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■宇宙巡光艦ノースポール

第7章.火星
補足  星の海を君に

みなさま、
初めてお目にかかります。
大森和人と言います。

 私、俳優をやらせて頂いておりまして、映画やテレビ、舞台で、みなさまにお目にかかっております。幸い、私には勿体ないほどの応援を頂いていまして、そのご期待にそうべく、日夜、演技の技を磨いております。

 その夜、私は所属プロダクションのニューヨークのオフィスにいたのです。再来月からの舞台の打合せが昨夜3時頃までかかったため、そのままオフィスのソファーで仮眠していたのです。

 とても古い石造りのビルの16階にある、とても小さなオフィスですが、7番街に面していて、タイムズスクエアもすぐそこで、その向こうがブロードウェイなのです。個人的には最高の立地にあるオフィスだと思っています。

 朝。目が覚めると南側の小さめの窓の外の景色が明るくなっていました。青空も見えます。私はゆづくりとソファーから立ち上がると、体を思い切り伸ばしました。抜けきっていない疲れが体中から滲み出て来て、睡眠不足の脳みそが、のろのろと回り始めました。

 気がつくと隣にある、日本人もびっくりなコンパクトなキッチンから物音が聞こえます。私は応接室兼リビングルームの部屋を出ると、そのキッチンを覗き込みました。

「おはようございます。」
「あ、おはようございます。眠れました? すぐ、コーヒー持ってきます。」

 プロダクションの現地スタッフの伸恵・ハンクスさんです。私がソファーに腰掛けてケーパッドでニュースをチェックしていると、バタバタと、コーヒーと皿にのったトーストを持ってきました。さらにキッチンに戻って、もう一枚、ソーセージとスクランブルエッグがのったお皿も運んできて、私の前に置かれているトーストの皿と並べて置きました。

「すみません、大したもの作れなくて。」

 あり合わせのメニューですが私はホッとした気持ちでコーヒーをひとくち飲みました。

「ありがとう。食事できるだけで感謝するよ。」

 まだ寝たりない体にコーヒーのほどよい渋みが染み渡ります。私はホッとため息をつきました。香ばしく焼けたトーストを食べながら、テーブルに置いたケーパッドでニュースの続きを読みます。ソーセージを食べると、寝不足でノロノロと動いていた脳みその回転が、やっと上がってきました。

 その時です。

 突然、街中でサイレンが鳴り始めました。

「何、このサイレン?」

 モーニングを用意してくれた伸恵さんが叫びました。

「ど、どうしましょう? 避難しますか?」
「えっ?! 避難?」

 伸恵さん、オフィスの玄関ドアを開けて外の様子を伺っています。私は窓際まで行くと、閉まっていた窓を全開に開けると街の様子を観察しました。

 サイレンは街中で鳴っているようです。そして、街は混乱し始めていました。大声で周りの人達と話す人もいます。警官も走り回っています。どうやら、地下鉄の駅構内に避難するように誘導しているようです。車の通行は普段とそれほど変わっているようには見えませんが、それでも、路肩に寄せて止まって、窓を開けて通行人と話している運転手も多いようです。

 一体何が起きているのでしょうか。

「なんか、建物から外には出るなって言ってますね。」

 伸恵さんがラジオを持ってきました。確かに、アナウンサーは

「外に出ないように」

と繰り返しています。私はもう一度窓から身を乗り出して街の様子を観察しました。すると、大勢の人が空を見上げています。頭上を指さして叫ぶ人々も現れ始めました。

「おい、何か来るぞ。隕石か?」

 その声に皆、空を見上げて、そして、さらに混乱が広まり始めます。私も、空を見上げました。確かに、南西の空高く、黒い染みのような物が見えます。徐々に大きくなってきています。ニューヨークの朝の青空の中を、ここ、マンハッタンに向けて、何かが落ちてきているのです。

「お、おい、逃げよう! まずいぞ。」

 大勢の人々が走り始めました。悲鳴も聞こえます。しかし、方向はバラバラです。みな、逃げ惑っています。そうしている間にも頭上に迫る物体がどんどんと大きくなっています。細長い物体です。まるで、電車か、横倒しになったビルが落ちてくるようです。

