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■宇宙巡光艦ノースポール

第5章.水星
第4節.念願

「では、くれぐれも無理はしないようにしてくれ。以上だ。」
「はい、了解しました。」

 川崎さんは立ち上がると会議室から出ようとしました。水星表面で行う、今日の有人探査について説明を聞いていたのです。

「あ、川崎さん。」

 通路に出た途端、呼び止められました。

「どうかしましたか?」

 医療部長の荏原さんです。その後ろに可愛いナースウェア姿の看護師さんもいます。確か、愛甲さんだったと思います。

「ちょっと相談があって。中、いいですか?」

 荏原さんは、川崎さんが今出て来たばかりの会議室を指さしました。

「ええ、いいですよ。いま終わったところです。」

 会議に参加していたメンバーが出て来ました。

「じゃ、先に戻ってます。」

 最初に出て来た小杉さんが、川崎さんにそう伝えながら歩いて行こうとしました。

「あ、小杉君、」

 その小杉さん達も、荏原さんは引き止めました。

「できれば、小杉君と不動さんもお願いできないかな。」

 何か急な、打合せでしょうか。私は大丈夫ですが、小杉さんはどうでしょうか。

「ええ、いいですよ。」

 川崎さんと小杉さん、そして、私はもう一度会議室に戻りました。それに続いて、荏原さんと愛甲さんも中に入りました。何やら大きな荷物も持っています。

「どうかしましたか?」

 川崎さんが尋ねました。

「ええ、ちょっと。無理な相談だとは思うんですが、愛甲君の気持ちを無視できなくてですね。」
「どんな相談なんですか?」

 川崎さんが尋ね返すと、愛甲さんが話し始めました。

「あの、私、どうしても水星の上に立ちたいんです。1度で良いので表面の探査の時に連れて行ってもらうことはできないんでしょうか?」

 川崎さんと小杉さん、私は顔を見合わせました。

「えっと、何か調べたいことでもあるの?」

 小杉さんが聞きました。

「あの、私、水星が大好きなんです。」

 愛甲さん、そう言うと後ろに置いてあったカバンを持ち上げると膝の上に置きました。そして中から本やグッズをいろいろ取り出して会議室の机の上に広げました。

「えっ、これって、みんな・・・、」

 私、ちょっとドキドキしてきました。というのも、愛甲さんが持ってきたのは全部、水星に関係したものだったのです。えっ、水星についての本やグッズって、こんなにいっぱい、こんなにいろいろあるんですか?

「えっと、絵本、写真集、ちょっと学問的な本ですね・・・。」
「こっちはグッズですね。キーホルダー、ハンカチ、これ、Tシャツだ。」

 小杉さんがTシャツを広げて眺めました。

 胸の辺りに『Mercury』と描かれていて、その下に、無人探査機が撮影したと思われる水星の画像がプリントされています。あ、写真の下に小さく『2011/3/18 MESSENGER』って書いてあります。きっと、無人探査機のメッセンジャーが撮影したんですね。

「水星関連の本とかグッズってこんなにあるんですか?」

 ほんと、びっくりです。世の中にこんなに水星に関係した物があるなんて。

「はい。でも、ほとんどは自己出版とか限定販売ですね。普通の出版社や雑貨のメーカーでは、まず、商品化してもらえないです。」

 そうですよねー。水星だけでなくて、他の惑星でもそんなに簡単に商品化してはもらえない気がします。

 私、絵本を一冊、手に取りました。

「これ、『すいせいとひつじ』、ですね。私、知ってますよ。確か、中学生の時に市立図書館で読みました。」
「そうなんです。『すいせいとひつじ』は、偶然、出版社の絵本担当の人が天文ファンで、それで出版できたみたいですね。私も図書館で見たことありますね。」
「こっちのは『すいせいとしょうねん』。うーん、これは初めて見ますね。」
「ええ、これは自己出版というか、実際には知り合いに配るためだけに作られたみたいです。」

 うーん、やっぱり、趣味の世界になるといろいろ深いです。

「この写真はベピコロンボが撮影したものなのか?」

 川崎さんが水星の写真集を見ています。

「はい、水星に到着直前に撮影されたものですね。私も持ってます。」
「ん? 持ってる?」

 川崎さんが首を傾げました。

 愛甲さんが自分の席の前に置いていたバインダーのようなものを手に取ると、開いて見せてくれました。

「なるほど。」

 フォトスタンドです。確かに同じ写真が入ってます。このフォトスタンド、いつも持ち歩いていて、勤務中は医療部の自分のデスクの上に、非番の時は、自分の個室のデスクの上に飾っているのだそうです。

