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■宇宙巡光艦ノースポール 第7章.火星 第1節.光の道で 「おはようございます。」 ノースポールのブリッジに明るい声が響きました。ライラさんです。シーライオンの消滅事件の後、しばらく休養していたのですが、今日からブリッジ勤務に復帰したんです。 私も負けないように元気よく挨拶しました。 「おはようございまーす。もう、すっかり元気そうですね。」 「うん、だいぶ休ませてもらっちゃったから。」 ライラさん、そう答えると、肩にかけていたトートバッグを操縦席に置きました。 「ライラ、おかえり。やっぱり、ブリッジにはライラがいないとな。」 夜番のレオンさんと交代したばかりの真名さんです。操縦席の横で、右手をシートにのせて立っています。 「ありがとう。今日は真名が朝番なのかしら?」 「さすが、航海部長、すべてお見通しみたいだ。」 「今日は午前中に水星から火星まで移動する予定よね。しっかり頼むわよ。」 「もちろんさ。」 さすが真名さん。ライラさんにも勝る強気な性格の持ち主です。でも、今日は何となく、トーンが低いような気もします。ライラさんに気をつかっているのでしょうか。だいぶ殊勝な面持ちです。先日のシーライオンの回収の際の神懸かり的な操艦を目の当たりにして、ライラさんの凄さに改めて驚いているのでしょう。 「ふふふ。楽しみね。じゃあ、私はこっちの席からお手並み拝見させてもらおうかしら。」 ライラさん、そう言うと、先ほど操縦席に置いたバッグを取ると、右隣にある操縦補助席に置き直しました。 「うーん、プレッシャーだ。でも、頑張るよ。」 「そうね。期待してるわ。」 真名さん、早速、操縦席に座ると、出発の準備を始めました。ライラさんは操縦補助席に座るとコンソールを起動しました。 「どうだ、疲れは取れたのか?」 川崎さんが、ライラさんの座った席の横に立っていました。 「はい、十分に休ませてもらったので、もう大丈夫です。」 ライラさんの元気そうな顔を見て、川崎さんも安心したようです。 「うん、良かった。またこれからも、ノースポールの操縦を頼むよ。」 「はい。」 川崎さん、席に戻ろうと振り向きかけましたが、再びライラさんの方を向いて、ひと言付け加えました。 「ただし、無理はするな。」 「はい。」 ライラさんも、川崎さんの気持ちを理解したようです。もっとも、この前のシーライオンの事故の原因は、ノースポール・プロジェクト側にあったんですけれどね。 「ライラ、」 真名さんの張りのある声です。 「どうしたの?」 「発進準備完了。いつでも出発できるよ。」 「了解。ありがとう。」 ライラさん、席に戻った川崎さんに報告しようとしました。 「艦長、」 「大丈夫だ、聞こえたよ。」 「はい。」 川崎さん、小杉さんに聞きました。 「他の部署はどうだ?」 「はい、もう、準備完了しています。いつでも出られます。」 「そうか。ありがとう。」 川崎さん、その場に立ち上がりました。 「よし、では行こうか。真名君、」 「はい、」 「水星の周回軌道を離脱する。ノースポール発進。」 川崎さんの凜とした声が響きました。 「了解。ノースポール、発進します。」 真名さんは右足を軽く踏み込みました。ノースポールはそれに応えるように、ぐんっ、という感じで動き始めました。 時に、西暦2055年3月12日、 午前10時10分のことです。 「さよなら、水星さん。また、会いましょう。」 バーラウンジでは、愛甲さんが、小さくなりながら、後ろへと去って行く水星を見つめていました。メッセンジャー探査機が撮影した、お気に入りの水星の写真の入ったフォトフレームを胸に抱きしめています。 「ノースポール、加速正常。現在、光速の80%、90%、100%、」 全く安定した加速です。ノースポールは、何の不安も感じさせることなく、光速に達しました。そして、 「光速の120%に到達。巡航航行に移ります。」 私達は光の壁を越えた世界を航行していました。光の全く見えない闇の世界です。ただし、それは、人間の目で見た光景です。人間の眼は光よりも速い物体や物質、エネルギーを見ることが出来ないのです。