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■宇宙巡光艦ノースポール

第7章.火星
第6節.失われた目覚め

 宇宙。

 そこは数多輝く星々の海。

 夢と期待に胸を膨らませている者にとっては、目映く輝く無限の海。

 しかし、突然の放浪の運命を課せられた者にとっては、無限の絶望に満たされた苦悶の海なのです。

 ここは故郷を遠く離れた未確認の惑星系。先ほどは、周囲に形の整った美しいリングを従えた惑星のそばを通過しました。

「諸君!」

 ゥアナマァサ級宇宙戦艦の4番艦、ゥアナミィスの艦内に、艦長からの檄が飛びました。

「この半年の間に、我々は、故郷を追い出されて、逃げ出して、そして、多くの仲間を失ってきた。いま同胞は宇宙のさすらい人として、あても希望もない旅を続けているのだ。我々は彼ら侵略者に対して鉄槌を下さなければならないのだ。何としても、少しでも多くの敵を撃破して、宇宙の星となった仲間を弔わなければならないのだ。幸いにも、現在、我々は、5隻からなる敵艦隊を追跡中である。もちろん、我が方は本艦のみのたった1隻であるが、我々の鉄の意思を持ってあたれば、必ずや道は開けるはずである。今から30分後、我が艦は、敵艦隊に対して総攻撃を開始、目の前の敵を粉砕する。遙かなる祖国を取り戻すために、宇宙を彷徨う同胞達のために、諸君の獅子奮迅の活躍を期待する。全艦戦闘配備につけ。」

 戦艦ゥアナミィスは速度を上げました。就役してからまだ2年ほどの新型艦です。速度など性能は祖国の宇宙艦隊の中でも最も優れているのです。

「敵、前方3万。」

 ゥアナミィスは少しずつ間合いを詰めていきます。

「艦長、」

 そう呼ばれた艦長は声の方を向きました。立っていたのは女性です。パイロットスーツを着てヘルメットを抱えています。

「出てくれるのか?」

 艦長は単刀直入に、信頼に溢れる眼差しで見つめながら聞きました。

「もちろんです。」

 この艦には1機だけ艦載機が搭載されていたのです。

 彼女は元々、航空機動母艦所属のパイロットなのです。仲間のパイロットと共に艦載機を操り、敵に対して航空攻撃を行っていたのです。幸い、敵艦には対空兵装は全くありませんでした。ですから、濃密な弾幕を掻い潜って攻撃するというような危険を冒す必要もありませんでした。搭載している対艦ミサイルによる攻撃は一定の成果がありました。時には、一発のミサイルで敵艦を撃沈したこともありました。そして、味方の艦載機にはほとんど損害は出なかったのです。

 ただし。

 敵艦隊の、対艦攻撃用の兵器の威力は圧倒的でした。味方の駆逐艦などの小型の艦艇だけでなく、戦艦クラスの大型艦までもが、ほとんど為す術もなくあっという間に撃沈されていったのです。当然、艦載機の母艦である、航空機動母艦も易々と沈められていきました。つまり、艦載機部隊自身の損害がなくても、帰るべき母艦が、補給を得られる母艦が全滅してしまったのです。

 いま、まさに出撃しようとしている、たった一人きりの女性パイロットも、やむを得ず味方の駆逐艦に収容してもらい、さらに、その艦も沈められてしまったために、現在の艦、ゥアナミィスに収容されていたのです。

「発進準備完了。」
「了解。ハッチを開く。」

 ゥアナミィスの左舷後部のハッチが開きます。この艦は戦艦で、艦載機発進用のカタパルトもないため、外部ハッチのある貨物搬入口から発進するのです。

「ハッチオープン完了。ご武運を祈ります。」
「了解。浮上します。」

 彼女は、僅かに機体を浮上させました。そもそも艦載機用の格納庫ではないため高さもギリギリなのです。そして、機体をゆっくりと横滑りさせて、外に出ます。

「よし、発進!」

 ようやく発進です。メインスラスタを全開にして加速します。一直線に前方にいる敵艦に迫ります。対空火器はないので、まっすぐ接近します。

 敵艦は5隻。すべて同型艦です。敵が出現して以来、戦闘艦はこのタイプしか目にしたことはありません。例外的に、工場船や、鉱物探査船などの作業船は、それぞれ独自の形をしています。