 すごいです、愛甲さん。

 筋金入りの水星オタクです。

「これ、『水星年鑑』って書いてあるけど、」

 小杉さんが珍しそうに中を見ています。

「付箋がいっぱい貼ってありますね。なんか書き込みもしてある。勉強家なんだね、愛甲さん。」

「えっ、あの、『水星年鑑』ですか? 『天文年鑑』じゃなくて?」

 私、思わず叫んでしまいました。

 『天文年鑑』というのは、年1回発行される雑誌です。大きな本屋さんなら大抵置いてあります。内容はその一年間に起きる天文関係のトピックや、その他さまざまな情報が掲載されています。この『天文年鑑』私も毎年買って持ってますが、『水星年鑑』があるとは。『天文年鑑』は、すべての惑星や恒星、星雲について、話題を取り上げています。例えば、日食や月食のような。

 でも、『水星年鑑』てことは、水星の話題だけですよね? 水星専門の雑誌って申し訳ないのですが聞いたことありません。

「えっと、これも、岐阜県の方が自己出版で作っていて、送料だけで配ってくれてるんです。さすがに月刊は無理で、年に1回ですけど。」

 ひゃー、そんな献身的な方がいるとは。中身もすごいです。水星の軌道計算のデータなんて、ノースポール・プロジェクトのライブラリにあるデータよりも詳しいです。正直、欲しいです。こんなデータを作っている方がいたなんて。

 すっっごーーい! 鼻息が荒くなっちゃいます。

「愛甲君、あれも出さないと。」
「あ、はい。」

 最初から気になっていたのですが、愛甲さん、持ってきた、何やら大きな丸い荷物を会議机の上に出しました。

 いや、なんとなく、またまたすごい予感です。でも、今日の話の流れから言って、この丸い物体はアレに間違いないと思うのですが。

 愛甲さんが、外側を覆っている布製のカバーのジッパーを開きました。そして、中から出て来たのは、わーっ! やっぱり、地球儀ならぬ、水星儀・・・って、あれっ・・・? なんか違うような・・・。まさか、これって・・・。

「水星の縫いぐるみです。」
「えーーーっ??!」

 私、思わず叫んでしまいました。いや、もうあまりの驚きに悶絶しそうです!

「えーっと、一応、実物の、1000万分の1サイズです。」

 きゃーーーっ、そ、そんな、縮尺まで意識してるなんて。オタク心をわしづかみです! でも、確かにクレーターとか表面の色の違いとか、作り込みがすごいです。

 私、思わず聞いてみました。

「こ、これ、どこで売ってるんですか?」
「いえ、売り物ではなくて。」

 えっ? まさか、自分で作ったとか? もはや、どんな答えが出て来ても驚きませんが。

「えっと、中学の同窓会に行った時に、同じクラスだった子が縫いぐるみの工房を開いてるって聞いたんです。それで、特注して作ってもらったんです。」

 なるほど。やっぱり、何か持ってる人には、それに相応しい出会いがあるんですね。この水星の縫いぐるみも、ただ者ではなくて、先程話に出た、ベピコロンボや、その1つ前の水星探査機であるメッセンジャーの作った水星表面の地図をもとにして、水星表面の地形を、正確に、縫いぐるみとして再現してあるのだそうです。もちろん、手作りで作ってもらったのだそうです。気になるお値段は35万円とか。あれ? 以外とリーズナブルな気がしますが。

「難しいのは表面だけなんです。中身は普通にウレタンとかスポンジなので。」
「あー、なるほど。」

 川崎さんと小杉さんも納得してます。

 それにしても、この、直径約50cmの水星君、んーーー、欲しいです! 激しく欲しいです! 私も注文しようかな。

 そうだ!