 サイレンはまだ街中で鳴り響いています。

「来たぞーっ!」
「悪魔なのか?」
「いや、隕石だよ隕石。」
「こらーっ、早く逃げなさい。」

 街の人々や警官がパニック状態で叫ぶ声が聞こえます。ゴオーという低い地鳴りのような音も聞こえ始めました。

「うぉーーーっ、」
「きゃーーー、」
「助けてくれーーっ!」

 悲鳴と怒号が辺りを支配しました。私は、きっとものすごい衝撃が来ると思い、オフィスの窓から出していた顔を引っ込めると、床に伏せて両手で頭を包むように守りました。体を硬くして、その瞬間を待ちました。

「わーーーっ、」

 ついに最期の時が訪れたような、大勢の人々の叫び声が聞こえました。

「うっ・・・、」

 私はうつ伏せのまま、それまで以上に身構えました。

 しかし・・・。

 次の瞬間、突然、外が静かになりました。

「ど、どうした、どうなったんだ?」

 私は恐る恐る顔を上げると、窓の方を見ました。何かが、窓の外に何かがいるようなのです。私は、慎重に立ち上がると、そっと窓の外を見ました。

「何だこれは?」

 窓の外、7番街の通りを塞ぐように、細長い巨大な物体が浮かんでいるのです。7番街は、その物体に日差しを遮られて薄暗くなっています。

 一時は通りに止まっていた車達も次第に動き始めました。少し暗くなっているものの、自動車や人の通行に支障はないようなのです。

 先を急いでいた、通勤途中の人々も足早に歩き始めました。通りの左右のビルの窓から大勢の人が身を乗り出すようにして、その、突然やって来た訪問者を観察しています。

「あの、」

 その、私を呼ぶ声を聞いて、私はようやく我に返りました。振り向くと、伸恵さんです。

「コーヒー、新しいのをお持ちしましょうか?」

 気付くと、私は右手にしっかりとマグカップを握っているものの、中身のコーヒーはほとんど溢れてしまっていて空でした。

「うん、頼みます。」
「はい。」

 ふと、外を見ると、空から降ってきた物体の一番上の部分に、会社のオフィスのようなガラス張りの部屋が見えます。しかも、中で人影が動いています。

 人間、のようです。

 この物体、地球の物なのでしょうか。飛行機にしては翼がありません。でも、この物体は、7番街の上に浮いているようなのです。

 その時です。

 偶然だと思います。

 その物体のガラス張りの部屋の中で動く人影の1つに朝の日差しがあたりました。

「あれっ?」

 一瞬でした。その人影が椅子に座り直した時に日が当たって顔が見えたのです。

「仁美・・・、だったような、まさか・・・。」

 そうです。大森仁美。私の妹です。いや、でも、妹は日本でOLしてるはずですから、あんな物体の中にいるはずありません。

「あっ!」

 見ると、その妹そっくりの影が、外に向かって投げキッスをしています。

「なんか、あの仕草が仁美そのものなんだけど。」

 結局、その巨大な物体は昼前には、7番街から浮上して、東の方角に去って行きました。私はオフィスの窓からその物体を見送りました。

「・・・仁美か。今度日本に帰ったらデートでもしてやるか。」

 その日は、午後から、舞台の練習の予定でした。私は、身なりを確認すると、迎えのスタッフと一緒に、練習場所に出掛けました。

 結局、

 ノースポールという名の、画期的な性能の宇宙船が誕生して、ニューヨークを危機から救ったことを知ったのは、その日の練習が終わってオフィスに戻った深夜のことなのでした。

 そして、どうやら、私の妹も、その宇宙船、ノースポールに乗り組んでいるらしいということも、深夜に、ケーパッドでニュースを見て知ったのでした。

 その事実に驚いたのは言うまでもありません。


みなさま、
大森誠也と言います。

 世間とのコミュニケーションの全くもって薄い、息子のお話し、大変お恥ずかしい限りです。とは言え、正直なところ、私も人のことは全く言えない立場なのでした。

 その同じ頃、私は、カンボジア北部の、現地の人でも滅多に立ち入ることのない山間部にいました。生涯精進すると心に決めた水墨画の題材を探すために旅していたのです。その日はもう日も暮れたため、テントに戻って食事をした後、今日描いた下絵を見直していました。日本に帰ったらこれらを仕上げなければなりません。

「うん。今日はもう寝よう。」

 今日一日の成果に多少の満足感を得た私は、天井に吊るしたLEDランプを消すと寝袋に潜り込みました。

 大きく息を吐いて、一度閉じた目を開けた時、私は、気付きました。テントの外が、ほの明るいのです。ここは山奥のまた奥で、周囲には電灯などないはずです。私は寝袋から少し這い出ると、テントの出入口を閉じているジッパーを少しだけ開けました。