「いくぞ。」

 機体をさらに加速します。敵艦の後部が間近です。敵艦の艦尾には、メインスラスタ、しかも、エネルギーを噴射して艦を推進するタイプのノズルのような物があります。円筒形で縦に2つ並んでいます。始めの頃は、このノズルにミサイルを撃ち込めば、敵艦のエンジンを直撃できるのではないかと言われていて、実際に攻撃が試みられたこともありましたが、効果は全くありませんでした。おそらく敵艦は別の推進方法を持っていると結論づけられました。

 そう言っている間にも、女性の操る機体は敵艦の左舷側直近を通過。女性は直ちに機体を急上昇させました。ぐんぐん上昇します。そして高度千mで機体を反転。急降下に転じます。眼下に敵艦を俯瞰しながら、

「照準・・・、」

 手早く空対艦ミサイルの照準をセット。

「行け!」

 機体下部に横並びに2機を吊り下げた、左側のミサイルを発射しました。

 上下左右のない宇宙空間なので、逆落とし、とは言えませんが、ミサイルは敵艦直上から接近。敵艦のブリッジ塔のすぐ後部に命中しました。

「おお、」

 やや後方のゥアナミィスからも、その光景は見えました。敵艦隊の中央の艦で大きな爆発が起きて敵艦は制御を失って進路が左に逸れ始めて、左隣の敵艦に激しく衝突したのです。同時に再度大きな爆発が起きて、その爆発が、衝突された左隣の艦を巻き込んだのです。

「左から2番目の艦も大破、機能停止した模様です。」
「よし、いいぞ。」

 艦載機は敵艦の下方に回ったかと思うと、今度は、左端の艦の下方を急上昇しながら、もう1機のミサイルを放ちました。

 命中!

 左端の艦は艦底部で大きな爆発が発生。そのまま惰性で直進はしていましたが、機能は停止していました。

 すごい戦果です。

 ミサイル2機で、敵戦闘艦3隻を撃沈です。ならば、戦艦のような大型艦を作らずに、艦載機部隊を大量に編成して攻撃した方が効果がありそうですが、艦載機に搭載できる、ある程度効果のある対艦ミサイルは、頑張っても4機程度。それを撃ち尽くしてしまえば、あとは帰投するしかないのです。しかも、敵艦は対空兵器はありませんが、対艦攻撃用の主砲の威力は圧倒的なのです。

 艦載機を多数収容可能な母艦か、最寄りの惑星の地上基地でもない限り、艦載機のような小型機の運用は出来ないのです。

「よしっ、残り2隻だ。何としても沈めるぞ。」

 艦長を始めとするゥアナミィスの乗組員達は、大いに鼓舞されて攻撃態勢を取りました。敵艦の数は元々5隻だったのが、艦載機によるミサイル攻撃で3隻を撃沈。残りは2隻なのです。

「まだ撃てないのか?」

 勇み足の艦長。

「射程圏内にもう間もな、いま、射程圏内に入りました。」
「よしっ。攻撃開始!」

 ゥアナミィスの主砲が敵艦への攻撃を始めました。前部甲板の第1、第2主砲の斉射です。まずは右端の敵艦に攻撃を集めました。

 命中!