 せっかくだから、ノースポールの縫いぐるみも作って、一緒に並べて飾るというのはどうでしょう。

「それなら、他の惑星の縫いぐるみも全部揃えたらどうだ?」

 わっ、川崎さんからものすごい突っ込みが入りました。しかも、一瞬、「それいいかも!」とか思ってしまったのですが、よくよく考えたら、1000万分の1スケールで太陽系の惑星を全部作るとしたら・・・、やっぱり、無理です! そのスケールだと、木星の縫いぐるみは、直径14mになるんです! とても、ノースポールの個室には入らないです。

「ハハハッ、そうか。それじゃ、専用の格納庫を作らないとな。」

 みんな、大爆笑です。

 そんな、川崎さん、笑いごとじゃないです。でも、お願いしたら、以外と作ってくれたりして。今度、こっそり聞いてみたいと思います。

 でも、羨ましいです、愛甲さん。後で聞いたら、気持ちが落ち込んでいる時とか、この水星の縫いぐるみを抱きしめて眠ったりしてるんだそうです。きゃー、それ、絶対羨ましいです! 癒し度100%ですね。

「最初の話に戻るが、どうする、小杉?」

 そうです。すっかり忘れてました。愛甲さん、水星の表面に立ちたかったんですよね。

「えっと、行くだけなら問題ないですね。1人だけだったら、ブリッジの予備席を出してもいいし。」

 シーライオンのブリッジの定員は普通は5人なんですが、予備のシートを1人分置くことが出来るんです。

「でも、たった1人の希望をそんな形で実現するというのは、どうなんですか?」

 荏原さんから思わぬ、と言うか、とてもまっとうな指摘です。まあ、確かに、1人の希望のために、シーライオンを使うというのも。

「それと、愛甲君、もう一つ、条件があるんだろ?」
「はい。実は、」

 どんな条件なんでしょうか。恐ろしくマニアックな希望だったりして。

「実は、来週の月曜日から金曜日の間の朝5時40分から6時40分頃に水星の表面に行きたいんです。」
「何か理由でもあるのか?」

 川崎さんが尋ねました。なんか、とても具体的すぎる希望で、とても、不思議に感じるんでしょうね。でも、私にはその理由が分かりました。

「水星を見やすい時期になるんですね。朝見るってことは、太陽の西側に一番離れて見えるんですよね。」
「あ、そうです。それで、その日の東京の日の出が6時40分なんです。」
「それで、5時40分からなんだ。てことは、もしかして。」
「はい。不動さんの想像通りで、その時間帯に、知り合いの人達が集まって水星を見る会をやるんです。」
「あー、なるほど。」
「それで、叫びたいんです。」
「叫ぶ?」
「はい。『私はここにいるよー』って。もちろん、声が届くはずないんですが。」

 川崎さん、笑みを浮かべました。いやー、青春ですねーー。まあ、思いっきり個人的な希望ですが。

 私は、金星で、明けの明星と宵の明星について、鵜の木さんが池上さんに説明した時の図を使って、地球から水星を見ることの出来る時間帯について説明しました。水星も金星と同じで地球よりも内側の軌道を公転する『内惑星』と呼ばれる惑星なのです。ただ、水星は金星よりもさらに内側の軌道を公転しているので、地球から見ることの出来る時間帯がとても短いのです。

「そうか、そういうことなんですね。」

 小杉さんは納得したようです。たぶん、行ってもらえそうな雰囲気です。川崎さんはどうでしょうか。腕を組んで目を閉じて、ちょっと気難しい顔をしています。

 ですが、穏やかな表情になると、目を開きました。そして、

「小杉、」
「はい。」

 突然、小杉さんを呼びました。

「ライラを呼んでもらえないか?」
「はい、すぐ呼びます。」

 なるほど、この計画の実行には航海部の協力が必須ですね。

 ライラさんはすぐに来ました。会議机の上に並んだ絵本などの様々なグッズと、そして、真ん中に鎮座している丸い物体を、不思議そうに眺めながら席に座りました。

「来週なんだが、」
「はい。」

 川崎さんが話を切り出しました。

「ノースポールの機動試験を追加してもらえないか?」
「えっと、どんな試験ですか?」

 ライラさん、思い切り困惑しています。川崎さんは、それに構わずことばを続けました。

「ノースポールで直接、惑星表面に着陸する試験だ。」
「ていうことは、ノースポールで水星に着陸するんですか?」
「そうなるな。」

 川崎さん、大胆すぎます。

 いや、でも、さすがです!