「何だ? 明るいぞ。」

 私は寝袋から出て、テントから外に出ました。

「星の明かり、なのか。」

 今日は新月のはずです。だから、月明かりではないはずでした。でも、どうやら、ものすごい数の星々の放つ僅かな光が地上を照らしているようなのでした。

 私は思い出したように歩き始めました。昼間見つけた頂があるのです。周囲の景色が一望できる素晴らしく眺望の良い場所なのです。

 私は、その、頂に立ちました。

「・・・、なんだこれは、すごいな・・・。」

 私は素直に驚きました。と同時に、けがれ、そして、よごれた、私の心が、まるで、空を覆っていた雲が、さあーっと流されて消えてゆき、青空が姿を現したかのように、さっぱりと、洗い流されていくように感じたのです。

 その頭上、周囲の遠くに見える山々の稜線よりも上に、空はありませんでした。海です。まさに、星の海が広がっていたのです。おびただしい数の星々が、真っ暗な夜空に輝いていたのです。

 日本では見たこともないような数の星々が漆黒の夜空で群れを成して自ら光を放ち、まるで、歌っているようです。

「ふたご座、」
「ああ、オリオン座が。」

 私は次々と星座を見つけました。

「・・・おうし座、」
「おお、あれは、すばる・・・。」

 私は誰かに声を掛けられたような気がして後ろを振り向きました。そこには、まるで、時計の針のように北天の周りを巡る星座達がいました。

「カシオペア座、ああ、北斗七星が、あんなに、あんなに、はっきり見えるなんて。」

 よくこんな場面では、感動のあまり『絶句』する、あるいは、『ことばを失う』などと言ったりしますが、それとは真逆でした。いえ、正確に表現するならば、感動の大波が心に巻き起こって、それをことばとして発しようとしているのです。なのに、私のボキャブラリの無さから、言葉に出来ないでいるのです。

 ああ、誰か、私に、この光景を表現することばを教えて下さい。

 そんな私の感動に破裂しそうな心に刺激されて、私の頭の中に何かが浮かび上がりました。

「これを、この光景を、星の海を、写し取りたい。」

 私は、そのために旅をしているのではないのか。

 そうだ、写し取るのだ。

 筆を取るんだ。

 絵に、水墨画に残すんだ。

 この、星の海を。

 もちろん、筆と墨汁は持っています。作品を創るため、作品のヒントを見つけるために、旅をしているのです。ただ、私はわかっていました。今回はただ描くだけではダメなのです。その理由は。

 私が生涯を捧げている私の世界、唯一の世界である水墨画は、白い紙の上に、黒い墨汁で描くのです。

 しかし、いま私が強く画きたいと思っている『星の海』は、漆黒の世界に、星々が白く輝いているのです。

 全く逆なのです。

 私が日々精進している世界とは、全く逆の世界、さかさまの世界なのです。

 とはいえ、水墨画の世界にも、それを乗り越える手段はあります。いま私の頭上に広がっている
星の海を、水墨画として残すことも、もちろん出来るのです。ただ、そのための道具を、いまは持っていなかったのです。

 私は、一旦、テントに戻ると、コーヒーを入れる道具を持って、再び、先ほどの頂に戻りました。ひとまず、コーヒーを入れます。そして、椅子に座ると、もう一度、夜空を仰ぎ見ました。星々は先ほどと変わらず、我勝ちに、ひしめき合うように、瞬いていました。

「こらこら、そんなに押し合うんじゃない。」

 そんな風に声を掛けたくなってしまうほどです。

「夜空が、宇宙が、星の海が、こんなに広いなんて。」

 私は、コーヒーを一口飲みました。

 私は、星空を眺め続けました。

 この光景を忘れないように。

 記憶に焼き付けるために。

 宇宙。

 確かに、宇宙には数えることさえ難しいほどの数多の星が輝いているのです。

 それらの星々は、幾千、幾万の時を超えて、私達人間が生まれるずっと以前から、輝き続けているのです。

 申し訳ありません。

 申し遅れました。

 私は、東京総合科学大学柴崎研究室の
布田英治と言います。

 東京総合科学大学。柴崎研究室。私は、その一番奥まったスペースに、個室を置かせてもらっているのです。いま、私は、ある大きなプロジェクトに取り組んでいるのです。

 ノースポール・プロジェクト。

 私達が、偶然遭遇した『未来の宇宙船』から知り得た未来の技術を使って、これまで誰も作ることが出来なかった、人類史上で最も画期的な宇宙船を建造したのです。未来の技術と同時に知ってしまった、私達人類の未来に起きる危機に立ち向かうために。幸い、宇宙船は完成して地球を飛び立って、現在は火星を探査しているのです。