 見事に敵艦に命中です。しかし、やや小さめの爆発こそ起きたものの、敵艦は、さほど影響を受けていないようです。

「あ、敵艦回頭。こちらに向かってきます。」

 2隻の敵艦はその場で向きを変えると、ゥアナミィスに向かって来たのです。

「敵艦発砲!」

 その言葉を聞き終わる前に、強烈な閃光と衝撃がゥアナミィス乗組員を襲いました。

「左右両舷の前面装甲に被弾。」
「ボヤボヤするな。主砲撃て、反撃だ!」

 ゥアナミィスが主砲による攻撃を再開しました。

「撃て撃てーっ!」

 ほとんど連射状態です。しかし、攻撃は確かに敵艦に命中しているのですが、動きが全く止まりません。

「敵艦が左右に分かれました。」
「まずい、挟まれるぞ。」

 艦長のその予感通り、1隻ずつ左右に分かれた敵艦は、ゥアナミィスの両側から攻撃してきました。

「怯むな! 撃て撃てーっ!」

 ゥアナミィスも必至の反撃を試みます。

 しかし。

「第2主砲大破!」
「後部射撃管制室、応答なし。」
「右舷居住区画大破。」

 2隻の敵艦は、ゥアナミィスを包囲するように周囲を旋回しながら砲撃していました。ほとんど袋叩きか、なぶり殺しの様相です。

「艦長ーっ、艦長ーーっ!」

 上空から様子を見守っていた艦載機のコックピットで、女性が叫びました。

 一方、ゥアナミィスのブリッジ。

 ブリッジの中央で、艦長が仁王立ちしていました。しかし、命令したり何かを叫んだりはしていません。全く動いていませんでした。いえ、顔面を流れる真っ赤な血と、右肩から右腕にかけて焼け焦げた制服を見れば、もう言うまでもありませんでした。ブリッジの他の乗組員もコンソールに伏せたり、シートから投げ出された状態で動きを失っていました。

「か、艦長・・・、」

 女性パイロットの目の前に、彼女がつい先ほどまで乗り組んでいた、ゥアナミィスがいました。しかし、船体は中央付近で爆発により分離、そして、前後に別れた船体もほとんど粉々の状態でした。辛うじて、船体から分離してしまったメインブリッジ塔のみが、原形をやっと保ちつつ浮遊していたのです。

「艦長、艦長ーーーっ、わーーーーー・・・。」

 パイロットの目から涙が溢れました。何度も、何度も叫びました。彼女自身は助かりましたが、帰る場所も、出迎えてくれる仲間もいなくなっていたのです。

 彼女は、ひとり、生き残ってしまったのです。

 故郷を遠く離れた、この、無名の惑星系の真っ只中で。

 彼女は、ひとり、泣き続けました。

 何も考えずに、ただただ、泣き続けました。

 だいぶ離れたところで明るく輝く、

 この惑星系の太陽に見守られながら。

 その暖かい陽光の中で

 女性の意識は少しずつ遠のいて行き、

 静かな眠りについていました。

 そして、

 この惑星系の、

 ある惑星に住む民族にとっての3カ月後。

 宇宙巡光艦ノースポール艦内。
 ここは、太陽系第4惑星、火星の周回軌道。

 医療室の隣に設けられた臨時の診療室。

 ここに、火星への到着前に発見された異星人の物と思われる大型宇宙船の残骸の中から救助された、おそらく、女性、が収容されていました。

 発見された時から意識がなく、しかも、当然、異星人であるため、正しい治療方法も分からなかったわけですが、心臓と思われる臓器の鼓動は続いており、ゆっくりではありましたが呼吸もしていました。

「私達の常識からすれば、間違いなく生きている。見捨てるわけにはいかない。」

 幸い、検査の結果、私達地球人と、とても良く似た、体の構造をしていることが分かったのです。それぞれの機能は不明でしたが、地球人と良く似た臓器を持つことも確認されました。

「なぜ、こんなにも似ているのか、もちろん分からないけれどね。」

 奇跡なのかも知れません。

 従って、バイタルの監視は続けつつ、地球人に準じた治療が行われていました。

 救助されてから、もう14日が過ぎていました。

 カウンセラーの蓮沼さんは、手が空いていたので、高津さんと一緒に、この臨時の治療室の整理をしていました。もともと荷物置き場として使われていたのを、急遽、病室にしたのです。