 これで、少なくとも、ノースポールに乗り組んでいるみんなで水星の表面に行くための大義名分が出来てしまったんです。もちろん、愛甲さんもいっしょに。。。

 一方、ライラさん、まだ、不思議そうな表情のままです。そうですよね。

「どうだ、できそうか?」

 川崎さん、鋭い笑顔でライラさんを質しました。

「シーライオンが表面の探査で発進する時間と、帰投する時間に重ならなければ問題ないと思います。」
「じゃあ、そこは小杉と調整してもらえるか。あとは任せるよ。」

 川崎さん、そう言うと、そそくさと会議室から出て行ってしまいました。

 みんな、ちょっと呆然なんですが。

「なんか、上手い具合に振られたけど、やっていいみたいだね。」

 小杉さんも驚きの表情です。

「良かったじゃないか、愛甲君。」

 荏原さんも川崎さんの意図が分かったようです。

「えっ、えっ、私、行けるんですか?」

 荏原さんのことばに、愛甲さん、思いっきり戸惑っています。きっと、川崎さんのペースに慣れてないんですね。

 私が説明しました。

「大丈夫ですよ。だって『あとは任せる』っていうお言葉ももらったことだし。」
「うん、あとは僕らで考えて実行していいよってことなんだ。」
「そ、そうなんですね? は、はい。とりあえず、お願いします。」

 愛甲さん、席から立ち上がって、私たちに向かって深々と礼をしました。

「じゃあ、詳しく聞かせてもらえないかしら、統括部長さん。」

 ライラさん、ことばとは裏腹に、思い切り笑顔です。

「うん、実はさ。」

 小杉さんがことの成り行きを説明しました。話を進めるにつれて、ライラさんが笑顔をこぼします。そして、とどめの、水星君登場です。ライラさん、思い切り笑みをこぼしました。

「へー、すごいのね。でも、私も、こういうの欲しいな。」

 ライラさんは水星君を見つめました。まるで、にらめっこしてるみたいです。うーん、威力絶大ですねー、水星君。きっと、池上さんも欲しがると思いますよ。どこかのメーカーで発売してくれないでしょうか。

「じゃあ、その機動試験の日は朝5時40分には水星の表面にいたいわけよね。」
「そうだね。」

 ライラさんが具体的に日程を考え始めたようです。

「じゃあ、きりのいいところで、5時半に着陸を目指さない?」
「いいね。じゃあ、外に出る人は、それまでに宇宙服を着て待機する、と。」

 小杉さんが決まった内容をケーパッドに書き込んでます。

「どう、愛甲さん?」
「はい、ありがとうございます。お願いします。」
「じゃあ、あとは艦内に告知してと。」

 さすが統括部。そうですよね。ノースポールの航行予定は艦内ウェブサイトで公開することになっているんです。

 ちなみに、日付は火曜日に決まりました。鵜の木さんに事情を話したら、笑いながら大きく頷いて、水星と地球の軌道計算や、当日の東京の天気を調べてくれたんです。その間、もともとやっていた、プログラムのテスト結果のレビューは放置されてました。そちらの仕事も優先度かなり高かったはずなんですが。

 愛甲さんも準備万端です。東京にいる水星オタクのみなさんに連絡して、水星観望会を同じタイミングをやってもらうことになったのです。急な出来事にも関わらず、全国から100人以上の人が集まるとか。

 いやいや、まさか、水星沼に生息している方がそんなにいらっしゃるとは思いませんでした。んーー、ということは、もしかしたら、世の中には、天王星沼や海王星沼もあったりするのでしょうか。いや、絶対にある気がしてきました。この先、大変なことになるのかもしれません。

 2055年2月15日。午前5時10分。
 (ノースポール艦内時間=日本標準時)