 その日は久しぶりに、ノースポール・プロジェクトとは直接関係のない、しかし、非常に優秀な、最近発表された論文を読んでいました。

 突然、誰かが私の個室のドアをノックしました。私は論文に目を落としたまま答えました。

「どうぞ。」

 入って来たのは、先月から事務作業のお手伝いに来てもらっている女性でした。

「受付から電話で先生宛にお客様だそうです。」
「ん? 予定にはないが。名前は聞いてるかね?」
「えっと、大森誠也さんだそうです。」

 大森さん、確か聞いたことがある名前なのですが、この時は思い出すことが出来ませんでした。何しろ、ここの研究室だけでなく、日高基地では一般の技術者や研究者の方も大勢いて、正直なところ、とても全員の名前は覚えられていないのです。

「そうか、うん、すぐ行くと伝えてくれないか。」
「はい。」

 私は、ひとまず会うことにしました。最近、特に、プロジェクト自身と、ノースポールの存在を明らかにしてからは、単に利害関係のみを強硬に主張して、自らの意見を押し通そうとするような方が来ることも多く起きているのです。基本的にはすべてお会いして話は聞くようにしているのですが、何しろ人手が足りないため四苦八苦していたりするのです。でも、今日のお客様は大丈夫だ、そんな気がします。

 私は論文を読むのを切り上げると、東館1階の総合受付に行きました。

「お待たせしました。大森さんですか?」

 そう呼びかけると、お客様はゆったりと立ち上がって頭を下げながら答えました。

「はい。大森誠也です。」

 想像とはだいぶ違いました。年齢は私と同じくらいでしょうか。背丈もほぼ同じです。しかし、和服をお召しなのです。

「布田英治です。はじめまして。」

 私はお客様に丁寧に挨拶しました。

「こちらこそ、娘がお世話になっています。」

 お客様も丁寧に、穏やかな声で挨拶をされました。いま『娘』と仰っています。それで、名字が『大森さん』と言うと。

「あ、大森仁美さんのお父様ですか?」

 私はやっと思い出しました。そうです。ノースポールの通信オペレーション部の部長をお願いしている、大森仁美さんのご家族の方ではないのでしょうか。

「はい。どうも、できの悪い娘で、ご迷惑をおかけしています。」
「いえいえ、そんなことはありません。」

 そうです。大森仁美さんは、世界30ヶ国語を自由自在に操ることの出来る言語のプロなのです。艶やかでいて、良く通る声はオペレータとしても秀逸で、通信で接続された方との会話マナーもすばらしく、大変高い評価を頂いているのです。

「それで、ご用件は何でしょうか。」

 私は本題を切り出しました。大森さんのお父様は何の用事でわざわざ大学まで足を運ばれたのでしょうか。

「実は、これを娘に届けられないかと思いまして。」

 そういうと、大森さんは大切に持ってきたと思われる荷物をテーブルの上に出しました。一辺が1から2mほどの長方形の薄い板状の荷物です。大きな風呂敷で丁寧に包まれています。

 大森さんは手早く、持参した荷物の梱包を解きました。慣れた手つきです。そして現れたのは絵画、それも、日本画です。

「これは、水墨画ですか?」

 私は、子供の頃からの理系人間で、絵については全くの素人なのです。でも、水墨画のように感じられたのです。

「はい。カンボジアの奥地で見た夜空です。まさに、星の海でした。」

 確かに無数の星が輝いています。

「なるほど。」
「現地でこの光景を見てあまりにも驚いてしまい、予定を切り上げて、すぐに帰国して自宅のアトリエで製作したものです。」

 繰り返しになりますが、私は絵については全くの素人です。ですが、この絵は、まるで生きているような、この絵の部分だけ、現地の空に、そして、まさに無限の宇宙空間につながっているような、そんな印象を受けたのです。そして、この、地球上、特に東京のような都市の夜空では見られない、おびただしい数の星々。実は宇宙空間で見る星空は、同じような星空なのだそうです。実際、ノースポールから送られてくる写真にも地上では見られないおびただしい数の星が写っているのです。