「この箱どうしますか?」
「あ、それは、倉庫に持ってきますね。」

 高津さん、蓮沼さんから箱を受け取ると、部屋から出て行きました。

 蓮沼さん軽くため息をつくと、診療室中央に置かれているベッドで眠っている女性を見ました。

「あっ?」

 女性が、うっすらと目を開いて、こちらを見つめていたのです。

「あの、気がついたんですか?」

 蓮沼さん、女性に声を掛けてみました。

「・・・」

 何か、僅かに口を開いて、口を動かしてはいます。でも、返事はありません。

「気分はどうですか?」

 蓮沼さん、一歩近づくと、もう一度声を掛けました。

「・・・」

 やはり、口は動かしていますが、言葉として返事は返ってきません。もちろん、異星人なので、言葉の意味は通じていないと思われましたが。

「えっ?」

 蓮沼さん、気付きました。

 その女性は、突然、涙を流し始めたのです。

「どこか、どこか苦しいんですか?」

 女性は涙を流しながら、急に、怒りに満ちた、激しく怒り出したような表情に変わっていきました。

 ちょうど、その時。

「やあ、すみません。意識が回復したみたいだね。」

 荏原さんと雪ヶ谷さんが、すぐ脇のドアを開けて入って来ました。実はバイタルの監視データはケータイ経由で荏原さんと雪ヶ谷さんにはシェアされているのです。その数値に何か大きな変動があれば、すぐにアラートが通知されるのです。もちろん、今回も通知は行われたのですが、おそらく、お2人とも、それぞれ打合せだったらしく、医療室に駆けつけるのが少し遅れたようですね。

「あ、すみません、彼女の意識、戻ったんですか?」

 荷物整理のために席を外していた高津さんも戻ってきました。

「とりあえず診察しよう。」

 荏原さんが白衣のポケットから聴診器を取り出しました。

「あ、あ、あの・・・、」

 蓮沼さんが何か言おうとしましたが、荏原さんにも高津さんにも気付いてもらえませんでした。

「じゃあ、失礼しますね。」

 高津さん、女性に掛けられていた布団を避けて寝間着の前側のボタンを外そうとしました。

 まさに、高津さんが、女性の寝間着の一番上のボタンに触れた時、

「ワオガオマーーッ!!」

 女性は、真空の宇宙空間をも突き抜けて伝わりそうな鋭い叫び声を上げるとベットの上で跳ね起きるように上半身を起こしたのです。腕に繋がれていた点滴の管に引っ張られて、栄養剤をかけてあった点滴スタンドが倒れました。また、バイタルデータを取得していたパッドとそれにつながるケーブルも引っ張られてデータを表示している装置がテーブルから落ちました。

「ガナガマーー・・・!」

 女性は、左手に貼られていたテープをはがすと、やや痛そうな表情をしながらも、刺されていた点滴用の針を抜くと投げ捨てました。赤い血が滲み出始めましたが、気にもとめません。バイタル取得用のパッドも外して壁の方に投げつけました。

「ガワルダーー・・・」

 女性は怒りに満ちた形相でベッドの外に足を降ろすと、ゆっくり立ち上がりました。その怒りの形相のまま、周りを見渡しました。

 荏原さんと雪ヶ谷さんは、隣の診療室と直接出入りできるドアから入ってすぐのところで立ち尽くしていました。高津さんは、外からこの部屋に入ってすぐのところで驚きの表情のまま固まっています。蓮沼さんは、女性から一番近い、2、3歩の位置で動けないままでいました。外からこの部屋に入るドアの所に詰めていた警備担当の統括日の人も、為す術もなく立ち尽くしていました。