でも、私の見ているコンソールの画面では、光よりも速いスピードで運動する物質が、ノースポールの周囲で渦を巻いて包み込むようにして、ノースポールと一緒に運動している様子が表示されています。 光よりも速いスピードで運動する物質。 もちろん、ビーナスメタルから発しているVMエネルギーもそのひとつです。ここでの詳しい説明は割愛しますが、実は、それ以外にも、光速を越える速度で運動する物質は数多く存在するのです。ノースポールは、そうした物質の作り出す回廊の中を航行しているのです。まさに、超光速の回廊です。 ノースポールは、水星を出発すると、太陽の周りを反時計回りで進みながら、徐々に外側の軌道へと移っていきました。実は、ノースポールの性能をもってすれば、水星から火星まで直線的に航行することも可能なのです。ですが、太陽系の中の惑星や衛星、そして、太陽自身も、反時計回りの運動が基本なのです。 例えば、私達の住む地球ですが、北極側の上空から見ると、反時計回りに自転しているのです。ですから、東に位置する地域ほど、朝が訪れるのが早いのです。昔、日本は『日出ずる国』と呼ばれていたことがあるそうですが、欧米や中国などのアジアの国々から見ても日本は東の端に位置していて、つまり、世界の多くの国々の中で、最も早く夜明けを迎えることから、『日出ずる国』と呼ばれたのではないかと思うのです。 まあ、日付変更線が太平洋の中央辺りに引かれているのも、幸いしているかと。もし仮に、日付変更線が日本海に引かれていたりしたら、おそらく日本は、夜明けを迎えるのが世界で1番遅い国になっていたことでしょう。 世の中、何が幸いするかわかりませんね。 さて、ノースポール。もう間もなく、あと7分ほどで火星です。 「あと少しよ。気を抜かないでね。」 ライラさんが声を掛けました。 「うん、わかってる。」 真名さん、操縦桿を握る手を僅かに緩めると、再び握り直しました。 そんな真名さんの操縦の賜物で、ノースポールの航行は順調でした。艦内のシステムもすべて正常。ちょっとボーッとしていると、自分がいま水星から火星に向かっていることにさえ気がつかないかもしれません。 しかし、トラブルは、そんな時にこそ起きるのです。 突然、私の見ている画面にアラートメッセージが表示されました。そして、同時にアラート音も鳴り始めました。 「どうした?」 川崎さんが鋭く尋ねました。私は素早く端末を操作してアラートの内容を確認しました。 「接近警報です。前方に障害物。」 ライラさんが間髪おかずに指示しました。 「真名、減速して。」 「了解。」 実は、超光速航行中は、レーダーを含むすべてのセンサーは大幅に性能が低下するのです。レーダーの場合は、何かが接近している、と言う程度の情報しか分からなくなってしまいます。障害物の大きさや、何なのかは、全く分からないのです。 「減速中、現在光速の70%・・・、50%・・・、30%・・・、10%。」 「レーダーの感度回復。障害物まで距離80万Km。」 レーダー・センサー・コンソールに座る鶴見さんが報告しました。 「真名、速度20で接近して。」 「了解。速度20。」 「目標を視認。前方監視カメラで最大望遠です。」 鵜の木さんがブリッジのメイン・ディスプレイに、前方の障害物の映像を表示しました。 「何? これ・・・。」 小杉さんが小さく叫ぶ声が聞こえました。 それは、残骸でした。間違いなく、宇宙船の残骸です。大きさは、ノースポールほどでしょうか。大破して原形を留めないほどにバラバラに砕けています。 「一体何があったんだろう。」 「何かの事故なんですかねー。」 そう言っている間にも、ノースポールは、その残骸のごく近くに到着しました。 「ほんと、こなごなだ。まさか、戦闘・・・」 小杉さん、小さな声で言いました。確かに、これだけ粉々になるというのは、普通の事故では考えにくいように思います。 「鵜の木君、」 「はい。」 川崎さん、何か指示を出すようです。 「生存者の捜索を行おう。」 「はい。ワークベンチを出そうと思います。」 鵜の木さんも既に準備を進めていたようです。 「うん、そうしてくれ。」 川崎さん、前寄りに視線を移すと、今度は、小杉さんを呼びました。 「統括部からも人を出してくれ。」 「了解です。」 ワークベンチというのは、艦外での作業の際に使用する台船です。甲板は平坦で、補修用の素材を積んで運んだり、作業の際の足場として使ったりすることを想定しています。