙亭のホール担当に満足していながらも、やはり、技術系の仕事への心残りもあるようですね。本人的には、誘いがあれば来てもらえそうな気もしますが、そのためには、川崎さんと、宇宙亭スタッフの承認が必要なのです。・・・、そういえば、宇宙亭は統括部の配下なんですよね。ということは、統括部長は小杉さん。小杉さんの承認を受けることになります。小杉さんなら事情は理解してくれると思いますが、宇宙亭も人手不足には変わりないので、承認を出すかどうか苦しむところだと思います。川崎さんもそんなことを考えながら悩んでいるのだと思います。

 だいぶ長く考え込んでいましたが、川崎さん、目を開くとメールを書き始めました。

『千葉物理科学大学 本能秀輝様 メールでのご連絡、ありがとうございます。宇宙巡光艦ノースポール艦長の川崎重信です。秋川君についてのお話し、理解いたしました。個人的には、先生のお話と本人の希望を確認して直ちに対応を行いたいところですし、私には、その権限もあります。ただ、ここは宇宙船という閉鎖環境であることは、ご理解頂きたいと思います。地球上の企業や商業施設のような方法では人材を確保したり、異動を行うことが出来ないのです。とはいえ、知識や能力を兼ね備えた優秀な人材を眠らせておくことが大きな損失であることは、ここ、宇宙空間においても同じです。人材の補充についても、可能性が全くないわけではありません。多少の時間は要することと思いますが、本人の希望も確認した上で、可能な限りその希望に沿うように善処させて頂きたいと思います。この度はご連絡頂きまして、ありがとうございました。宇宙巡光艦ノースポール艦長 川崎重信』

 おお、かなり含みのある言い回しですが、秋川さんが希望さえすれば、ほぼ間違いなく、異動は叶いそうですね。

 えっと、本物の私、何のこっちゃ!も知らない情報をお伝えしますと、ノースポールの次なる訪問地である火星で、地球からやって来る新型の宇宙巡光輸送艦アントノフとランデブーするのです。そして、食料などの物資の補給を受けるのですが、実は、地球から補充要員として新しい乗組員が何人か来るのです。もちろん、既に配属は決まっていると思うのですが、そこは、川崎さんのマジックを期待できるのかも知れません。

 というわけで、乞うご期待です。

 さて、さらに翌日。川崎さんと私は打合せに出席していました。

「ところで、太陽の観測はどうしたものかな。」

 太陽の観測はシーライオンの遭難事件があったため、途中で中断されていて、目標としていた観測項目の一部が消化できていないのです。もちろん、絶対に消化しなければならないわけではないのですが、それもまた、少し心残りです。

「そうなんですね。シーライオンも問題ないですから観測は可能です。でも、観測を行うとなると太陽の近くまで戻らないといけないんですね。問題はそれだけだと思います。」

 私の報告を聞くと、川崎さん、ライラさんの代理で出席しているカールさんに尋ねました。

「そうだな。どうかな、カール君。」

 カールさん、年長だからという理由で真名さんとレオン君から押しつけられたみたいです。まあ、それもまた事実で、カールさんは、それだけ豊富な経験を持っているのです。

「現在いる水星から太陽まで移動するなら、私や真名、レオンでも出来ます。まあ、ライラに伝えておくかどうか、という話だけだと思いますけどね。」
「うん、そうだな。ライラは休養中だが、航海部の部長だからな。伝えておいた方がいいだろう。」
「じゃあ、僕から聞いてみましょうか?」

 おっ、小杉さん、いいところで。それが一番いいかもしれないですね。小杉さん、早速、ケータイでライラさんにつなぎました。

「あ、もしもし、ライラ? 今話せる? うん、ちょっと仕事絡みなんだけどさ。」

 ケータイから漏れてライラさんの声が聞こえますが、もうほとんど回復しているようですね。元気な声です。

「実は、シーライオンの事故があった関係で、太陽の観測が中断していて、消化できてない観測項目があるんだ。」

 当然なのですが、小杉さん、何か嬉しそうですね。小杉さん、一応仕事中ですからね。仕・事・中。

「それでさ、カールさん達に頼んで、ノースポールを太陽の近くまで移動させたいんだけど良いかな? ・・・え? そ、それは、ちょっとダメかもしれないよ。うん。来週の火曜日の診察で問題なければ、水曜日から復帰できるんだよね? それまでは無理しない方がいいよ。」