「そして、この絵が完成しまして、自宅の居間でお茶を飲んでいたところ、テレビのニュースでノースポールのことを知りまして。」

 なぜか、大森さん、少し照れているのか何か言いにくそうです。

「実は私、そのニュースを見るまで、ノースポールのことを知らなかったのです。というのも、私はもともと世間に疎くて、しかも、作品を画く時にはアトリエに籠もりきりになったり、人が滅多に立ち入らないような山奥を歩き回ったりという生活をしていまして。」

 その話を聞きながら、私はケータイで検索していました。

「ああ、そうでしたか、大変申し訳ありません。私は完全な理系の人間で、絵というものにも全く疎いのですが、お父様、実は、大変な活躍をされている水墨画の画家なのですね。」

 そう。大森誠也画伯。私は驚き恐縮したのですが、お父様、大森画伯は、それ以上に恐縮していました。

「いえいえ、それは仰らないで下さい。私は単に水墨画の道を極めることだけが私の使命と信じて日々精進しているだけなのです。」

 恐ろしく謙虚な、しかも、職人肌、いや、芸術家肌の方です。しかし、その、自分の道を信じて日々精進しているという心意気は、私たちのような理系の科学者や技術者も全く同じなのです。私たちも、それぞれが学ぶ道を信じて、そして、その道を極めるべく、日々、実験や観察などの研究に精進しているのです。

 大森画伯は、さらに言いにくそうにことばを続けました。

「ただ、その精進も、今回ばかりは少し行き過ぎたようで、私は、ノースポールというすばらしい宇宙船が生まれたことを知らなかったばかりか、その、画期的な宇宙船に、私の娘の、仁美が乗り組んでいることも知らなかったのです。それで、これは良くなかったと反省しまして、それで、せめてもの罪滅ぼしとして、この、描き上げたばかりの星の海の絵を、仁美に送ることが出来ないかと思ったのです。ニュースで見たところによると、近々、2隻目の宇宙船といいますか、輸送船が、ノースポールへの補給のために発進の予定と聞きました。その際に、一緒に積んで、仁美の元に届けて頂けないかと思ったのです。」

 まだ、詳細は公表していませんが、確かに『アントノフ』と言う宇宙巡光輸送艦が、現在、地球軌道上で訓練飛行を行っているのです。そして、問題がなければ、補給物資を積んで、ノースポールのもとへ届ける予定なのです。もちろん、その時には、乗組員のご家族からの荷物も受け付ける予定なのでした。

「わかりました。この水墨画は、責任を持ってお預かりして、輸送船が出航する際には積み込んで
、間違いなく、ノースポールのもとへ、仁美さんのもとへお届けします。お任せ下さい。」

 大森画伯が笑顔を見せました。

「良かった。是非お願い致します。」

 こうして、その絵は、日高基地へと運ばれて、出発の日を待つことになったのです。

 そして、ここは火星の周回軌道。

 地球を発進した宇宙巡光輸送艦アントノフは約11億kmの宇宙空間の旅の後に、ここ、火星の周回軌道に到着したのです。

 みなさま、お疲れ様です。

 ノースポール技術部所属に所属しております、不動由美です。

 えっ?

「なに畏まってるの?」

ですか? いえいえ、今日は、プロの俳優の方と、有名な画家の方と、そして、我らが布田先生のナレーションを聞いたあとなので、ちょっとだけ緊張していたのでした。

 さて、ノースポールは火星を左に見ながら周回軌道を巡っていました。ブリッジの窓からも、静かに佇む赤い火星が見えていました。

「大森さーん、」
「あ、はい、何かしら?」
「地球からのお荷物が届いてますよ。」

 統括部の片倉さんと鵠沼さんです。

「荷物、オフィスの私の席に置いてもらってもいいかしら?」

 そうなんですね。ブリッジで受け取っても、ちょっと困るかもしれないですよね。でも、片倉さん、何か別の理由がありそうです。

「そうなんですけれど、ちょっと大切そうな荷物だったので。」
「えっ、どれかしら?」

 片倉さんが台車から降ろしたのは、縦1m、横2mほどの薄くて平たい荷物です。

「その形、もしかして。」

 大森さん、その荷物の形を見てピンときたようです。

「突然どうしたのかしら。」

 その平たい荷物を受け取ったまま考え込んでいる大森さんを見て、川崎さんが来ました。

「アントノフで届いたのか?」
「はい。」
「変わった形だが、何か頼んだのか?」

 大森さんが通信販売で何か買ったと思ったのでしょうか。んー、この形、通販で買うとしたら何でしょうか?