また、小型のVMリアクタを搭載しているので自航も可能です。大きさは、幅8m、全長が15m。甲板の前方側の端に1段低くなった操縦席があります。 なお、ワークベンチには、この操縦席を含めて、与圧可能な船室はありません。ですので、搭乗する際には宇宙服の着用が必須となります。 「小杉、」 「はい。」 「シーライオンも出そう。残骸の調査と万が一の場合のサポートだ。」 「了解しました。」 鵜の木さんの指揮の下、3機のワークベンチが作業を始めました。宇宙空間に漂う宇宙船の残骸の周囲をゆっくりと回ります。 シーライオンは残骸の向こう側に停止して、残骸の調査を開始しました。 鵜の木さんが川崎さんに尋ねました。 「ブリッジ塔は比較的に破損が少なそうですが、内部に入って調べますか?」 川崎さん、すぐには答えませんでした。 「小杉、」 「はい。」 鵜の木さんに答える代わりに小杉さんを呼びました。 「あの宇宙船のブリッジ塔の内部を調査したいのだ。調査は技術部の者が行うので、念のため、統括部から警備担当を2名出してもらえないか。」 「はい、了解です。」 『警備担当』は、万が一、残骸となったこの宇宙船の生存者との間で戦闘が発生した場合の備えです。そうならないことを祈りたいと思います。 作業を開始して間もなく、宇宙船の残骸の後部付近を調査していたワークベンチから緊急連絡が入りました。 「ノースポール、こちらワークベンチ2号機、戸塚です。」 「はい、不動です。どうしました?」 「宇宙船後部と思われる残骸の中で、艦載機と思われる物体を発見しました。まだ、遠目でしか確認してないですが、コクピットに人影らしき物が見えます。」 すぐに川崎さんが反応しました。 「コクピットに接近することは出来るか?」 「少し上の位置に付けて、覗き込むように観察することは出来ると思います。」 「よし、ただちにかかってくれ。」 「はい、了解しました。」 人影ですよね。もしも、本当に誰か乗っているのならば大事件です。その場合、乗っているのは異星人なのです。 「小杉と鵜の木君、聞こえるか?」 「はい。」 「はい。」 通信は作業に参加している全員にオンラインになっています。ですから、戸塚さんの報告は小杉さんにも鵜の木さんにも聞こえていたはずです。 「ワークベンチの戸塚君のサポートを頼む。」 「了解しました。」 鵜の木さんは、瓦礫となった宇宙船のブリッジ塔の調査を他のメンバーに任せると、ワークベンチで戸塚さんのそばに移動しました。 小杉さんはノースポールから戸塚さんのサポートを始めました。 「戸塚、聞こえる?」 「聞こえます。」 「今の状況は?」 「ワークベンチで接近しているところです。」 「距離は、」 「いま、コクピットから2、3メートルの所です。」 その距離ならもう至近距離です。小杉さんがすかさず尋ねました。 「そこから中は見えるの?」 「見えます。やっぱり誰か人がいます。映像回してますが見えますか?」 戸塚さんの宇宙服のヘルメットにはライブ配信用のカメラが取り付けられていました。映像はブリッジのメイン・ディスプレイにも映されています。 「見えるよ。確かに人だよね。動いていないようだけど、どう?」 「動きはないですね。こちらを見ている様子もありません。」 私達もかなりの大人数で作業しています。もし、意識があれば、当然、私達に気付いて、何らかのアクションを取るはずです。 小杉さん、単刀直入に聞いてみました。 「生きてる、かな?」 戸塚さん、ちょっと沈黙しました。小杉さんの質問が核心を突きすぎていたんですね。 「・・・、ここからは分からないです。機体の上に乗り移ってもいいですか?」 「それは、ちょっと待って。」 むむむ。その、機体の上に乗り移って、可能ならばコクピットを開けてしまいそうな勢いです。ちょっと、早まってるように思います。まあ、早まらせたのは小杉さんですが。 「鵜の木です。いま、戸塚さんのそばまで来てます。」 鵜の木さんはセンサー機能を搭載したケータイを持ってますから、問題の機体の外からでも何かわかるかもしれません。 「センサーで何かわかりますか? その、人間の体温とか、コクピットの中の温度とか、あと、コクピットに空気はあるんですかね?」 小杉さんも、それを知っているのでいろいろ注文してきました。 