 なんか、ライラさん、『私がやろうか?』みたいに言っているようですね。確かに、もうすぐ復帰できるのだから、ここは我慢してもらった方が良いのではないかと思います。

「うん。業務終わったら連絡するから。うん。昼は待ち合わせで良いんだよね?」

 ありゃりゃ、小杉さん、そんな話まで。みんなに筒抜けですよーー。

「うん、うん、それじゃ。」

 やっと、会話が終わったようです。

「すみません、長電話しちゃいました。」
「で、どうだったんですか?」
「別に構わないそうです。ていうか、暇だからライラが自分でやっても良いって言ってましたけど。」
「気持ちは分かるが、それはダメだな。」

 川崎さんがすかさず指摘しました。まあ、そうですよね。

「もちろんです。もう少しだけ我慢するように言っておきました。」

 私、ちょっと、つっこんでみました。

「交換条件が、ランチとディナーなんですか?」
「えっと、ま、まあ、それはですね・・・」

 はははっ、小杉さん、困ってます、困ってます、困ってます。

「まあ、プライベートまで入り込む気はないからな。自由にやってくれて構わないよ。」

 川崎さんが助け船を出しました。

「じゃあ、あとは、カールさん、レオンさん、真名さんで、誰が操縦するか決めてもらって、そしたら、午後一くらいで移動するということで良いですか?」
「うん。それでやってくれ。あとは任せるよ。」

 というわけで、今日の午後、太陽の近くまで戻り次第、観測再開となりました。

 さて、こうして宇宙で活動していると、ついつい忘れがちですが、私達を地球からサポートしてくれている方も大勢いるのです。

「あの、どうかされましたか、総理?」

 総理官邸の車寄せまで出て来た古淵総理は、冬晴れの空で暖かく輝く太陽を見上げました。

「うん。あそこまで人が行ったのかと思ってな。」
「そうですね。すごいことですよね。シーライオンも無事で本当に良かったですね。」

 官房長官の喜多見さんも笑顔です。本当に良かったです。繰り返しになりますが、もしも、バリアシステムが保たなかったら、シーライオンは、小杉さん達、5人の乗組員もろとも、溶けて消滅してしまっていたのです。

「うん。報告を見た時は飛び上がりそうなほどびっくりしたがな。」

 はははっ、まさか、本当に飛び上がってしまったとか。ピョコーーンとか言って。

 古淵さんと喜多見さんを乗せた車は総理官邸を出て走り出しました。

「総理はご存じでしたか?」
「何をだね?」

 喜多見さんの突然の問いかけに、古淵さん、僅かに驚きの表情を見せました。

「太陽は、ねじれながら自転しているって。」
「ねじれる? どういうことなんだね?」

 なるほど。その話題ですね。みなさんは、ご存じですよね。古淵さんはご存じなかったようで、何か不思議そうな表情です。

「地球と同じように、太陽も自転してるんです。もちろん、1回自転すれば、太陽の一日になるんですが、この一日の長さが、太陽表面の緯度によって異なるそうなんです。」

 古淵さん、目がまん丸です。本当にご存じなかったようですねーーー。

「それは、地球で言うと、ロシアと日本とインドネシアで一日の長さが違うということなのか?」
「はい。具体的には、赤道に近い場所ほど一日が短くて、北極、南極に近づくほど一日が長いそうなんです。」

 喜多見さんは、なんだかドヤ顔です。何しろ古淵さん相手に勝ち点1をゲットできそうなのです。

「だが、そんなことが起きたら、陸地がどんどん裂けていくことにならないかね?」

 古淵さん、さすが、良い質問です。

「だから、地球のように岩石で出来ている固い惑星では、この現象は起きないそうです。太陽は地球と違って気体の塊で、地球のような固い地面はないですから、自転の速度が違うという現象が起きるみたいなんです。」
「気体の塊か。なるほど。それならば、ねじれても平気そうだな。」