 でも、大森さんの回答は違っていました。

「いえ。たぶん、父からだと思います。」
「お父さん、大森君の?」
「はい。画家なんです。たぶん、絵を送ってきたんだと思います。」

 川崎さん、一応、知識としては大森さんのお父さんが有名な画家であることは知っていたのですが、少し驚きながら質問しました。

「画家・・・、まさか、大森誠也画伯?」
「はい。そうです。」

 大森さん、その場で梱包を解き始めました。ダンボールと緩衝材でかなり頑丈に梱包されています。ちょうど手の空いた小杉さんも手伝って、中から、きれいな風呂敷で包まれた荷物を取り出します。

「えっと、」

 風呂敷の包みを大森さんが解きました。

「おー。」

 中からは、大森さんの予想通り、『絵』が出て来ました。

「これは、水墨画なのか?」
「はい。そうですね。」
「すごい景色ですね。どこなんですかね?」

 ブリッジにいた全員で、にわか鑑賞会となりました。

 夜空の絵なんです。キャンバスの下側、1/3ほどの位置に向かい側に見える稜線が描かれています。その麓には森林が広がって、川が森林の中を蛇行しながら流れています。

 稜線の上が空です。

 夜空です。

 東京など都市では見ることの出来ない、まさに、夜空から星がこぼれ落ちそうなくらいの、満天の星空です。みんな、息をのみました。

「うーむ、」

 川崎さん、何か言いたげです。

「私は絵については素人なんだが、この水墨画は、」

 川崎さんに視線が集まりました。

「逆ではないか?」
「???」

 みんな、川崎さんの言葉の意味がわからないようです。・・・、実は私もなんですが。

「そうですね、普通の水墨画とは逆になってます。」

 大森さんが答えました。ということは、この絵は何か特別な構成で描かれているのでしょうか?

「普通、水墨画というのは、白い紙の上に、黒い墨で描くと思うのだ。」

 なるほど、確かにそうです。

「だが、この絵は、暗い夜空の上に、明るく輝く星が描かれている。つまり、黒い紙の上に、白い墨汁で書いているのか・・・、もちろん、白い墨汁などというものが存在するのかも知らないが。」

 そうですよね。私も聞いたことありません。でも、小学校の習字の授業では、先生が私達の書いた字を朱色の墨汁で直してくれたりしました。

「私も詳しくは知らないんですけど、黒地に白く描く方法があるって聞いたことがあります。たぶんその方法で描いたんじゃないかと思います。」

 おお、さすが大森さん。詳しいですね。

「うん。まさに、宇宙を切り取ったような星空だな。きれいだ。」

 全員絵を見つめながら頷きました。

「あの、艦長。」

 絵を見つめていた川崎さん、大森さんに呼ばれて視線を上げました。

「どうした?」
「この絵なんですけれど、」
「うん。」
「もらってもらえませんか?」

 あれ? 大森さん、どうしてしまったんでしょうか。

「何か問題でもあるのか?」
「そうですね、自分の部屋に飾るには少し大きいかなと思って。」
「まあ、確かにそうだが、サイズ的には十分入るのではないのか?」
「まあ、そうなんですが。中央乗降口とか、会議室に飾ってもらえないかなと思って。」

 大森さん、特別怒っているとか、気に入らない感じがする、というわけではなさそうですが、何か納得のいかなそうな顔つきです。

「せっかく、お父さんが描いてくれたのなら、自分の部屋に飾ってあげた方がいいように思うが。」
「・・・。まあ、そうですね。じゃあ、そうします。」

 大森さん、一応納得したようです。

 その日の業務後。大森さんの個室。

「よいしょっと。」

 大森さんが、お父様から送られてきた絵を壁に掛けています。

「ふー。まあ、大きさの問題じゃないのよね。」

 大森さん、しばらく、絵を眺めていました。

「今度、」

 そう言うと、デスクの椅子に絵の方を向いて腰掛けました。

「家に帰ったら、食事にでも誘ってあげようかしら。」

 大森さん、絵を見つめています。

「家にいれば・・・、だけど。」

(おわり - 星の海を君に)

2023/12/23
はとばみなと

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2023/12/23 登録