「おはよう。」

 川崎さんがブリッジに入ってきました。

『おはようございます。』

 川崎さん、ちょっと驚いた表情でブリッジ内を見渡しました。

「なんだ、みんな早いな。」

 川崎さん、完全にとぼけてます。

「艦長こそ早くないですか?」

 小杉さんが思いきり突っ込みました。

「はははっ、重要な試験だからな。ぜひ、直接見ておかないと。」

 いえ、確かに、まだ試したことないんですよね。ノースポールで直接、惑星上に着陸するというのは。その意味では重要な試験だったりします。

「小杉、準備は出来ているな?」
「もちろんです。」

 小杉さん、宇宙服を着ています。愛甲さんと一緒に水星に降りるんですね。

「よし、始めてくれ。」
「了解。ライラ、降下開始。」
「OK。降下するわね。」

 ノースポールは水星の周回軌道を離れて悠然と降下を始めました。

 同じ頃、艦底部係留バース横の待機室には、今日、水星に降り立つ人達が集まっていました。愛甲さんの希望を聞いたあと、関内に通達を出して、水星の表面に降り立ちたい人を募ったのです。全部で24人の人が集まりました。それにプラスして統括部から27人が参加します。実は小杉さんが指示を出して、統括部のメンバーはできるだけ参加して、みんなの誘導とサポートをすることになってるのです。

「でも、私は初心者だからね。」

 一応、所属は統括部の鵠沼さんが慣れない宇宙服姿で、隣に立つ蓮沼さんに言いました。

「もちろんわかってるよ。私も初めてだから。」

 この2人を田浦さんがサポートします。

「でも、2人とも、すぐに慣れて、逆に楽しくなると思いますよ。」
「うーん、そうなれるといいけれど。」
「そうだよねー。」

 鵠沼さんと蓮沼さん、不安そうなことばを漏らしていますが、顔は何か期待に満ちた表情です。

「えっとですね、いま、この辺りを、こんな感じで降下してるんです。」

 その、同じ時に、私は愛甲さんに、ノースポールの降下コースを教えていました。愛甲さんは水星君を抱えています。そして私は、ゆうべ徹夜で作った、ノースポールの縫いぐるみを手に持ってノースポールの進むコースを、縫いぐるみのノースポールで示してるんです。

「このノースポール、スケールどの位なんですか
?」

 おっ、さすが愛甲さん。目の付け所がマニアックです。

「えっと、実物のノースポールは全長が300mなんですね。水星君と同じ1000万分の1スケールで作るとノースポールは1mm以下になってしまうんです。」
「それ、作れないし、作っても見えないですよね。」

 そうですね。それに、すぐ無くしてしまいますよ、きっと。

「なので、実物の1000分の1で作ってみました。」
「でも、すごいですね。水星君もかわいいですけど、このノースポールもかわいいです。」

 いやー、実は作るのとっても苦労したんです。ノースポールの設計図は、もちろん、自分でも持っているのですが、縫いぐるみなんて久しぶりに作るし、縫い目をどこにしようかとか、3回くらい最初から作り直したんです。

「あっ、縫いぐるみ作る方も、毎回そんな感じらしいですよ。」

 なるほどー。やっぱり、創作活動ってそんな感じなのかもしれないですね。

『芸術は1日にしてならず。』

ですね。

「高度100。水平飛行に移ったわ。着陸地点まで5分。」
「了解。」

 小杉さんはシートから立ち上がると川崎さんに報告しました。

「係留バースに降りて、みんなを誘導する準備をします。」
「うん。くれぐれも事故のないように気を付けてくれ。」
「了解です。」


「着陸予定地点に到着。三田君、」
「はい。」
「障害物の確認をお願いできるかしら。」

 小杉さんに代わって統括席に座っている三田さんが、艦底部監視カメラの映像をチェックし始めました。

「はい、いま確認中です・・・、確認OKです。着陸の障害となる岩や凹凸はありません。」
「ありがとう。じゃ、降下するわよ。」
「お願いします。」
「ライラ、ゆっくり頼むよ。」
「はい、もちろんです。」

 水星の高度50mほどの位置に静止していたノースポールが静かに降下を始めました。非常にゆっくりとした速度です。

「現在の高度40m。」

「・・・30m。ランディングギア展開。」

 ノースポールの艦底部から左右4機ずつ、合計8機のランディングギアが伸ばされました。

 ノースポールの艦底部では、係留ベイのハッチが一番出っ張っているのですが、このハッチ部分が地表から1mほど浮いた状態で着陸するんです。

「高度10m。」

「5、4、3、2、1・・・、」

 ほとんど振動はありませんでした。

「現在の高度ゼロメートル。速度ゼロです。」
「船体に異常なし。着陸完了しました。」

 ブリッジにいた全員からため息が漏れました。

「よし、ライラ、ありがとう。三田、小杉に連絡してくれ、気を付けて行ってくるようにと。」
「はい。」

 一方係留ベイでも参加する人達がざわざわと動き始めました。

「よし、タラップを展開して下さい。」
「了解。」

 小杉さんが係留ベイのオペレータに指示しました。係留ベイのハッチの最前部と最後部にタラップが内蔵されていて、展開してドアを開ければ、ベイの通路から階段で外と出入りできるようになっているんです。