 いえいえ、本当に平気なのかどうかは分かりませんが。でも、古淵さん、ひとまず、納得してもらえたようです。

 場所は変わって、防衛省の防衛大臣執務室。ここの主はもちろん、稲田さんです。でも、今日はお客様が見えているようですね。

「ところでさー、堀之内さんて子供の頃はどんなだったの?」
「私ですか? はははっ、お聞かせするほどのものではないですよ。」
「あっ、そう言われると余計に聞きたくなるなー。」

 なんと、防衛大臣の部屋に、国会では野党にあたる日本いっしょの会党首の堀之内さんが来ているのでした。

「はははっ、まあ、いわゆる、ヤンチャしてたんで。」
「おお。高校の時?」
「いや、中学だね。なんか、気が付いたら仲間3人といっしょに学校さぼってゲーセンに入り浸ってた感じですね。」

 ありゃりゃ、いわゆる、不良さんですね。私の行ってた中学と高校にはそのタイプの人はいなかったので、本物は見たことがないのです。うーん、地域的に平和だったのかなあ。それとも、私の通ってた学校って、お坊ちゃんとお嬢ちゃんばかりだったのかなあ・・・って、私もお嬢ちゃん???

「なるほど。それで?」
「まあ、中学はほとんど行ってなかったんだけど、担任が内申書を適当に書き換えてくれたらしくて、一応、高校には推薦で入れたんですよ。」
「おお。」

 なるほど。そんなことしていいかどうかはわかりませんが、とりあえず機会は与えられたわけですね。若い人を育てるという意味では、必要な配慮だったのかも知れません。

「で、高校に通い始めたんだけど、やる気がないのは相変わらずでね、」

 それはそうですねー。人はそんなに簡単には変われないのです。

「そう、それで、高校で、最初の数学の時間だったんだけれど、」
「うん、それで?」

 稲田さんも興味津々で、話の続きを促しました。

「数学の教師が教室に来て、教壇の上から教室の中を見回したんだな。で、その時の私は、全然やる気なかったから、椅子に寄り掛かってふんぞり返ってたんだよね。そしたら、その私を見つけたその教師が私の所まで来ると、何も言わずに、いきなり、思いっきりぶん殴ったのよ。」

 えーっ、そんなこと、やっていいんですか? 今時だったら、速攻で教育委員会とか、もしかしたら、警察にも通報されて、即、懲戒免職ですよね。で、そのあとどうなったのでしょうか。

「で、その教師、ものすごい眼で私を睨み付けて吐き捨てるように言ったんだよ。」
「何て言ったの?」

 私も聞きたいです。

「『俺の授業でその態度は許さない。何度でもぶん殴ってやる。悔しかったら俺よりも数学が出来るようになるんだな。』ってね。」
「おーーっ、気合入りまくりだねー、その先生。今時珍しいよねー。そういう根性の入った先生って。」

 いやいや、今時ではないですけどね。堀之内さんが高校生の時ですから、たぶん、何十年か前なのでしょう。

「そうなのよ。だって、私が食らった一発も、相当強烈でさ。いや、私だって、当時は毎日のようにケンカしてたから、私も相手を殴って、それで、相手も私を殴って、それでも私は負け知らずだったから自信は相当あったんだけど、その教師のパンチは、それまでに経験したこともない強烈なパンチだったわけだよ。生まれて初めて、恐怖を感じたんだな、そのパンチに。実際に、顔がパンパンに腫れ上がってさ、完全に痛みが引くのに1ヶ月くらいかかったかなあ。」

 それはすごい。ほんと、よくPTAとかで問題にならなかったものです。

「でも、それ、相っ当悔しいよね。仕返しとかしなかったの?」

 そうそう。そんな話し、聞きますよね。もっとも、私が知ってるのはマンガとか小説の世界だけですけど。

「いやいや、それも考えられないほどの悔しさでさ。」
「そうかあ。」
「で、どうすれば奴に勝てるか、いろいろ考えた訳よ。」
「で、どうしたの?」

 それ、興味あります。一体どんな結末を迎えたのでしょうか。

「いや、悔しかったんだけどさ、あのパンチには敵わないと思ったわけ。とにかく、凄いパンチだった。あとで聞いたんだけど、そいつ、学生時代はボクシング部にいて、全国大会で優勝したこともあるんだ。」