「えっと、体温は25℃。コクピット内はマイナス20℃。コクピット内には気体が存在します。成分は、窒素が75%、酸素が26%、その他は二酸化炭素やヘリウム、メタンなどが微量ずつ存在します。」 川崎さんが、誰ともなしに質問しました。 「体温25℃というのはどうなんだ?」 「私達地球人なら、極めて危険なレベルの低体温です。」 医療室のディスプレイで状況を見ていた荏原さんが答えてくれました。私達地球人の平熱は36.5℃前後でしょうか。ですから、地球人ならば、かなり危険な容体なのです。 川崎さん、続けて質問しました。 「この状態におかれてどの位の時間が経っているんだ?」 今度は鵜の木さんがケータイのセンサーを見ながら答えました。 「正確にはわかりませんが、1週間とか2週間というレベルではないと思います。半年以下くらいで、たぶん、3カ月前後と思います。」 となると、かなりの長期間にわたって食事も取れずにコクピットに閉じ込められていたことになります。呼吸するための空気はあったのでしょうか。 川崎さん、重要な確認を要求しました。 「このパイロットは、少なくとも地球人ではないという理解で良いのだろうか?」 鵜の木さんが明確に答えました。 「それは、もちろんですね。」 私もそう思います。なんとか、友好的な交流が出来ると良いのですが。ただ、そのためには、この異星人が意識を回復するのが大前提です。 「生物学的には、まだ生きているのか?」 荏原さんが慎重な言い回しで説明しました。 「回数は少ないですが、微かに呼吸をしているようです。心臓らしい内蔵のごく弱い鼓動も検知しています。」 荏原さんの隣にいる雪ヶ谷さんが、強く提案しました。 「医者として判断するなら、まだ生きてます。すぐ、ノースポールに収容しましょう。」 川崎さん、決断を伝えました。 「わかった。」 結論を出すのに時間がかかってしまいましたが、この場合、やはり、ノースポールに収容するのがベストであると思います。いえ、原因はともかくとして、宇宙で遭難していたわけで、それをノースポールが発見したのですから、地球上で考えれば私達には、この異星人を救助する義務があります。 「艦長、」 「何かね?」 鵜の木さんが提案しました。 「だったら、まずはこの機体ごと係留ベイから格納庫に収容しましょう。そうすれば作業が楽です。」 「わかった。それで頼む。」 私も賛成です。可能なら機体の調査もしたいですね。エンジンとか機動システムや、兵装の調査と、搭載されていればコンピュータについても調べたいです。 わー、仕事増えそう! その、発見された機体は、ワークベンチの甲板に固定されるとゆっくりとノースポールへと運ばれました。 「未確認機搭載のワークベンチ2号機を優先して格納庫に収容します。」 「その次は1号機、最後に3号機の順でお願いします。」 この、1号機と3号機には、発見された犠牲者の方達を収容していました。艦底部係留ベイでは、居合わせた乗組員が通路に整列して黙祷して、冥福を祈りました。ブリッジではライブ配信の映像を前に、川崎さんが敬礼して犠牲者に敬意を表しました。 なお、発見できた生存者は未確認機のコクピットで見つかった一人だけでした。 ブリッジでは、艦長席に座る川崎さんと、その横に立つ大森さんが話していました。 「残骸は回収しなくて良いんですか?」 「うん、ノースポールの格納庫に入りきらない大きな残骸もあったからな。」 「じゃあ、そのままにしておくんですね。」 「いや、火星でランデブーしたら、ドミトリーに回収を頼もうかと思ってるよ。地球に戻る時にな。」 「アントノフなら大きな荷物も載せられそうですね。」 そこまで話すと、統括席に座る三田さんに確認しました。 「作業に出た乗組員は全員収容したか?」 「はい。確認済です。」 「よし、火星に向かおう。折角の待ち合わせだ。彼女を待たせるのはよろしくない。」 その会話を聞いて、ライラさんが答えました。 「わかりました。真名、準備が出来次第、発進しましょ。」 「了解。」 真名さん、航海システムのチェックを始めました。火星までは、光速の120%で数分ほどです。 アッという間ですね! 「三田、」 「はい。」 「ブリッジを頼む。未確認機の収容に立ち会いたい。何かあったら呼んでくれ。」 「了解しました。」 