「タラップ準備できました。」
「了解。」

「じゃあ、まず僕が降りてタラップの確認をします。問題なければ連絡するので、中原君他の統括部のメンバーの誘導に従って降りて下さい。」

 小杉さん、ゆっくりと階段を降りていきました。水星の表面に降り立つと周囲を見渡します。大きな岩もなく砂地が広がっている感じの場所です。タラップを点検します。きちんと展開されているか、その上を人が通っても安全かどうか。

「うん、大丈夫だ。」

 小杉さん、タラップの上の方を覗き込むように見上げました。中原さんがみんなの列の先頭に立ってます。

「小杉さん、どうですか?」
「うん、OKだ。降りてきてもらえるか? 誘導よろしく。」
「了解です。じゃ、みなさん、行きましょう。」

 中原さんがゆっくりと歩き始めるとタラップの階段を降り始めました。

「ゆっくりで大丈夫ですよ。」

 統括のサポート担当の人達が、みんなに声を掛けています。ちなみに、係留ベイの内部ですが、タラップを展開していますので空気は抜かれて完全に減圧されています。そして、重力システムも切られているので、ノースポールの内部でありながら、環境が水星の表面と同期しているのです。もちろん、みんな宇宙服は着用済です。

「えー、なんか、ふわふわして怖いー。」

 愛甲さん、一気にテンション上がってます。

「あ、そんなに急がなくても大丈夫ですよ。」

 私が、握ってる手を引っ張って止めようと・・・、きゃー、引っ張られてるー。愛甲さんーー。

「あっ、大丈夫ですか?」

 あっ、統括部の稲城君が止めてくれました。良かった、

「すみませんーー、不動さん。」
「いえ、大丈夫です。でも、ちょっとびっくりしたかも。はははっ!」

 参加者のみんなと、誘導の統括部の人が並んで2列でタラップの階段を降ります。だんだんと水星の地表が近づいてきます。先頭の中原さんが地表に立ちました。小杉さんの横に並んでみんなが降りてくるのを迎えます。

 そして。

「よおし。」

 愛甲さんが、タラップの一番下の段から右足を伸ばして水星の地面に降ろしました。そして、続けて左足も降ろすと、タラップの手摺りを握っていた両手を離しました。

「えっ、えっ、や、やったーー!」

 愛甲さん、細かく足踏みしました。愛甲さん、ついに、念願の水星に降り立ったんです。私、拍手でお祝いしました。といっても、音は聞こえませんが。

「みなさんー、ここまで来れますかー?」

 あっ、統括部の長沼さんが30mほど先の日向で、国連旗を持って立っています。

 えっと、日向と言っても私たちの常識で言うと、朝、日が昇って間もない頃にあたる状況です。水星の本当の昼間は太陽の光も強く気温もずっと高くなって、危険な可能性もあるので、この時間帯の地域に着陸したんです。

 みんな、ゆっくりと、慎重に長沼さんのいる場所を目指します。私と愛甲さんも手をつないで、ゆっくりと長沼さんのいる場所に向かって歩きました。

 全員が長沼さんの手前に集まりました。小杉さんが前に出て長沼さんの横に立ちました。

「えっと、みなさん、」

 みんなに向かって話し始めました。

「まずは、みなさん、協力してもらいたいんです。」

 みんな静かに小杉さんのことばを聞いています。

「みなさん、ご存じと思いますが、ここ水星で、異星人の物と思われる宇宙船の残骸が見つかっています。異星人と思われる方の遺体も見つかっています。」

 あの、宇宙船の残骸と、異星人の遺体は既にノースポールに回収されていました。いま、技術部と医療部が共同で分析を始めたところです。

「みなさん、ここ、水星で人生を終えることになった2人の異星人の方のために、黙祷をして頂けないでしょうか。やむを得ず、故郷に帰ることが出来なくなった2人が静かに、そして、平穏に眠ることが出来るように。」