「ナガニマーッ!」
「きゃっ!」

 女性は、一番手近にいた蓮沼さんの右手首を自分の左手で掴むと引っ張って歩き出そうとしました。

「待てっ!」
「止まれ!」

 通路に出るドアのところにいた警備担当の2人が我に戻って、銃を構えて出口を塞ぎました。

「ガザダナーーッ!」
「きゃー、痛・・・」

 女性は蓮沼さんを引き寄せるとそのまま掴んでいる右腕を背中側に捻り上げて、自分の体を蓮沼さんに寄せます。そして、右側の机の上にあった金属製の定規を手に取ると、蓮沼さんの首に突き立てました。

「お、おい・・・」

 警備担当の2人は銃を構えたまま、互いにチラチラと顔を見ながら、ジリジリと後ずさりしました。刃物ではなく、ただの定規なので、確実に傷つけることは出来ないと思われましたが、相手は明らかに、いざとなれば手段は選ばないことをアピールしています。

「ワガーッ!」
「きゃーっ!」

 そしてついに、女性は蓮沼さんを盾にしたまま通路に走り出ました。

 そのころ、ブリッジ。

「どうした、何が起きているんだ?」

 珍しく川崎さんが声を荒げて報告を求めました。統括席に座る三田さんが報告しました。

「医療室に収容していた異星人が目を覚まして、とたんに、暴れ出したそうです。」

 ちなみに、小杉さんはシーライオンで火星の探査に出ていて留守なのです。

「アラートレベルは発令したか?」
「はい、アラートレベル3を発令しました。」

 艦内で起きた危険のためにアラートレベルが発報したのは初めてです。

「異星人は左舷通路を艦首方向に進行中。」

 私は艦内センサーのデータとモニターカメラの映像を見て報告しました。

「統括部、中央乗降口に集結。異星人の身柄を確保しろ。」

 三田さんが凜々しく指示を出した直後。

「待てっ、三田。」

 川崎さん、三田さんの指示を訂正するのでしょうか。

「人質を取られているんだ。」
「はい。」
「可能な限り刺激を避けて、しかし、包囲は解くな。」
「はい。」

 そうです。蓮沼さんの安全が最優先なのです。とはいえ、このままでは時間が長引くばかりです。川崎さん、何か策はあるのでしょうか。

「異星人、間もなく中央乗降口に出ます。」

 この女性、蓮沼さんを盾にしてそのすぐ後ろに立って、そして通路の壁を背にしてジリジリと艦首方向に進んでいました。ノースポールの艦内の構造を知っているとは思えませんが、何か目的でもあるのでしょうか。

「異星人、中央乗降口に出ました。」

 中央乗降口は、やや広めのホールのようになっています。ひとつ上のフロアが吹き抜けになっているので天井も高いのです。その女性は中央乗降口の中央付近で立ち止まりました。無防備な背中側が気になるのか、時々、向きを変えて、盾である蓮沼さんの存在を見せつけて牽制しています。