そう言い残して、川崎さんはブリッジを出ました。 「準備完了しました。」 収容された未確認機の機体はノースポールの格納庫の第2作業室に置かれていました。ここは比較的小ぶりな部屋で、今回収容した機がは少し余裕を持って入ることのできる作業室です。 「作業室の気密を確認。大気を調整します。」 まず、作業室全体を密閉して、室内の大気を、収容した機体のコクピット内に同期させます。この、コクピット内と同じ環境で、中にいるパイロットと思われる人間を機体から降ろして、ノースポールの医療室に収容するのです。 もちろん、機体を取り巻くように待っている、技術部と統括部、そして、医療部のメンバーもみんな宇宙服を着用しています。 「大気の調整完了しました。」 「よし。」 問題の機体の前寄りのコクピットの周りには足場が組まれていて、小杉さんや鵜の木さん、統括部の警備担当のメンバーが機体の確認をしていました。 鵜の木さんがコクピットを覆うキャノピーの周りで何か探しています。 「えっと、キャノピーを開く手動のレバーってあるんですかね・・・、」 「これじゃないですかね。」 鵜の木さんの反対側にいた小杉さんが円形のダイヤルのような物を見つけました。 「うーん、それらしいのは、そのダイヤルしかないですね。回してみましょう。」 「了解。」 小杉さんがコクピットの後ろにあるダイヤルを握って左に回しました。 「おっ!」 空気の抜けるような音と共に、キャノピーが後ろに跳ね上がるように開きました。統括部の警備担当のメンバーが一瞬、緊張しました。念のため、銃を構えています。 しかし、キャノピーが開いただけで何も起きませんでした。早速、小杉さんがコクピットを覗き込みました。 「・・・、確かに・・・、人だ。」 コクピットに座っている姿は、確かに人間です。私達地球人とほぼ同じ姿をした人間です。と言っても、ヘルメットを被っているので、顔はまだ隠れていて見えませんが。 「小杉君、」 「はい。」 荏原さんからお願いが出ました。 「呼びかけてみてもらえないか?」 小杉さん、まずは、そのまま声を掛けてみました。 「おいっ、大丈夫か?」 反応ありません。もちろん、ことばは通じないはずですが、声が聞こえれば何か反応があるように思えます。 もう一度、呼びかけます。 「おいっ、大丈夫か?」 先ほどより大きい声で呼びかけました。 しかし、反応ありません。 小杉さん、今度は、その、意識のないパイロットの左の肩を軽く掴みました。そして、軽く揺すりながら声を掛けました。 「おいっ、大丈夫か?」 反応ありません。 「うん、ありがとう。じゃあ、そこから出してストレッチャーに移してもらえるか?」 「了解です。」 「出来る限り静かに移動させてくれ。」 「はい。」 統括部の人がコクピットの左右にそれぞれ3人ずつ付いて、パイロットの体の下に両手を潜らせます。そして。 「せーのっ!」 ゆっくりと持ち上げます。 「意外と軽いよね。」 「無駄口叩くなよ。」 そのまま、ゆっくりと機首側の足場の上に置かれているストレッチャーまで移動して、慎重に降ろします。 「ありがとう。ストレッチャーを降ろしてくれ。」 足場の上にあるストレッチャーが、ゆっくり降ろされました。そして、そのストレッチャーに透明なアクリル樹脂製のかまぼこ形のカバーを取り付けます。 現在作業している第2作業室の外は、地球と同じ大気に調整された、ノースポールの艦内なのです。ですから、医療室に移動するまでの間は、このカバーで密閉してカバー内をコクピット内と同じ大気に調整するのです。高津さんが、ストレッチャーの頭側に付いている端末を操作しました。 「大気調整器を起動しました。」 「よし。医療室に行こう。」 ストレッチャーを頭側から小杉さんが押します。そして、前寄りの左右には、統括部の人が一人ずつ付いて移動をサポートします。 医療室の隣の部屋の前に雪ヶ谷さんが待っていました。臨時の集中治療室を設営したのです。ここは倉庫として使っていましたが、治療室としても使えるように作られていたのです。出入口に追加されたエアロックを通って中に入ります。 「うん、これからは、こういう部屋が必要になるな。」 荏原さんが呟きました。その通りです。未知の異星人を収容して治療するためには、少なくとも、エアロックのある、大気の成分や気圧の調整可能な部屋が必要です。 