 全員頷いています。人ごとではないのです。ノースポールがいつ同じ状況にならないとも限らないのです。

 小杉さんが全員に伝えました。

「黙祷。」

 全員、やや俯いて目を閉じて手を合わせました。ノースポールにいる人達も同じように黙祷しています。

「黙祷やめ。ご協力ありがとうございました。」

 さあ、いよいよです。

 そして、私の出番なんです。

「みなさん、ケーパッドは持ってきましたか?」
「はーい。」
「持ってきましたー。」

 よしよし、みんな持ってきていますね。なんか、頭上に掲げてくれている人もいます。

「そしたら、『天文ナビゲータ』を起動して下さい。」

『天文ナビゲータ』というのは、ノースポール・プロジェクトのメンバーに提供されているアプリのひとつです。ケータイかケーパッドで使うことが出来ますが、ケーパッドで使うのがお勧めです。画面が広い方が使いやすいので。

「起動したら、みなさんの頭上、星空に向けて掲げてみて下さい。」

 そう、そうすると、画面に矢印が出るんです。その矢印の方向に、ケーパッドを動かすと。

「矢印が青くなって点滅しませんか?」

 みんな、各々試しています。

「あっ、変わった。」

 お、愛甲さん、さすがです。

「その青い矢印の先にある星が、地球です。」
「えっ、ほんとですか? えっと、本物の星空だと、えーと、あ、あの辺かな。」

 愛甲さん、ケーパッドの画面と見比べながら本物の星空を探します。

「あっ、あれなの?」

 水星の頭上で輝く星の中に、青い点を見つけました。地球から見た水星が星空の中の1点であるように、水星から見た地球も星空の中の一点に過ぎないのです。でも、愛甲さんは、自分の見つけた、その輝きに何か確信を得たようです。心を落ち着けて、大きく息を吸うと、思い切り叫んだのです。

「おおーーーい、みんなーーー、私はここにいるよーーーー。」

 わっ! びっくりです。宇宙服のヘルメットの中に突然、愛甲さんの叫び声が響き渡ったのです。

「おおーーーーい、見えるーーーー? 私、水星にいるんだよーーーーー。」

 宇宙服の通信回線は、みんな、同じチャンネルに設定されています。そして、同じチャンネルでノースポールにもつながっていました。

 みんな、最初は、何のことかと、愛甲さんを見つめていました。

 しかし、愛甲さんの気持ちが、他のみんなにも移り始めたのです。

「おおーい、俺はここにいるぞーーー。」
「宇宙にいるんだぞーーー。」
「宇宙は広いよーーー。」

 なんか、みんな、それぞれ、叫んでます。凄いことになってしまいました。

 でも、なんか、いいかもしれないです。

「おおーーーい、みんな、早くおいでよーーーーー。宇宙はみんなのものだよーーーーー。」

 はははっ、私も叫んでいました。

「なにやら、外は賑やかだな。」

 ブリッジで、川崎さんは笑顔を浮かべてました。

「いいんじゃないですかね、楽しそうだし。」

 大森さん、さすがにヘッドセットは外していました。

「なんか、いいわね。私も外に出れば良かった。」

 ライラさん、メインディスプレイの映像を見ながら、羨ましそうにしています。

 この声が地球に届くかどうかはわかりません。でも、気持ちだけでも伝われば、そんなにうれしいことはない、そういうことなのかもしれません。

 ちなみに、この私達の行動をみて、きっと、あの、水星で亡くなったお二人の方の魂も、私達と同じように叫んでいたかも知れません。

『オレたちはここにいるぞーーーっ!』

 その声が、お2人の故郷の星に届くことを、私も願いたいと思います。

「あー、なんか、すっきりした。」

 小杉さん、思いっきり清々しそうな表情をしています。大きな声を出すとストレス解消になると聞いたことがありますが、小杉さん、ストレスでも溜まっていたのでしょうか。

「夢が叶って良かったですね。」

 愛甲さん、まだ、地球の方を見つめています。

「はい。ありがとうございます。とっても、とってもうれしくて。」

 泣いているわけではないようです。達成感に満ちた、とっても前向きな感動なのでしょう。

「なんか、久しぶりに叫んだ気がするな。」
「ほんと、この前、大きな声を出したのって、いつなんだろう。」

 蓮沼さんと鵠沼さんも、なんか晴々とした表情です。

「えっと、そろそろ時間ですかね?」
「うん、じゃ、写真撮って、お開きにしようか。」
「はい。」

 中原さんがみんなの前に出て行きました。

「それでは、みんなで記念写真を撮りたいと思います。ノースポールをバックに撮りましょう。」

 実を言うとノースポールは大きすぎて、この距離ではとても入らないのですが、とりあえず、みんなで並んで撮影です。

「じゃあ、いいですかー? 撮りまーす。」

 セルフシャッターは20秒。中原さんが慌ててみんなの方に走りますって、あっ、転んだ! と、その時、狙い澄ましたようにシャッターが切られました。でも、みんな大笑いで、ベストショットになりました。