 膠着状態、とでも言うのでしょうか。同じ状況が数分間にわたって続きました。

 しかし。

 突然、1人の乗組員が女性に近づくと、彼女の前に立ったのです。

「何を怖がってるの?」

 鵠沼さんです。鵠沼さんが、その怒りに満ちた女性の前に立って、笑顔で話し始めたのです。

「大丈夫。みんな、優しい人ばかりだよ。」

 しかし、その女性の怒りは静まらないようです。

「ガボガナーッ!」

 女性の盾にされたままの蓮沼さんが絞り出すような声で伝えました。

「カヨさん、危ないから、離れて・・・」

 鵠沼さん、怯まずに話し続けました。

「怖いだけなんだよね? あなた1人だけで。」
「グバグダーッ!」
「でも、大丈夫。ここにだっておおぜ、」
「マゾガーッ!」
「きゃーっ!」

 あっ、女性が鵠沼さんに回し蹴りをしたのです。鵠沼さん2mほど飛ばされてしまいました。

「何をする!」
「こうなったら、」

 警備担当のメンバーが一斉に銃を構えます。ダメです。この状態で撃ったら蓮沼さんも犠牲に、

「待って!」

 鵠沼さんがゆっくりと起き上がりながら叫びました。

「銃を、銃を下ろして下さい!」

 鵠沼さんが女性を見つめたまま叫びました。

「そ、そう言われても、」

 戸惑う警備担当。そこへ。

「全員聞け。銃を持っている者は全員、銃を下ろせ。別命あるまで構えてはならん。」

 ブリッジから降りてきた川崎さんが、その場にいる全員に大声で伝えました。三田さんも一緒にいます。

 全員、戸惑いつつも銃を下ろしました。

「ほら、大丈夫でしょ。怖かっただけだよね。」

 鵠沼さん、1歩1歩近づいて、彼女の前に立ちました。

「ほら、大丈夫。」

 女性は怒りに満ちた表情のまま、蓮沼さんを開放しました。そして、右手に持っていた凶器の定規を投げ捨てました。

「うん、大丈夫だよ。」

 と、鵠沼さんが話しかけた直後。

「きゃっ!」

 乾いた音が中央乗降口に響きました。女性が鵠沼さんの左の頬を殴ったのです。しかし、すぐに女性の方に向き直る鵠沼さん。

「大丈夫よ。私はあなたが大好きだから。」
「きゃっ!」

 あっ今度は、右の頬を殴りました。かなり強烈なようです。先ほど打たれた左の頬が赤く腫れてきています。それでも、鵠沼さん、全く怯みません。

「ほら、大丈夫だから。」

 あ、また、女性が右手を後ろに振りかぶりました。

 しかし。

 女性はその姿勢のまま動きませんでした。

 握った拳を振り上げている女性。その前に立つ鵠沼さん。見つめ合ったまま、まるで、固まってしまったようです。

「か、艦長、」

 三田さんが腰に付けた銃のホルダーに手をかけて、川崎さんに呟きました。

「だめだっ。待て。」

 川崎さんが低く小さな声で、三田さんを制止しました。

 その時です。

 女性が涙を流し始めたのです。ぽろぽろと大粒の涙をこぼしています。

「ほら、大丈夫。おいで。」

 鵠沼さんが女性に向かって両手を広げました。女性はゆっくりと全身の力が抜けるようにその場にしゃがみ込みました。

「ウォガー・・・、」

 泣き続けていました。

 鵠沼さんが両手でゆっくりと女性を包み込んで女性の背中を優しくトントンとたたき始めました。先に解放されていた蓮沼さんがその横に来て尋ねました。

「大丈夫そうね。」

 鵠沼さんが答えました。

「うん。もう、大丈夫。」

 女性は、鵠沼さんの腕の中で泣き続けました。

 1時間後。

 その女性と鵠沼さん、蓮沼さんは、医療室に収容されて、検査を受けていました。特に鵠沼さんは、女性に蹴り飛ばされたり、顔面を殴打されたりで、負傷の度合が心配されるところです。