 うぉー、そんな人がフルパワーで繰り出したパンチを受けたのでしょうか? 一発で頭蓋骨が砕け散ってしまいそうな気もします。凄すぎますね。

「で、頭の中に、その、奴の捨てゼリフが、木霊のように響いてたんだよ。」
「捨てゼリフって?」
「『悔しかったら俺よりも数学が出来るようになるんだな。』だよ。」

 それを聞いた稲田さん、目がまん丸になりました。もちろん、私もです。

「まさか、それをやったの?」
「やったよ。」

 えー、まさかの展開。

「ていうか、その時の私には、何としても奴に勝ちたいという気持ちしかなかったんだな。とにかく、数学を勉強し始めた。」

 ひゃーー、一体どれだけ勉強したのでしょうか。ていうか、中学時代は全く勉強していなかったんですよね? 小学校はどうだったんだろう。仮に小学校の算数を完璧に覚えていたとしても、中学時代の3年分の数学を遡らなければならないわけですよねー。よくやったなーー。それで、その後、どうなったのでしょうか。

「最後、3年生の2月に東京のある大学の物理数学科に受かったんだ。」
「やったじゃん!!!」

 それはすごいです! やりましたね!!

「ああ。まあ、そのおかげで、今の私があるんだけどね。」

 なんか、もう、驚きしかありません。小説やドラマのようなことが本当にあるんですね。

「それで、高校の卒業式の日だよ。式が終わって、私達3年は教室に戻ったんだな。そこへ、その数学教師が現れて、私の席まで来てさ、言ったんだよ。」
「何て言ったの?」

 ど、ど、ど、どんなことを言ったんでしょうか。

「『もう、俺の授業で、ふんぞり返っててもいいぞ。』ってさ。」

 きゃーー、そんなセリフを言う先生、いるんですね。ドラマの中だけの世界かと思ってました。

「てことは、堀之内さん、勝ったってこと?」
「まあ、そうなるかな。もちろん、もう卒業式の後だったからさ、そいつの授業を受けることはなかったんだけどね。」
「うーん。すごいね、その先生。」

 いやー、聞けば聞くほどすごいですね。

「ああ。その、最後のことばを聞いたらさ、もう、涙が溢れ出てきて止まらなくてさあ。しばらく、泣いてたよ。」

 そう言う堀之内さん、目がうるうるとしていました。きっと、その時のことを思い出していたのでしょう。

「それで、」
「ん?」

 堀之内さん、なんか、急にニヤニヤしながら稲田さんに尋ねました。

「あんたはどうだったの、稲田さん?」

 そういえば、稲田さんもヤンチャしてそうな口ぶりだったですねー。私も聞きたいですーー。

「僕? そうねえ、話すと長くなるんだけど、さ。」
「おお、聞くよ聞くよ。」

 堀之内さん、座ってる椅子を前に出しました。

 と、そこへ、ドアを勢いよく開けて誰か入ってきました。

「あっ、大臣、まだここにいたんですか? もうみなさん、お待ちですよ。急いで下さい。」

 防衛政務官の鴨井さんです。走ってきたのでしょうか。息を切らしてます。

「えっ、あっ、今行くよ。」

 稲田さん、鴨井さんに引っ張られるようにして連れて行かれてしまいました。あっ、稲田さん、部屋の入口から顔だけ出して叫ぶように言いました。

「ごめんね、僕の話はまた今度。」

 そこへ、鴨井さんが強くひと言。

「大臣、いいから、早くして!」

 はははっ、鴨井さん、最近なんだかパワーアップしたようですね。

 いや、でも、稲田さんの話は、とっても興味あるので、いずれ、必ずお伝えしたいと思います。

それでは、また、お会いしましょう。
みなさまと、星の海で。

2023/10/28
はとばみなと

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■更新履歴
2023/10/28 登録
2023/10/29 誤字修正 「自信は相当あったんだけど」