「えー、頼みますから、もう一枚お願いしますよ。」

 中原さんが悔しそうにお願いしました。というわけで、もう一枚。今度は中原さん、無事に、みんなの並ぶ列の端に収まりました。

「では、お開きでーす。みなさん気を付けて艦内に戻って下さい。」

 みんな、名残惜しそうにノースポールへと戻り始めました。その時です。

「あのー、すみません。」

 おっ、愛甲さん、どうしたのでしょうか。

「どうかしたの?」

 小杉さんが尋ねました。

「えっと、せっかくだから、もう一枚、地球をバックに撮りませんか?」

 そ、それはナイスかも。でも、パッと見、どれが地球か、とってもわかりにくいですが。

「それいいよ。撮りましょうよ。」

 参加したほとんどの人が賛成しました。なので、早速、みんなで星空をバックに並び直します。あとで見つけやすいように『天文ナビゲータ』で、地球の位置を確認して、みんなの並ぶ列の真ん中の頭上に地球が来るように並びます。

 そして、もう一度、

「撮りまーす。」

 中原さん、ダッシュというか大股で歩いて列に入ります。今度は大成功です。念のため撮った2枚目も大成功。中原さん、低重力下で走る技を身につけたようです。

「じゃあ、みなさん、ノースポールに戻りましょう。」

 いやー、予定外の企画ではありましたが、大成功のイベントでした。

 ・・・、

 ところで、そのイベントが終わって周回軌道に戻ったノースポールに、とても大きな、重要なニュースが届きました。

「世界が固唾を呑んで見守っていた結果がついに明らかになった。」

 日高基地の布田さんからのビデオレターでした。

「ロシア大統領選挙での、ザイツェフ氏の勝利が確定したのだ。」
「おお。」

 ブリッジのメインディスプレイを見つめていた川崎さんが満面の笑みを浮かべました。

「ザイツェフ氏側は、この結果発表後直ちに、そして、旧政権側も、つい、30分前に、この選挙結果の全面的な受入を正式に発表したのだ。」

 布田さんの横に映っていたドミトリー博士が誇らしげに伝えました。

「我が祖国は、これまで進んできた道を捨てて、新しい道を進むことを選択したのだ。」

 画面の中で、布田さんがドミトリー博士の手を取り、祝福の握手をしました。そして、ことばを続けました。

「現在、世界各国が情報の確認を行っており、間もなく、各国からも選挙結果の歓迎と受入の発表が行われる予定だ。もちろん、日本政府も発表予定で、古淵総理を中心に準備を進めているとのことだ。」

 川崎さん、大きく頷いています。

「世界の、いや、人類の歴史は新しいステージへと進むのだ。」

 ザイツェフさんは、もしも自分がロシア大統領になったら、ウクライナやクリミアを含む、世界の国々に対する軍事的な干渉は一切行わないことと、それら諸国に展開していたロシア軍部隊を、すべてロシア本国に呼び戻すことを約束していたのです。また、これまでその被害を受けていた国々に対しては相応の保証を行うことも明言していました。それを受けて、既にウクライナでは、2022年以来、永らく続いていた戦闘は停止していたのです。

 ちょうど、ブリッジのライラさんの横に来ていたレオン君。いっしょに、布田さんのビデオレターを見ていました。レオン君は力強く頷きながら、小さくガッツポーズをしていました。

 そこに、小杉さんや大森さん、ブリッジにいた人が集まりました。

『おめでとう。』

 みんなで、伝えました。

「ありがとうございます。」

 レオン君、私たちに向かって、深々と礼をしました。

 地球のすべての人々が平和に、穏やかに暮らすことの出来る時代が、大きく近づいたのでした。

(つづく)

2023/6/18
はとばみなと
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2023/06/18 登録