 ノースポール医療室。

「はい、お疲れ様、終了です。」

 鵠沼さんはCTスキャンの台の上で体を起こすと、足を降ろしました。両頬にテープで留められた大きめの冷湿布が痛々しいです。

「カヨさん、ここいいよ。」
「ありがとう。」

 先に検査を終えていた蓮沼さんが、診察室に戻ってきた鵠沼さんに、空いている椅子を勧めてくれました。

「はー。」

 鵠沼さん、椅子に腰掛けるなり、大きくため息をつきました。

「お疲れ様。」

 蓮沼さんが労いの言葉をかけました。

「そんなに褒められることしてないよ。」
「でも、私もカヨさんに助けられたようなものだし。あの子だって銃で撃たれたりしなくて済んだし。とってもすごいんじゃない。」

 そうです。鵠沼さんの行動のおかげで、誰も傷つかずに終息できたのです。・・・いえ、鵠沼さんが殴られたのでした。

「あの子、眠ってるよね?」
「うん。医療室に戻ってからずっとだね。」
「そうか。」

 2人は用意されていたお茶をすすりました。

「ねえ、アキさん、」
「何?」
「あの子、どう思う?」
「んー、私の仕事的には、もう少し、あの子の気持ちが落ちついてからでないとカウンセリングが出来ないし。」

 鵠沼さん、俯きました。

「何か気になることでもあるの?」

 蓮沼さんが心配そうに尋ねました。

「えっとね、中央乗降口であの子を見た時に、直感的に思ったの。」
「どんなふうに?」
「まずは、とにかく、怖がってる。」

 鵠沼さん、何かを考えているような、それでいて、強い意志に満ちた表情です。

 蓮沼さんが、話を促しました。

「・・・、これは、本当に私の直感で、根拠は何もないんだけど、」
「うん、」
「あの子の行動、まるで、2歳くらいの子供なんだよね。」
「・・・。」

 それは、蓮沼さんにとっても、思いもよらない内容でした。

「感情が行動に直結しているのよ。だから気に入らないことがあるとすぐに怒るし、オモチャとか投げたり、直接叩いたりして反抗するし。」

 そういえば、鵠沼さん、ノースポール・プロジェクトに参加する前は、企業内に、社員向けに設けられた保育施設で働いてたんですよね。もちろん、保育士の資格も持ってます。だから、子供のことについては専門家なのです。

「確かに、そうよね。」
「本能だけで動いてるように感じたの。」
「んーー、そうよね。」
「もちろん、そういう精神文化を持った民族なのかもしれないけど、でも、そういう民族が宇宙旅行とか出来るのかなって、素朴に疑問に思って。私達が言える立場かどうかは分からないけれど、宇宙旅行とかするには、もっと、知性的な行動や論理的な考え方が出来ないと駄目じゃないかと思ってて。」

 鵠沼さん、すごい洞察力です。確かに、互いに争うばかりで協力しようとしない民族では、宇宙旅行はおろか、通常の文化も発展しないでしょう。

「・・・もしかして、」

 鵠沼さんと蓮沼さん、互いに顔を見合わせました。2人の脳裏に同じ考えが湧き上がったのです。

 2人は、ちょうど、医療室に戻ってきた荏原さんと雪ヶ谷さんに質問してみました。

「確かに、普通の健康な、あの位の年齢の人間の行動としては、あまりにも直接的で、知性が余り感じられないなと、僕も思ったよ。」
「うん、僕も賛成だな。あの子が地球人に似た精神構造を持つ民族の1人だとしたら、君達の考えは正しいと思うよ。」

 2人は再び顔を見合わせました。

「やっぱり、記憶喪失なんだ。」

 あの、大型宇宙船の残骸の中から救助された女性は、何らかの原因で記憶を失っている可能性が出て来たのです。

「だから、まだ、ことばを十分に学び取って記憶する前の子供と同じような行動に見えたんだ。」

 鵠沼さんが、思いついたように質問しました。

「でも、そうすると、これから、どうやって、あの子と接すればいいんですか?」

 荏原さんと雪ヶ谷さん、少し考え込みました。

「あの子の本来の記憶が戻るのかどうかは分からないんだ。」
「そうだね。もう、僕等と同じ言葉を教えて、生活に必要な習慣も教えるしかないんじゃないかな。」

 それは、ちょっと、奇妙な答えでもありました。あの女性は、もともと、地球人と同じように知的な民族の1人だったはずで、ということは、地球人と同じような文化や習慣、ことばを持っているはずなのです。でも、それとは別に新たに私達地球人の文化と言葉を教えなければならないのです。

「それって、子供に言葉やいろいろな知識を教えるようにってことですか?」
「そうなるね。」

 あの女性が、少なくとも、ノースポールの艦内で、人として、他の乗組員と同じように生活していく、生きて行くためには、私達地球人と同じ言葉を教えて、地球人としての知識やルールを教えて、地球人として生きることが出来るようにしてあげるしかないのです。

「それしか、・・・ないんだよね。」
「そうだね。」

 鵠沼さんと蓮沼さんは、彼女のこれからを思うと心が重くなったのでした。

(つづく)

2023/12/10
はとばみなと

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