小杉さん、ストレッチャーを医療部のメンバーに引き渡すと、ひとつ手前の控え室に戻りました。宇宙服のヘルメットを脱ぎます。 「はー。」 「ごくろうだったな。おつかれさん。」 川崎さんがいました。控え室と、その奥の治療室の間の壁にはガラス張りの大きな窓があって、中の様子を確認できるのです。 「では、ヘルメットを取ります。」 荏原さんが慎重に異星人のヘルメットを外しました。 「ま、まるで地球人じゃないですか。」 小杉さんが驚きの声をあげました。 「そうだな。」 川崎さん、冷静です。しかし、鋭い表情です。 肌の色は、白というよりは、私達、アジア人と同じで黄色か、もう少し濃いめのベージュのような色です。髪の毛は明るい茶色で、緩く縮れているようです。どうも、長い髪の毛を後ろでまとめてお団子のようにしているようですね。顔の作りも私達と全く同じです。目も口も閉じて静かに眠っています。地球人風に言うなら彫りはやや深めで全体はやや縦長の丸顔です。 女性、です。 いえ、地球人的に見たら完全に女性です。宇宙服が体にフィットするタイプのようで、胸の膨らみや腰のくびれ具合など、体型がはっきりとわかります。 「宇宙服も脱がせます。」 高津さんと愛甲さんで宇宙服の構造を確認しながら脱がせていきます。 この、特設の治療室の様子は艦内にライブ配信されていました。しかし、宇宙服を脱がせる間だけは、音声のみの配信となりました。 先ほど説明したように、この異星人が、地球人的に考えるならば、女性であると判断されたためです。確かに、宇宙服を脱がされたその異星人は、地球の女性用によく似た下着を着けていました。 「異星人の女性パイロットか。」 高津さんと、愛甲さん、他にも看護師のメンバーが手伝って浴衣に似た入院着を着せました。 「早く、意識が戻るといいですね。」 「そうだな。」 果たして、唯一の生存者であるこの異星人は目を覚ましてくれるのでしょうか。 「小杉、ここは誰かに任せてブリッジに戻ってもらえるか? アントノフとのランデブーを指揮してもらいたいのだ。」 「了解です。じゃあ、大岡、ここを見ててもらっていい?」 「はい、了解です。」 小杉さんは、川崎さんに付いて、ブリッジへと戻りました。 さて、そのアントノフなのですが、同じ頃にやっと発進準備が整ったのでした。 地球。北海道に位置する日高基地。 「では、行ってきます。」 ディスプレイの中から、ドミトリー博士が少し改まって伝えました。 「うん、だいぶ遅れてしまったな。」 画面のこちら側にいるのは、布田先生と、日高基地司令を務めるニコラさんです。 「はははっ、怒って一人で帰ってしまうかもしれませんね。」 ドミトリー博士、この発進のタイミングで何やら深掘り必至のネタを話し始めました。 「そんな経験があったんですか?」 布田先生が、話の先を促します。 「まあ、昔、ある女性との待ち合わせに1時間くらい遅れてしまったことがあってですね。」 「ほおー。それで?」 私も興味あります、そういう話し。 「もちろん、すごい怒られましたよ。」 「そうなんですね。で、その後は?」 「いや、結局、大丈夫だったんですけどね。今の妻ですよ。」 あ、マルガリータさんですね。奥さんは世界的にも有名なチェロ奏者なんです。今は日本でNHK交響楽団のチェロパートで活躍すると共に、ソロや、他のプレイヤーとのアンサンブルでも活躍しています。 「そうでしたか。まあ、川崎はその辺の理解はあると思いますが。」 「そう祈ってます。」 「では、気を付けて行ってきて下さい。」 「了解です。」 そうですよね。ただでさえ、出発が遅くなってるのですから、雑談なんかしてないで早く発進した方が良いですね。 「格納庫のハッチは開いてあります。いつでも飛び立てますよ。」 「ありがとう、ニコラさん。帰ってきたときも頼みます。」 「はい。呼び鈴を鳴らして『ただいま』とひと言言って頂ければ、いつでもお迎えします。」 「はははっ、それは面白い。そうさせてもらいますよ。」 ちなみに、ニコラさんのフルネームは、ニコラ・パスカルさんです。フランス、ブルターニュ地方の出身で、元フランス陸軍士官です。日本とNATOの防衛協力の会議があった時に、川崎さんもニコラさんも出席していて、立食のランチで知り合ったとか。 ニコラさん、ノースポール・プロジェクトに参加してからもフランス陸軍を誇りにしていて、その証だと思うのですが、今でも、勤務中はフランス陸軍の制服を着用しています。ドレスコードもなくて、トレーナーにジーンズのような私服ばかりの日高基地では異彩を放つ存在ですが、むしろ、「似合っている」とか「格好いい」などと、評判は良かったりします。 「よし、アントノフ、発進。」 ドミトリー博士、凜とした声で指示しました。 紹介が遅れました。そうなんです。 『宇宙巡光輸送艦アントノフ』。 ノースポール・プロジェクトが建造した、3隻目の、超光速航行の可能な宇宙船です。もちろん、恒星間航行も想定されています。 今回の目的は、現在、水星から火星に向かいつつあるノースポールへの補給物資の輸送です。食料を中心に、衣料品や雑貨、そして、乗組員のご家族や知り合いの方から依頼された荷物も積み込まれています。あと、今後、ノースポールが、火星を始めとして、木星や土星を訪問した時に投入する予定の無人探査機も搭載されています。既に月と金星、水星にも投入された、オービット・アイとエクス・ビークルですね。 あ、そうそう。 太陽でのシーライオンの事故の時に問題になった、エネルギー分配マトリクス。日高基地に保管されていたストックも、すべてアントノフに積み込まれて、ノースポールに届けられる予定です。あの事故、ノースポールのテスト飛行としては、最悪の事故だったですからね。 「大気圏を離脱、間もなく高度500。」 「うん。加速しよう。光速の120%。」 「了解。」 アントノフ、本日のパイロットは、ボリビア出身のアメリカ人、エルネスト君、ニックネームは『エル』です。 エル君、右足をグンと踏み込みました。アントノフは力強い足取りで加速し始めました。周囲に見えていた星々が残像のように流れて消え去って行きます。 「・・・、現在、光速の120%。巡航航行に移ります。」 「よし。」 ドミトリーさん、満足げです。そして、鵜の木さんと私で作り上げた論文の『VMエネルギー理論』を思い出していました。 「まったく、あの2人のおかげで、宇宙旅行がこんなに変わるとは。」 ドミトリーさん、その驚きを確認するために、エル君に質問しました。 「火星までの所要時間は?」 「はい、約50分です。」 「何度聞いても・・・、早いな・・・。」 ドミトリーさんが驚くのも無理ありません。これまでの火星探査機は、だいたい8ヶ月くらいかけて、地球から火星に向かっていたのです。それが、アントノフは、つい先ほど日高基地を出発して、もうあと1時間もかからずに火星に着いてしまうのです。 「それもこれも、ビーナスメタルとドライブパネルのおかげなのだ。」 ドミトリーさんの呟きを聞いたエルさんが言いました。 「でも、そのくらいの時間なら、例えば将来、火星に人が滞在する基地が出来て、そこで、大きな事故とか起きたとしても、すぐに救援に向かえますよね。」 そうです。しかも、現在の速度、光速の120%ですが、ノースポールとアントノフにとっては、ゆっくり歩く程度の速度なのです。もしも、ノースポールやアントノフが本気で加速したら、地球から火星までなら、ほんの一瞬で着いてしまうのです。 「そこまでの速度が必要なのか?」 というご意見もあるかもしれません。しかし、もしも、火星などの惑星に宇宙飛行士や科学者が常駐するような基地が作られたとして、万が一の事態が発生したらどのように対応するのでしょうか。 まあ、現実的に考えて、宇宙人による侵略なんて起きないとは思いますが、例えば、基地の医療設備では治療できない病人や怪我人が発生したら、どうすれば良いでしょうか。また、基地で、エネルギーシステムの停止のような大規模な事故が発生したら、どうすれば良いでしょうか? 現在の技術では、地球から火星に行くためには8ヶ月かかるのです。とても、駆けつけて救助することなどできないですよね。その辺りを十分に考えておかないと、火星に基地を作るなんて、とても無理、というか、無謀なことだと思うのです。 というわけで、だいぶ遅れましたが、アントノフは地球の日高基地を飛び立ったのでした。 (つづく) 2023/11/12 はとばみなと
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■更新履歴 2023/11/12 登録